言いたい事も言えないこんな世の中じゃ
これはある男の話である。
男の会社は物造りをしており、オーナー社長が「開発」を担当している。
それは正に絵に描いたような「ワンマン会社」であった。
その日は毎週実施している全体会議の日で、先週行われた某分野の「合同展示会」に出展した際の感想を発表する場でもあった。
5年前、2015年の出来事である。
社長
「では各自感想を聞かせてくれ」
会議には役員やコンサルの先生まで出席していた。
社員①
「他社の製品で目を引く物はなかったです」
社員②
「自社製品の品質の良さが再確認できました」
社員③
「やはりウチのような完成度の高い物はないですね」
などなど経営者にとって「耳障り」の良い感想ばかりが、まるでラジオの様に会議室に流れその場はまるで「沖縄」のような生ぬるい風が吹いていた。
ちなみに11月秋の出来事である。
男
本当にそう思っているのか・・・?
男は社員達の報告内容に疑問を抱いていた。
何故なら明らかに自社製品と比べて遜色ない物が他社からリリースされていたからだ。
司会
「では次、男さんお願いします」
男の出番となった。
男は少し迷いはしたが、意を決しまとめてきた「台本」をそのままを読み上げた。
男
「販売力トップの大手が自社を模倣した商品を販売しようとしています」
男
「今後徐々にシェア率を奪われる可能性があります」
男
「パテントで争うのが難しい場合、新たなる新製品の開発を急がなければならないと思います」
男が伝えたいことは、先のことを考えると決して楽観視できない。
その為には更に良い物を造らないといけないのではないか?
ブルーオーシャンがレッドオーシャンになる。
そのことを伝えようとしていた。
男の発表が終わると、その場は一転シベリアの様な「冷たい」空気が流れた。
社長
「キミはどの立場でモノを言っているんだ?」
男の社長は冷静な口調で問いかけた。
隣にいる役員やコンサルの先生も社長に同調し、怪訝な顔で男を観ている。
男
「私は自分が思ったことを言っただけです」
男は8割方はこうなるのではないか?と内心思っていたが、残りの2割に僅かながら期待をしていた。
わかってくれると少しばかり博打に近い気持ちで臨んでいたのだった。
男は長いサラリーマン人生の中で「自分を偽り」その場を切り抜ける事に限界を感じつつあった。
帰りの車の中やシャワーを浴びている時に、その事が「フラッシュバック」しなんとも言えない気持ちに襲われてしまう。
心の奥底に閉じ込めている「モンスター」がふとした瞬間に暴れ出すのだった。
周りの社員は波風を立てた男を若干迷惑そうに見つめていた。
面白いことに社員誰一人「俺も」「私も」と同調する意見を述べる者は現れなかった。
その後男は会社を定時で退勤し、立腹している社長宅に呼ばれた。
そこで待っていたのは「叱責」という3時間のワンマンLiveだった。
男は思った。
社長が仮に社長で無く「開発部長」であったのなら、この状況は仕方のないことだと。
「創作力」「アイディア力」の無い人間に「開発を急げ」と言われれば腹が立つ気持ちはわかるような気がする。
だが、男が思う「社長」とは5年10年先のことを考えて舵を取らないといけないキャプテンのような存在なはずだ。
男の言ったことに少々腹を立てつつも「でもこいつの気持ちも分かるな」という考えがなかったことが、男を憤らせる。
結局「職人思考」なんだなということが浮き彫りとなった。
男は思った。
極端な話し「社長」って誰でも成れるのではないか?と。
紙とハンコと収入印紙とその他手数料合わせて25万円あれば誰でも「社長」に成れる。(資本金は別として)
能力うんぬん関係なく社長としての「肩書」はつく。
25万円で場末のフィリピンパブ辺りで「シャッチョサン、シャッチョサン!」と慕われ、微々たる恩恵を受けられるのではないだろうか?
その逆に「課長」「部長」は誰でも成れるのだろうか?
「実績」「人格」「キャリア」等など求められるものが多いはずだ。
斜めの視点から観て「社長」よりもグンとハードルが高いような気がする。
男はしばらく社長の叱責を黙って聞いていた。
社長の「目」「顔」そして「身体全体」を見て叱責を受けていた。
男は社長の人体の部位をただ見ているわけではない。
その人間の奥底のある「人格」を見つめていた。
男は約3時間の叱責に耐え、目の前に差し出されていた「ジンジャーエール」を一滴も飲まずに帰宅した。
その「ジンジャーエール」は氷が溶けグラスから溢れ掛けていた。
その光景は男の「サラリーマン人生」を物語っているかのようだった。
2020年になり
あれから5年が経過し
強豪他社にシェア率を奪われ
当時男が懸念したとおりの
状況になっていることは
言うまでもない。
終わり