干した草の汁と、苦味と運。
カモミールティーを淹れながら、ふと思う。
こんな干した草の汁を飲んで、自分は何をしているんだろうと。
でも、美味しい。だからお湯を注ぐ。
“干した”といえば、干し芋。
干し芋も美味しい。大好きだ。
高3の頃、毎日帰り道に干し芋を食べていて、3㎏太ったことがある。
ちょうど、今くらいの寒空の下だった。
安い中国産の品種不明の干し芋と、国産紅はるかの干し芋。紅はるかは高校生には高級品。いつもスーパーで真剣ににらめっこして、時々紅はるかにしていた。
干しただけ。
お茶、芋、柿、米、木の実、肉、魚、海藻、キノコ……。
干しただけなのに、こんなに美味しくなるなんて。
干すと栄養価が高まり、うまみ成分ができるのだそうだ。
人間も、水分を絶ち干したら……うまみ・味のある心身になれるだろうか(分かっている。おかしなことを言っているのは。だから何も言わないで欲しい。ツッコミ不要)。否、その前に死ぬ。
味のある人間とは?
味といっても、苦味・酸味・甘味・辛味・サラミ……サラミは違う。それはつまみ。
何味の人間になりたい?
私は苦味かなぁ。
これを読んでいるあなたも、考えて欲しい。
酸は強すぎると、周りを溶かしてしまう。
甘はその粘度でベタベタになり離れられなくなってしまう。
辛は燃え上がり、皮の内側に入り込むと腫れて痛んでしまう。
苦は、ただただ自分が不愉快になるだけ。
それなら、苦味がいい。苦しいのは、自分一人だけでいい。
「苦労は買ってでもしろ」という言葉があるが、嘘だと思う。
苦労なんて、しなければしないだけいい。買ってまでなんて、もってのほか(もし私が意味を履き違えていて、身になる真意があるとしたら自らの学のなさにお詫びします)。
生きるのに不要な苦しみに、わざわざ近寄る必要なんてないのだ。ひねくれて歪んでいくだけ。
他人の痛みがわからない、理解・想像できないほど共感力がなかったら少々難があるが、そうでないなら無用の長物。
経験しなくて良い出来事や、知らなくて良い知識はそもそもなぜ本来“しなくていいこと”とされているのか。
それは持っていても身にならない、プラスに働かないからだ。
いらないものは、いらない。
本来いらないものを体験、蓄積していくとロクな結果にならない。
病気にかかったり、正しい選択ができなくなったり、そちら側に浸かりすぎて戻ってこれなくなる。“普通”に物足りなさを感じ、何かを犠牲に本来いらないものを求めるようになってしまう。
いらないものとは、そういうものだ。
足を踏み入れないで生きていけるなら、そのほうがいい。
AV女優だってそう。この話題を先に進めると話がそれるし長くなるし、何より今の立ち位置の私が掘り下げるのは賢い内容じゃないので終わらせるが、私個人はそう思っている。
さて、原因不明の腹痛が丸二日収まらないので、今夜もよく眠れる気がしない。うっ! また来た! こんな年の瀬に勘弁してほしいものだ。全く。
これを読んでいただいてる皆さんも、体調にはくれぐれもご留意して欲しい。と、口ではそう言っても、実際体調不良や病気なんて別になりたくてなる訳がない。当たり前だ。
運次第。
運も実力の内なんてのは、弱者が見えていない成功者か、できたはずなのに必要な力をほんの僅かも備えてこなかった負け惜しみ……と言い切るのは早計か。反省。もっと深いところまで考えねば。全て自分に返ってくる言葉でもある。
日付が回った夜更けのひとりごと。大晦日。27時。
厳かな時間に失礼をば。