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ご先祖様の言葉③「地獄も天国も存在しない」
2024年10月出版『ご先祖様が教えてくれた 心の終活』の全文を各章ごとに掲載しています。
今回は、ご先祖様の言葉③「地獄も天国も存在しない」を掲載します。
ご先祖様の言葉③「地獄も天国も存在しない」
「地獄が存在しないと聞いて安心しました。けれど、天国も存在しないというのはどういうことでしょう?あの世はとても素敵なところだと勝手に思っていたのですが・・・。」
するとご先祖様は答えました。
『私が言っているのは、あなたがたが考えるような地獄や天国は存在しないという意味だよ。あなたがたは人生への不足不満や苦しみへの恐怖に基づいて死後の世界を考えたがると言ったね。多くの宗教で「天国と地獄」という概念が語られるが、そのような安易な二元論を作り出したのは宗教の開祖たちではなく、あなたがた自身の不満と恐怖だ。』
私は驚いてこう返しました。
「私たち自身・・・?一体どういうことでしょう?ということは、多くの宗教は間違った死後の世界を教えているということですか?」
『間違っているとは言い切れないが、あなたがた大衆がそのような考え方やイメージを支持して来たということだよ。あなたがたの善悪や優劣の心を煽り立て、不安がらせたい人々は世の中にたくさんいるからね。例えば今のあなたがたがお金や社会的ステータスに翻弄され、勝ち組だ、負け組だと言って一喜一憂しているのも同じことだ。あらゆる人々が不足不満、あるいは不安恐怖による善悪のジャッジで世界を眺め、自分や他人の人生を眺めている。その価値観が「天国と地獄」という言わば命における勝ち組、負け組のような概念を形作って来たのだ。そもそも、古い宗教だからといって何もかも正しいわけではないのだよ。開祖と言われる人々が語った元々の言葉と、後の人々があらゆる意図を持って歪めた教義が混在しているということだ。宗教というのは、必ずしもあなたがたが思うほど善なるもの、神聖なものとしてばかり機能して来たものではない。人類の歴史をよく見てごらん。宗教というものがいかに時の権力と密接に関わり合って来たことがわかるだろう。』
私は少し戸惑いながら答えました。
「・・・難しい話はわかりませんが、いずれにしても「天国と地獄」のような人々の不足不満や恐怖感を煽る二元論は、本来の正しい教義ではないということですね・・・?」
『あなたがたの言う地獄も天国もこちらには存在しないのだから、そういうことになるだろう。では、本当の死後の世界とはどういうものか、出来る限り簡潔に伝えよう。』
私は生唾を飲み込んで聞き入りました。
『繰り返すが、まずとても重要なことは、死とは生の延長に過ぎないということだ。あなたなら、魂が存在することはわかるね?魂とは、あらゆる生命の本質のことだ。特定の形を持たない意識だけの存在と言えばわかるかな?あなたがたが自分自身だと思っている肉体は、実は魂の入れ物に過ぎない。そして死ぬということは、入れ物である肉体から魂が抜け出して、意識だけの状態に戻ることを言うのだよ。水は冷やして氷になろうと、蒸発して気体になろうと、形態を変えて存在し続けるだけで消え去ることはない。それと同じことだ。』
「肉体が魂の入れ物に過ぎないというのはよくわかります。私は宗教を持たないけど、その概念は心のどこかでずっと信じて来ましたから。水の例えはわかりやすいですね。肉体というコップが壊れて中の水が蒸発してしまったら、私たちの目には消えたように見えるけど、気体としては生き続けているということですね?」
『そのとおり。そしてそれは生と死を語る上での大前提だ。一番大切なのはここからだよ。』
私はさらに身を乗り出しました。
『あなたがたの多くは、死を迎えれば良くも悪くも何かが大きく変わると思い込んでいる。まずはそれがそもそもの取り違えだということを知る必要がある。死とは生の延長に過ぎないと言ったね。死ぬということは、魂が肉体を脱いで意識だけの状態に戻ることに過ぎない。つまり、生前の記憶や意識状態は死後もそのまま持ち越される。肉体がなくなることで意識が軽くなり、ある程度の広い視野を取り戻すことは出来るだろう。しかし、死を迎えた直後の意識とは、死ぬ間際のそれとあまり変わりがないのだよ。』
私は少し混乱して答えました。
「驚いたな・・・。死を迎えて肉体を脱げば、少なくとも生前悪いことをして来なかった人々は楽になるのだと思っていました。向こうの世界のこともすべて思い出すのだと思っていましたよ。」
