何者でもない私①
ポットキャスト「となりの雑談」で、
「何者でもない私」に悩んでいる人がいる、と
話題になったことがあった。
そのちょっと前から、心の中でもやもやしていたのが、まさに、その言葉だった。
私は、自分が何者でもないことに気づいて、傷ついていたのだ。
50代になると、周りを見渡せば、仕事を続けてきた人はそれなりの地位やキャリアを持つ様になる。
少し先輩の人達が、多額の退職金をもらって引退するのを目の当たりにする。
わかっていたことだが、我が身を振り返ると自分の何も持たなさに愕然とする。
わかっていた、わかっていたはずなのに、
自分は「何者でもない」という事実に気づいてしまった。
「何者」とは、いわゆる、「よく知られる有名な人」や「一目置かれる人物」という意味ではない。
「何者でもない私」とは、「普通に社会人として働き続けていたら得られているものを何一つ持たない私」だ。
社会的に存在意義を見出せない。
気づくと、一人前の、社会人の、大人としての自信を失っている。
人間として、社会的にカウントされていなかったことに気づく。
そして、そのことに傷ついている。
「自分で選んできたことでしょう?」
「そんなの、わかってたことじゃない。」
そう、その通り。
なぜ、今そのことに傷つく?
仕事は評価してもらってきたと思う。でも、同じ様に仕事をしているつもりでも、身分は非正規。
同じ位働いても、正規雇用の人と同じ退職金はもらえない。
驚いたのが、「最近、40代以上に、何者でもないことに悩んでいる人が多い」と言っていたことだ。
多くの人が、今、時を同じくして同じ悩みをもっている。
今まで順調にきていたと思われる人ほど、それを言うという。
もしかすると、価値観の変化から、今までのやり方や成功方法が役に立たなくなりそうだと気づいたのかもしれない。
すると、自分の人生の指針が揺らぐ。
自分の存在も揺らぐ。
年代的にも、子育てが終わったり、親を看取ったり、親の世話をしたりと、生活が大きく変わる時だ。
昔も、専業主婦が、子どもが巣立った後に空虚な気持ちになる「空の巣症候群」などとも言われた年代。
でも、その言葉はきっと、自分達から出た言葉ではないと思う。
医者などのいわゆる専門家が外から見て原因を探ってできた言葉。
「何者でもない私」は違う。自分の中から湧き出てきた言葉だ。
だから、じっくり向き合って根を探り、未来の自分に繋げたいと思う。