好きなことで生きていく。
最近よく聞く流行りの言葉。
生きてきた人生の中で好きな事を極め、コンテンツ化しその収益で生活していく。
とてもいいキャッチコピーだと思う。
しかしながら人間は生まれながらに完成されている。好きな事で無くとも生きていかなければならない。与えられた命のマラソンを完走しなければならない。そう全員プログラムされている。距離は人それぞれでゴールした時に完走かどうか周りが判断してくれる。命を投げ出すのは推奨しない。だがそれも結構。産まれ落ちた命、全ての判断はその人自分にある。
話が逸れたが生きていくのに好きか嫌いかは重要ではない。生きていく事こそが最大のテーマであるということを言いたい。そのテーマは生まれながらに持っているので生まれた時点で人間は完結している。生まれながらに答えを持っているのだ。
好きな事でも嫌いな事でも全て、同じこと。
生きるという目的を達成し続けること。いま、ここに生きているんだという証。あってもなくてもいい。残しても残さなくてもいい。ただ、いま、此処に、自分が生きているんだという事実を多くの人に認識してもらい、それを祝福して貰えたら、それでいいと思う。
あとは終われば誰彼と同じ様に土に還る。自分をコピーした命を残して。そしてまたその時までクルクルと廻る。どこかで切れても誰かが紡ぐ。地球は誕生した時からこのシステムが根底にあったのだと思う。もしくは地球誕生後、外部的または内部的にプログラムされたものなのか。
この環から抜ける事は出来ないし、一生を死ぬまで生きていくだけ。だから俺もそこまで命に執着していない。死にたくはないけど悲しくはない。仕方ないよ、そういう仕組みなんだから。
だから少しでも輝ける日が多いとワクワクする。誰かに何かをしてあげたいって思う。俺まだ生きているから。時に1人で成し遂げる事も重要ではあるが複数で成し遂げた事の方がより感動出来る。小さな気持ちが大きくなるまで集まって一つの結果を成す。喜びは仲間と分かち合い生きる色達は強くなる。
でも、いつか必ず死ぬ時は来る。親も、子供も、その子供も。順番はあるけど選べない。生まれた時から個別に決まっている。与えられた肉体と寿命、年齢は人間の呪い。
ただ、そんな時間の暇潰しの中で自由に生きていい。人に迷惑をかけない程度に。
こんな人生達が一生、廻っては消えて、産まれて廻っては消え、また産まれて廻っては消える。
幾星霜何兆回廻ったのだろうか。
だからと言って悲観的に死ぬ事はない。
君が今日を生きるために好きな事をしよう。自分にしか出来ない自分のためだけの愛を自分に捧げよう。
きっと思っている以上に世界は残酷だけど、きっと思っている以上に世界は愛で満ちている。
昨日の俺から今日の俺へ。
各地よき日を。
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