「もちろんそういう人もいるだろう。しかし、それは生前に死後の世界に対してある程度の理解を持ち、学んだ人たちの話だ。あなたがたは愛する人が死を迎えた時、安らかに成仏出来るようにと願うだろう。成仏とは、死を迎え、肉体を脱いだ魂が次にどこに向かうべきかを悟ることを言うのだよ。それがわからず、右往左往しながら迷い続ける状態を未成仏と言うのだ。あなたがたがいわゆる「幽霊」と呼ぶ存在たちは、この未成仏の状態にある魂たちのことだ。私たちの世界では、彼らのような魂が一時的に留まる領域を幽界と呼んでいる。』
「ええ、わかります。きっと今のような時代でも多くの人がその概念をどこかで信じているでしょう。でも、きっと何となくなんだろうな・・・。確かに私たちは誰かが亡くなればその人の冥福を祈り、成仏して楽になれるように願うけど、そう言っている自分たちも死後の世界についてよく知らず、それを本気で学ぼうとする人はほとんどいません。おっしゃるように死後の世界があること、目に見えない世界があることはどこかで知っていて、信じてはいるのに、半分は迷信のように思っているというか、あやふやにしたまま生きてしまっているということですね。」
『私が伝えようとしているのはまさにそういうことだよ。別れ行く人々の成仏を必死に願いながらも、自分が死を迎えた時、果たして成仏出来るだろうかとは誰も考えない。だから私たちは、死後の世界を迷信やあやふやな認識ではなく、まごうことなき真実だととらえ、真剣に対峙しなさい、深く考えなさいと言っているのだよ。繰り返すが、生と死とは分かちがたく延長線上に続いているものであり、二つで一つなのだ。死に対峙することは生に対峙することであり、より良い人生を生きようと思うならば、同時により良い死後について考える必要があるのだよ。』
「それなのに、私たちは目に見える世界を生きることばかりに執着し、本来一対であり、生から切り離せないはずの死について真剣に考えることを放棄して来たということですね。」
『そのとおり。だから、生きているうちに死後の世界について学び直し、いつ死を迎えても迷うことなく成仏出来るように、こうして伝えているのだよ。』
私はさらに話を遮って言いました。
「成仏とは、肉体を脱いだ魂が次にどこに向かうべきかを悟ることだとおっしゃいました。死を迎えた魂が向かうべきところとは、具体的にどこなのでしょうか・・・?私はそれが天国だと思っていたのですが、天国はないともおっしゃいました。では、私たちは死後、一体どこへ向かうべきなのですか?」
ご先祖様は、私を試すように少し微笑んで答えました。
『では反対に質問しよう。あなたがたの多くは、朝が来れば家を出て、一日の大半を仕事場で過ごすだろう?そして、果たすべきその日の仕事を終えたらどうするかね?』
私は首を傾げながら答えました。
「その日よっぽど嫌なことがない限り、居酒屋には寄らずまっすぐ家に帰ります(笑)。」
『私が言っているのはそういうことだよ。この世はあなたがたの魂の仕事場なのだと考えてごらん。死とは仕事を終え、タイムカードを押して会社を出ることだ。』
「ああ、なるほど。それなのに、私たちは家に帰る道を忘れてしまっている、ということですね・・・。つまり、私たちが死後行くべきところとは、「魂の家」のような場所、ということですか?そこは私たちが思い描く天国とはどう違うのでしょうか・・・?」
『あなたが言うように、人がこの世での仕事を終えて帰るべきところは、まさに「魂の家」だ。とても美しい言葉だね。あなたがたが一生を終えて迎える死とは、より大きな時間の中を生き続けている魂にとっては、一日の仕事をやり終え、退社するような出来事に過ぎない。しかし、生前の生活の中で「魂の家」があるということを忘れてしまえば、仕事を終えてタイムカードを押しても、会社の前に立ち尽くしたまま途方に暮れてしまうだろう。帰り道を忘れているどころか、自分の家があることすら忘れてしまっているのだからね。私たちが何より伝えたいことは、あなたの言う「魂の家」、つまり肉体を脱いだ魂が帰るべきところがあるということだ。しかしそれは、あなたがたが天国と呼んで思い描く一定の場所ではない。イメージしにくいかもしれないが、あの世には場所や時間というものはないのだよ。ないというより、場所も時間も条件によって自由自在に変化する世界なのだ。』
