なんか書いてみよう
絶対に自分の名前を検索してもこの記事に辿りつかない方法をいくつか考えてみる。デジタルタトゥーは怖い。ラドンも「そうだそうだ」と言っています。
1つ目、「気をつけて書く」。
これは残念ながらSNS慣れしていない僕には難しいようだ。直前に載せた、何言っても同意してくれるラドンの画像でさえLINE感覚で貼ってしまう。そのうち誰かに怒られるんじゃないか、とふと思ったが怒られないと法律も調べる気にならないので怒られるまでこのままにしてみる。1人ぐらい法律に無頓着なやつがいた方がきっと健文会のみんなも気楽に投稿できるしこれはみんなのための行為だと言っても過言ではない。うん、そうに違いない。
2つ目、「とにかく地名を出さない」。
自分の行った先々の地名を出さなければこのブログで僕が誰なのか探ろうと思っても探れないのではないか。とてもいいアイデアだ。でもこれだと、「どこどこに行った!」という報告をすることで得られる満足感や楽しかった思い出の整理ができなくてブログに書き込むのがめんどくさくなり、しまいには家に引きこもり始まるからやめとこう。「地名を出さない」のは、やめとこう。
3つ目、「とても気をつけて書く」
やっぱりデジタルネイティブとしてのネットリテラシーーを発揮して自分の身を守るのがいいのではないか。それが一番ではないか。でもこれだと「内容はこれでいいだろうかうっかり燃えないだろうか」という不安を抱えて生活する羽目になってストレスに耐えきれなくなって、しまいには家に引きこもり始めるからやめとこう。「とても気をつけて書く」のは、やめとこう。
4つ目、「名前を出さない」
最初からこれだけ気をつければよかったのではないだろうか。名前さえ出さなければ将来どこかで面接される際にも名前を検索されて何かの偉い人に採用で難色を示されることもないだろう。ここで名前さえ出さなければ検索されてもGoogle scalarで登録したアカウントや学校の広報の写真にご機嫌で写ってる僕の写真が出るだけで済むだろう。写真出るじゃねぇか!ばっちりとにこやかな自分の顔が収められた写真がこの世界のネットには出回っているじゃねぇか!気づかないうちに僕は名前を知られた時点でいつでも誰でも顔を知ることができるフリー素材のような存在になっていたのだ。とっても嫌なことに気づいてしまった。危機感を覚えた。学校の広報め、許可もなく人の顔をネットに晒しやがって、、!
しかし、これは逆に言えばもうこれ以上悪くなることは難しい、と考えることもできる。つまりこのブログは自由に書いてもいいのではないだろうか。ラドンの画像は好きなだけ使えるし、行く先々の地名も心いくまで書き記そう。法律も好きな法律だけ守ればいいや。僕はネット無敵の人になったのだ。学校の広報が産んだネットの怪物だ。