見出し画像

オーパーツの正体!「クリスタル・スカル」に隠された真実とは?

クリスタル・スカル、またの名を水晶髑髏とは、人間の頭蓋骨を模した半透明の水晶を精巧に彫刻した工芸品です。

この工芸品については「オーパーツ(out-of-place artifacts=場違いな工芸品)」という呼び名で認識している人たちがほとんどでしょう。

その理由はクリスタルドクロが、アステカやマヤといった先コロンブス期の文明が古代に作ったされていますがあまりに精巧なため当時の技術ではどうやっても作ることが不可能だったはずだとされているためです。

謎めいた古代文明の超技術と言われると、私たちはロマンを感じてしまいますが、実際のところこのようなオーパーツは科学的にはどのように理解すれば良いのでしょうか?

本当にあり得るはずのないものが存在するという理解の仕方で良いのでしょうか?

今回は、世界中に点在するクリスタル・スカルがなぜこれほどまでに世の中の人々を魅了してきたのか、そしてその真実は何なのかを解説します。


参考文献
the controversial history of the crystal skulls: a case study in interpretive drift
https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/17432200.2015.1059128

The origins of two purportedly pre-Columbian Mexican crystal skulls
https://www.sciencedirect.com/science/article/abs/pii/S0305440308001052


ライター:榊田 純(Sakakida Jun)
動物、歴史・考古学、地球科学など、身近な疑問からロマン溢れる話題まで広く興味があります。どなたにでもわかりやすい記事を書くのが目標。趣味は映画、ゲーム、ウォーキング、ホットヨガ。とにかく猫が好き。


クリスタル・スカルの歴史

オーパーツは古代の遺跡などから発見された工芸品が、その発掘年代の技術で作れるはずがないと判断された場合に主張されるものです。

例えば、古代人が恐竜の土偶や彫刻を作っていた場合、知りうるはずのない知識が記録された遺物としてオーパーツと呼ばれます。

クリスタル・スカルは3000年以上昔の文明によって作られたと主張されていながら、これを当時可能だったと考えられる研磨技術で作ろうとすると数百年近い時間がかかることから制作は不可能だったと結論されています。

また現代の加工技術を使って作られた痕跡は無く、遺跡から発掘されているため捏造の可能性も低いと主張されています。

こうして聞くと確かにクリスタル・スカルはオーパーツと呼ぶべき不思議な工芸品に思えますが、多くの場合、不思議な問題とは情報が矛盾していることで起こります。

つまりロマンに浸らず、誤った主張を洗い出せばオーパーツは科学的に解決できる場合が多いのです。

それを踏まえて現在までに見つかっている有名な4つの水晶髑髏について、どのような経緯があったのかその歴史を見ていきましょう。


1.「ヘッジス・スカル」

クリスタル・スカルの中でも最も有名なものは、アンナ・ミッチェル・ヘッジスという女性が発見したとされる「ヘッジス・スカル」です。

彼女は1924年〜1927年、冒険家である父親に同行し、ベリーズ(中央アメリカ北東部の国家)のルバアントゥン遺跡の倒壊した祭壇の下でこの髑髏を発見したとされています。

ヘッジス・スカルは、「破滅の髑髏」とも呼ばれていました。それはミッチェル・ヘッジスが「この髑髏は3600年以上前のもので、かつてはマヤの高僧の所有物であり、その高僧は髑髏の魔力によって他者を死に追いやることができた」と主張していたことからきています。

しかし、ヘッジス・スカルは本当に3600年以上も前のものなのでしょうか。

ヒューレット・パッカードの研究所が1970年代に実施した調査では、「道具による加工痕がなく、ひびも入っていない。制作年代は不明である」との結果でした。また、当時は人力による手作業で作成するには300年以上かかるとも言われていたため、「場違いな工芸品」、所謂オーパーツではないかと言われるようになったのです。

しかし、2008年4月にスミソニアン研究所が行った精密な調査では、表面にダイヤモンド研磨剤などの近代技術による加工跡が確認され、制作されたのは「近代」であることが判明し、ベリーズの遺跡で発掘されたものではないと結論付けられました。