「それってまるで魔法の世界じゃないですか・・・!ディズニーとか、ハリー・ポッターのような・・・。」
『あなたがたには信じられないかもしれないが、それがこちらの世界のリアリティなのだよ。世界の本質と言ってもいい。』
「・・・ああ、何だか聞きたいことが次から次へと溢れて来ます(笑)。だいたいなぜ私たちはあの世のことを忘れているのでしょう?最初から死後のことや「魂の家」について覚えていれば、成仏出来ずに苦しむこともないじゃないですか。あの世の記憶をリセットして生まれるなんて、なんだか意地悪なシステムのように感じてしまうのですが…。」
『記憶を消して生まれることを望んだのはあなたがた自身だと言ったら?例えば、始めからタネがわかっている手品を見せられてあなたは楽しいと思うだろうか?始めから詳細な地図を渡されてチャレンジする迷路を楽しいと思うかな?始めからシナリオも結末もわかっている映画を観たいと思うだろうか?人生とは謎解きと発見に溢れた宝探しゲームのようなものだ。そしてその宝とは、あなたがたの魂の記憶そのものなのだと考えてごらん。暗く小さな井戸の中だけが世界だと思い込んでいた蛙が、ある日どこまでも広がる大海を知った時の感動を想像してごらん。あなたがたがなぜわざわざあの世の記憶を消して生まれて来たかがわかるだろう。その設定こそ、最終的に最も深い幸福感を得ることが出来、一番ワクワクして楽しそうだと思ったからだよ。』
「なるほど・・・。この世は魂の仕事場だとおっしゃいましたが、仕事内容は宝探しゲームなのですね!(笑)私はデスクワークが苦手なので、そう考えるだけでずいぶん心が楽になります。」
『そのとおり。それぞれの魂の目的に沿って、より刺激的で、より有意義な体験をするために、あなたがたは人生のあらゆるイベントを設定して生まれて来たのだよ。家庭環境も、人間関係も、人生のおおまかな経路も、それらを設定して来たのはどこかの神ではなく、あなた自身だ。それを忘れなければ、自分の人生やあらゆる出来事に「なぜ」や「どうして」という不毛な問いを抱くことはなくなるだろう。すべてはあなたが作ったゲームなのだからね。それも、上級者向けのハードモードをあなたがたは選んだのだよ。』
「自分で作ったゲーム設定に、毎日なんで?どうして?と首をかしげ、憤慨し続けているのが現代の私たちなのですね・・・。」
『では話を戻そう。生前に死後の世界について学び、魂は死後も生き続けることを理解している人間は、死を迎えて肉体を脱ぎ、生前の人生を一通り回想した後、迷うことなく自分の魂の故郷へと帰って行く。しかし、それはあなたがたが考えるような一律に定められた場所ではなく、それぞれの魂に縁のある世界のことを指すのだ。自分に関係の深い星に帰る者もいれば、さらに高次元の領域に帰る者もいる。同じ会社に勤めていても、社員たちの家はそれぞれ違うだろう。それと同じことだよ。それぞれの「魂の家」をマスターソウルなどと呼ぶ人もいる。一人一人の魂の本体のような意識に帰って行くのだ。つまり、本当の意味での「魂の家」とは、特定の場所を指すのではなく、意識状態のことを言うのだよ。あなたがいみじくも「魂の家」と言ったように、すべての生命、すべての存在が一つであり、家族のように感じられる意識状態に帰るということだ。それを存在の本質とか、存在の源と言ってもいい。』
「うーん、わかるようなわからないような・・・。でも、帰るべき場所が皆同じではないということはわかりました。それは私たちが思い描く天国のイメージとはちょっと違いますね。すべての存在が一つであり、家族のように感じられる意識状態かあ・・・。壮大過ぎてちょっとピンと来ないかもしれません・・・。」
『今はそれでいいよ。この世とあの世では価値観も物事のとらえ方もまるで違うからね。何となくでもイメージ出来たらそれでいい。とにかく、死とは生の玄関口であること。そして、肉体を脱いだ魂はそこからそれぞれの「魂の家」に帰らなければいけないということを覚えておきなさい。それだけでもあなたがたが死後、迷いの中に置かれることはないだろう。そして魂の状態に戻った時、自分の帰るべき場所をごく自然に思い出すことが出来るだろう。』
2回目のメッセージはそこで終わり、目が覚めました。
まだ知りたいことや気になることはたくさんありましたが、私はこの大事なメッセージを一つ一つ回想しながら、懸命にノートに記録しました。
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