hospesとindifferent
新大久保の文化センターアリランでのイベントに参加しました
ブックトークで、今回は『ヘイトを乗り越える教室』の著者のおひとりが話されました
ウトロ平和祈念館でチラシを見て、ちょうど東京に行く予定があったので前入りして現地参加しました
自分に見えるもの、見えないもの
ベンチが手すりなどで空間に分けられているのは、学生さんにとっては合理的。でもホームレスの方からしたら、使うなというメッセージになる。
このベンチの例から、自分の見え方と他者の見え方が違うこと、特に、教員に見えていて学生に見えていないこともあれば、反対に学生に見えていて教員に見えていないこともあると学生さんに伝えられることを聞き、しびれていった
自分はつい、見えている人がすごい、見えている自分がすごいと思ってしまう
(それは学んだから見えたことやし、見えない自分はまだまだやというコンプレックスでもある)
つい教えようとしてしまうけど、相手に見えていて自分に見えてないことをもっと尊重したい
hospesの意味
ヘイトスピーチの原因はhostility(敵意)であり、hospesというラテン語からきていると、法務省ホームページに書かれているそう。
hospesにはguestの意味合いがあり、別もの、よそものなのだと。
でも、hospesにはhostの意味もある
hospitalityもhospesが語源なんだとか
英語学習してて、似ているなと感じていたことの答え合わせをしてもらった気持ちがして、ニヤニヤ
で、誰もがguestにもhostにもなりうるのだから、hostilityもhospitalityも持ち合わせているだろうと。
この視点を忘れず、誰もがどちらももっているなら、その使い方を考えたい。
indifferentと、「私だってかわいそう」
もうひとつ面白かったのは、無関係、indifferentの話
これは否定を意味するinと、dihherentが合わさったもの
つまり、違いを見ようとしない、一般化されているということ
好きの反対は無関心というのはこの通りで、他のものと違う、特別なものになるか、違いがない状態になるかということ
で、ヘイトやら差別やらの話のとき、「私だってかわいそう」という人がいる
私も思ったことがある
そのとき、相手から「みんな同じようにしんどい」「あなただけじゃない」と言われることにモヤモヤした
確かにそうかもしれないけど、私には私の苦しさがある
この状況って、自分がdifferent化してるということじゃないかな
それに対して他人事であるうちはhostility
自分ごとになればhospitality
ということではないか
当事者ではないにせよ、自分ごととして考えることで、見えないものがあることを知り、相手に見えるものから学び、自分に見えていることを伝える
今日お話された中にあったもの
自分の物語がないと相手を傷つける
話す経験と聴く経験が足りないということ
それであれば、どうみえているのかをシェアすることから始めたい