エクセル・ノン・モノポリーとマザーフリー

荻上チキの『みらいめがね 2』という本を読んでいる。

年末学級閉鎖中の長男と図書館へ行き、ヨシタケシンスケで検索したらこの本の1冊目がヒットした。荻上チキさんがエッセイを書き、それに呼応する形でヨシタケシンスケさんが7コママンガを描いている。

借りてきて、読んで、面白いと思ってそれまで全く知らなかった荻上チキさんについて調べてみようとしてみたら、二股不倫報道というスキャンダルに思わず出くわしてしまった。

続刊のこちらではそのことについてご本人が触れている。

それによるとご本人はノン・モノガミーというものだそうだ。

へー、そういう区分があるのか。

モノガミーという表現が本の中で最初に出てきた時はさらっと"単数婚"としか記されてなかったので、すぐさま検索してみた。
どうやらモノガミーとは、お互いにパートナーはあなただけ♡という関係を指すらしい。対義語としてポリアモリーというものがあり、それは複数の相手と積極的に関係を持ちたがることを示すらしい。
で、本を読み進めるうちようやくわかったのだが、積極的にではないけど、誰かひとりと限って恋愛関係や性的関係を結ぶわけではない人のことを、エクセル・ノン・モノポリーならぬ、エシカル・ノン・モノガミーという名称で区分しているらしい。

あ!

と思った。

どこかで聞いたエピソードに似ているではないか。そうかあのケースもそうだったのか…と、同時に顔から火が吹き出た。その話を知人としていた時、相手がボソッと呟いた聞き慣れぬ言葉に対して、「え?モノポリー!?何でここでモノポリーの話になるんですか?!」と言った覚えが確かにあるからである。

そうか、あれはモノポリーじゃなくてモノガミーの話をしていたのか…


まあそういう人がいるということがわかり、人生はモノポリーより奇なりと判明したところで、私の中に残ったのは"羨ましい"という感情だった。私もノン・モノガミーになりたいのかといえばそれはまあよくわからないので今は置いておいて、話題にしたいのは、日本の婚姻制度級に、これはそういうものでしょう、とされている母親という立場についてである。

実はちょうど次男がインフルエンザBにかかっている。先日日帰り予定で立ち寄った実家で発症してしまった。長男と夫は自宅に帰し、私はそのまま実家に3泊4日滞在することになった。

がしかし、実家に必要以上に長く居続けるというのは、やっと掴んできた自分の日々のリズムが一瞬で崩れることに繋がるし、そもそも日帰り予定だったので、たいした仕事道具も持ってきていない身で、一言でいうと辛かった。

そして滞在4日目、私は次男を実家に置いて自宅に帰ってきてしまった。書き添えておくと実母からは了承を得ているし、実母自身が祖母(私の曾祖母)にほぼ育てられているので、こどもは祖母が育てるものくらいに思っているらしい。がしかし、やはりこどもを置いて戻ってしまったことを何とも思わずにいられるほど私はタフではない。

私はまだまだ世間でいうところの母親像に縛られまくっているのである。縛られつつも耐えきれなくて逃げている。いや、これは世間ではなく自分が作っているだけなのか…。何ともいえない。
実際目の前にいるこども達は絶えず母親である私を求めてきた。長男も次男も相当周りに頼って、産まれた直後からナキウサギのごとく授乳時以外は離れて仕事をしていたにも関わらずだ。これはむしろ、ろくな育休どころか産休もなかった身だからこそ永遠につきまとってくる罪悪感なのかもしれない。と思ってみたり、しかし世の中には育休に耐えきれず早めに仕事復帰した人もいるというではないか、と仲間探しをしてみたり。

何が言いたいかというと、母とは子の傍らに可能な限りいるものであり、その状況を何よりも幸せと感じるものである、というステレオタイプの母親像に当てはまらない人も、きっと世の中にはノン・モノガミーかそれ以上にたくさん存在するのではないだろうか、ということだ。

こんな風に母親らしからぬ母として堂々と生きていく習性についても、誰か何か都合の良い名称を与えてくれないかな…。

そうだな、グルテンフリーならぬ『マザーフリー』なんてどうでしょう?
くれぐれもMOTHER3、じゃないからね。


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