また、アンナ・ミッチェル・ヘッジスは1924年〜1927年の間にこの髑髏を発見したと主張していますが、その主張は1940年代以降に始まったものであり、実際にルバアントゥン遺跡でこの髑髏が発見されたという記録は残っていません。

さらに1943年、彼女の父親がオークションでイギリスの骨董商のシドニー・バーニーという人物から購入したという記録が残っていたのです。

以上のことから「ヘッジス・スカル」は、彼女が利益や名声を得るために利用したものであると考えられています。


2.大英博物館のクリスタル・スカル

大英博物館のクリスタル・スカル
大英博物館のクリスタル・スカル / Credit:en.wikipedia

次に、現在大英博物館に所蔵されているこのクリスタル・スカルの歴史を追ってみましょう。

この髑髏は1881年にパリの古物商、ユジーン・ボバンという人物が所有していた記録から始まります。

当時、ボバンはこの髑髏をアステカの工芸品であるとし、メキシコの国立博物館に売却しようと試みましたが、その目論見は失敗します。

その後、ボバンはパリからニューヨークに事業を移転し、この髑髏はジョージ・H・シソンという人物に売却されました。

1887年、ニューヨークの米国科学進歩協会の会合で公開された後、オークションでティファニー社がこの髑髏を購入し、1897年に大英博物館に売却しました。

この髑髏は、ヘッジス・スカルとよく似ていますが、細部はヘッジス・スカルほど精密には作られていません。

大英博物館はこの髑髏について、19世紀のヨーロッパ起源であるとし、「先コロンブス期の本物の工芸品ではない」と記述しています。実際、この髑髏はヘッジス・スカル同様、現代の技術を使って作られたことが確認されており、古代のものではないことが明らかにされています。

古物商のユジーン・ボバン
古物商のユジーン・ボバン / Credit:en.wikipedia


3.パリのクリスタル・スカル

パリのケ・ブランリ美術館のクリスタル・スカル
パリのケ・ブランリ美術館のクリスタル・スカル / Credit:en.wikipedia

パリのクリスタル・スカルも大英博物館のクリスタル・スカルと同様に、古物商、ユジーン・ボバンが所有していたことが明らかとなっています。

ボバンはこの髑髏を他の2つの小さな頭蓋骨と一緒に売却し、最終的にフランス・パリにあるケ・ブランリ美術館に収蔵されました。この美術館では世界各地の先住民族の芸術と文化を展示しています。

この髑髏は、フランス美術館研究修復センターによって科学的な調査が実施され、明らかに現代の工具が使用された形跡があると結論づけられました。つまり、この髑髏も先コロンブス期のものではないのです。


4.スミソニアンのクリスタル・スカル

スミソニアン博物館に収蔵されているクリスタル・スカルは、1992年7月、匿名の寄贈者から博物館に送られてきました。この髑髏はイギリスやパリの類似品よりも一回り大きく、さらに独特なのは、その内部が空洞である点です。

寄贈者は、「この髑髏はアステカのものであり、かつてのメキシコの独裁者、ポルフィリオ・ディアスが所有していた」と主張しました。

しかし、この髑髏にも科学的調査が行われると、20世紀以降にしか存在しないカーボランダム(炭化ケイ素)という研磨剤が検出されました。この髑髏もまた、先コロンブス期のものではなかったのです。

以上4つの有名なクリスタル・スカルを紹介しましたが、世界には他にもさまざまなクリスタル・スカルが存在しており、そのほとんどは個人のコレクターが所蔵しています。他の髑髏の中にも、マヤ文明の神官が所有していたなどの伝承がある髑髏がありますが、先コロンブス期に作られた証拠が提示されたものは存在しないようです。

つまり多くの人たちがオーパーツの代表だと思っているクリスタル・スカルは、実際には19世紀以降に作られたものばかりなのです。

しかし、なぜ似たような水晶髑髏が、それほどたくさん存在しているのでしょうか?


ここから先は

1,841字 / 3画像

この記事は現在販売されていません

よろしければサポートお願いします!頂いたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます。