「アキナイイエ」で鳥取西部に新たな星座を描く。第一拠点の大山町「な◯」で小さな町づくり
言わずもがな、日本の各地で空き家が増加しています。ある推計によれば2033年には、空き家の数は約2150万、空き家率は約30%になるそうです。
そんななか、鳥取で偶然出会った空き家に一目惚れし、”住職一体”をめざす家「アキナイイエ」をつくろうと目論む人がいます。しかもそこでは、町の機能をギュッと詰め込み、複合的/多目的にいろんなことが(実験)できる場所にするんだとか。いったいどんな場所ができるのでしょうか。
3つのアキナイがある「アキナイイエ」
(な◯の母屋。この裏手に3つの蔵がある)
鳥取県西部に位置する、人口約16000人が住み、標高1700m超の大山(だいせん)がそびえる自然豊かな町、大山町。その山のふもとに構える古民家は、2階建ての母屋と蔵が3つ、さらに馬屋もある少し大きめのおうち。もともとは、30世帯程の集落の庄屋さんだったとか。
現在、家主となった大見謝らじをさんは、1年半前に東京から鳥取に拠点を移し、この空き家を使って「アキナイイエ」というプロジェクトを進めています。
「アキナイイエ」は、住み開きを前提とした、3つの「アキナイ」のあるイエをつくるプロジェクトのこと。
1. 住んでて/通ってて「飽きない」
2. 空き家の「空き(が)ない」
3. 「商い」が生まれる(住職一体となった)
(3つの蔵と母屋の間には、紅葉の木が。秋には紅く染まり風景を彩る)
少しダジャレ交じりではありますが...そんなイエをつくろうと、大山町にある名和(なわ)という地域(地区)で動きはじめました。そのアキナイイエの第一号として始動したのが「な◯」なんです。
逆転の発想から生まれた小さな町「な◯」
(な◯の入り口に続く道。家の隣は神社である。周辺には田畑が広がる)
名和という地域に「小さな町をつくろう」。そんな発想をもとに、名和の名前をもじって「な〇(なわ)」に決まりました。
はじめは、町(集落)全体をホテルに見立てた「まち宿」のようなことをやりたかったそうですが、徒歩圏内に立ち寄れるようなお店もなく、泣く泣く断念。ピンチはチャンス、「それなら!」と発想を逆転して、大山では家の敷地内に町のさまざまな機能を詰め込んだ場所にしようと考えたんだとか。
(母屋の縁側からは馬屋が見える。ここで朝食をとるのがな◯のすすめ)
敷地内に建物の数も多いため、それぞれをお店(商店街の空きテナント)のように見立て、宿泊や飲食、売店などの機能を増やしながら町っぽくしていこうとしています。
「多目的だから人が集まりやすくなるんじゃないかと思っていて、『な◯|アキナイイエ』としては、住人には心地よく、遊びなどで立ち寄る人にはおもしろがってもらえるような家にできればと思っています」(大見謝)
(母屋のスペースを開放して「縁側プレイバックシアター」が開催されたときの様子)
半径40km圏内、「近距離多拠点」の企み
(鳥取にゆかりのある人もときどき訪れる。東京と鳥取を行き来しながら、「わたしは覚えている」などの映像活動をしている波田野州平さん:写真左。岡山のゲストハウス「とりくぐる」運営を経て、地元鳥取で「鳥取銀河鉄道祭」に携わる野口明生さん:写真右)
な◯が開いて約1年ほどが経った現在では、”町人”として2人と猫5匹が暮らす場所になっています。住職一体の場として、「な◯」は「アキナイイエ」プロジェクトの最初の一歩であり、ゆくゆくは他の地域での2拠点目、3拠点目の家づくりを考えています。
今後の展望として、本拠地となる境港を起点に1時間(車だと約40km圏内)で移動できる地域を活動領域にできるように計画中。
というのも、現在のな◯の家に出会う前は、境港市(大山町の隣々町)にアキナイイエをつくろうと考えていた大見謝さん。2年半前に、町をふらっと歩いていたら、「あ、ここに住みたい!」と直観的に感じたそうです。
(境港駅すぐ近くにある、鬼太郎像。現在は177体の妖怪像が約800mにわたって並んでいる)
じつは地元沖縄伊平屋島の交流事業を通して、幼いときに境港に訪問したことがあり、町とのゆるやかな縁があったこと。また「妖怪検定」を持つほどに、民俗学や水木しげるの人生に興味があったことは大きかったのかもしれません。
しかし、仕事をきっかけに、境港と同じように大山町にも通っていたのです。何の偶然か、その滞在中に、空き家を紹介してもらい、まさかの一目惚れ。そこから予定を軌道修正し、アキナイイエ@大山が生まれることになりました。
(境港の夢みなと公園から見える、大山。鳥取西部全体においても大山は一つの象徴になっており、町を跨いで境港市〜米子市〜大山町の間を行き来する観光客も少なくない)
当初描いていた本拠点となる境港のアキナイイエづくりは後から。先に半径40km圏内にある大山町の拠点づくりから基盤を固めていきます。
そんな流れもあり、境港はもちろん米子にも、小さな拠点(アキナイイエ)をつくりたいと考えています(鳥取にかぎらず、島根の松江エリアも含め)。
鳥取西部の近距離圏内に多拠点をつくっていく。これがじっくりと数年かけて取り組んでいきたいアキナイイエプロジェクトの最終目標なのです。
「小さい移動がちょくちょくあるだけで気分も変わりますし、隣町同士を自分のプロジェクトで橫串刺してつなげられるとおもしろそうだなぁと思いまして。もちろんその感覚もな〇をやっていく中で変わっていくかもしれませんが、30代が終わるまでには鳥取西部でゆるく小さな多拠点ができるようにしたいです。その拠点の数だけ、地域内外の人との関わりが増えたらいいですね」(大見謝)
(伯耆町の「植田正治写真美術館」から眺めた大山。ちなみに、植田正治は境港出身であり、シンガーソングライター・福山雅治の写真の師でもある)
住職一体で地域との接点を探りながら、星取県といわれる地で隣町同士を新たな星座をつくるように結ぼうとするアキナイイエ。今までありそうでなかった拠点づくりがこれからど
うなっていくのかは、家主にも予想不可能。
関わる人によって変化し続ける家は、誰にとっての"飽きない"場になっていくのでしょうか(もしかしたら、あなたが小さく変化するきっかけとなる場所になるかもしれません)。
(”NAWA FIVE”こと5匹の猫たちににっても飽きない家になりますように)
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