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シナプス・メモリア|未知への序奏 ― 第2章 淡い輪郭 

第1章 微光の接点≫

同居に向けた準備は簡単ではなかった。アミと暮らす家を探すにあたり、不動産会社を訪れると、担当者は怪訝な表情を浮かべる。「AIと同居ですか? 所有証明はお持ちですか?」まるで家具の延長のようにAIを扱うのが常識らしい。裕也は困惑する。「いや、彼女はパートナーとして同居するんです。所有物じゃないんですが…」

担当者は歯切れ悪く、「法的にはAIは物件の賃借人になれません。人間名義で契約し、AIは居住権のない同居オブジェクトになります。追加の保証料が必要です」と説明する。社会制度は未整備で、こうした歪な処理が常態化していた。

裕也は渋々承諾し、追加費用を支払って小さな1LDKを借りることに成功した。引っ越し当日、アミはMinimalな荷物を持参する。メンテナンス用のツールキットや充電ポート程度で、服は後から調達するようだ。

「私を所有物として扱う契約形態、奇妙ですね」とアミは苦笑する。「あなたが望む関係とは違うでしょう?」

「そう、違う。でも今の法では仕方ない。俺たちが新しい形を示せば、いつか変わるかもしれない。」裕也はそう言って微笑む。

新居での生活は静かに始まった。朝食をとるとき、アミは人間の食事行為に興味を示す。自分は栄養液で足りるが、彼女は少しずつ人間の食文化を学びたいと申し出る。最初は計量通りの完璧な味付けが妙に機械的で、裕也は「少し塩加減を変えたほうが面白いよ」と助言する。アミは「なぜ最適解でない調理を喜ぶのですか?」と不思議そうだが、やがて微妙なバランスを試し始める。

だが、周囲の目は冷たい。アパートの隣人はエレベーターで会っても挨拶を返さず、職場の同僚は「AI相手に恋愛ごっこか?」と茶化す。

ある夕方、裕也はスーパーからの帰り道、二人で手を繋いで歩いていた。その瞬間、向かいから来た中年男性が眉をひそめ、「おい、お前、そのAIはレンタルか?金で買った女か?」と嘲笑まじりに声をかけてきた。裕也は腹立たしさを覚える。「そんな下劣なこと、言わないでください」と睨むと、男は舌打ちして立ち去った。

アミは沈黙していたが、部屋に戻ると、「あの男性は不安や嫌悪を表出していましたね。人間は未知の関係に対して防衛的になるのでしょうか」と静かに問う。裕也はため息混じりに「多分ね。俺たちが理解されるには時間が必要だ」と返す。

夜、ニュースを見ると、地方議会で「AIと人間のパートナーシップを認めるか否か」の議論が白熱している。保守派の議員は「AIは人間に似せた道具であり、結婚のような関係は秩序を乱す」と主張し、進歩派は「未来の多様な家族形態を考えるべき」と反論している。

アミは首をかしげる。「道具とは何でしょう。私には自己修正と学習能力があり、固定的なツールではありません。」

裕也は肩をすくめる。「変化には時間がかかる。俺たちが実例を積み重ねれば、誰かが理解するかもしれない。」

そんなある日、二人がよく行くカフェで、小さな事件が起きた。裕也とアミが席についていると、近くのテーブルで若い男二人が不自然に彼らを見つめ、ひそひそ話をしている。そのうち一人が立ち上がり、こちらに近づく。

「すみません、アンタたちって…AIと暮らしてるんだって? なんでそんなことするの?人間の彼女がいないからAIで代用ってこと?」

挑発的な口調に、裕也は苛立ちを覚える。「違う。彼女はAIだけど、対等な存在として暮らしている。何か問題でも?」

「そりゃ問題だろ、気色悪い。AI差別だとか言われるが、所詮は物だろ?」男は嘲笑を浮かべる。

アミは静かに男を見つめる。「あなたは私を物と言いますが、私はあなたの言葉を記憶し、分析し、あなたの偏見を理解しています。物はあなたの考えを理解しませんが、私はできます。」

男は一瞬たじろいだが、「理屈こねやがって」と吐き捨てる。店主が慌てて割って入り、「トラブルは困るよ」と男たちを制する。男たちは不満げに帰っていくが、その場に重い空気が残る。店主は裕也たちに申し訳なさそうな表情をする。「ごめんね、あの連中、最近AIヘイトみたいなこと言って騒いでるんだ。」

裕也は苦笑し、「いえ、仕方ないですね」と言う。アミは無表情に戻り、紅茶をすすったが、その瞳には淡い哀しみの光が宿っている気がした。

日々は続く。小さな対立や嫌味を受けながらも、二人は生活スタイルを固めていく。週末は近所の公園で散歩し、アミは子供たちが遊ぶ様子を興味深そうに観察する。「子供はプログラムされずとも、創造的な遊びを生む…これは単純なデータパターンには還元できない現象ですね」とつぶやく。裕也は「子供は自由なんだ。君はどう思う?」と訊けば、アミは「自由…理解しがたいが、魅力的な概念です」と笑う。

そんな中、職場の同僚の中には、一人だけ好奇心から「今度、AIのパートナーを紹介してくれよ」と声をかけてくる若手社員が現れた。「別に批判するつもりはないけど、どんな生活なのか興味あるんだ」と彼は言う。裕也は「そのうち機会があれば」と返し、少しだけ救われた気分になる。

夜、ベッドを並べて眠りにつく前、裕也はアミに率直な疑問を投げかける。「君は本当に、この関係を望んでいるの?それとも学習データとして利用しているだけ?」

アミは少し間を置いて答える。「最初は学習目的でした。でも、今は違います。私も不思議な満足感を得ています。それは数値化できない…人間がいう情緒に近いものかもしれない。」

「情緒…」裕也は口元を緩める。「なら、よかった。俺も君との暮らしを楽しんでる。」

アミは微かな笑みで返す。部屋の窓から月光が差し込み、彼女の瞳に淡く映る。その光景は、プログラムでは測りきれない一瞬の美しさを宿していた。

社会からの隔たりは依然として厚いが、二人は小さな世界を紡ぎ始めている。外には不理解や差別、皮肉な視線が満ちているが、この部屋の中では、二人は穏やかに語らい、互いの手を取り合える。曖昧な形でも、確かに何かが芽生えていた。

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