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高学歴コンプレックス(逆学歴コンプレックス)を克服した話

わたしは、自分が「京都大学卒業である」ということにコンプレックスを感じていました。自慢でもなんでもありません。真剣に悩み、つらい日々を過ごしました。ショックなこともありました。でも、乗り越えられました。わたしのこれまでの経験、高学歴者はどうすれば社会で生きやすいのか、そして、高学歴コンプレックスは乗り越えたけれどやっぱり学歴を答えたくない場合はどうすればいいかをまとめました。

京都大学を目指したわけ

わたしは京都府のお隣の県(北東側が接してます) 兵庫県出身です。同じ年に市内から京都大学に合格したのは3人だけでした。進学校でもなく、なんでもない普通の県立高校出身です。

そして、わたしは恥ずかしながら、なにかやりたいことがあって京都大学を目指したわけではありませんでした。

末孫で末っ子だったわたしは、親戚や両親、姉たちを見て、とりあえずなるべく偏差値の高いところに行っておけば道が広がる、中学、高校、大学と公立に行けば学費が安くて親孝行、周りも自分を認めてくれる、という、何の根拠もない、いわば洗脳とも言える他人軸に、深く考えず、乗っかっただけだったんだと思います。

母親は、わたしに、自宅または祖父母の家からから通える国公立大学、もしくは自分自身が卒業した薬学部を強く推していました。

姉二人の大学の学費が大変だったのかもしれませんし、姉の一人が大学で家を出てしまい寂しかったのかもしれません。

でも、わたしは姉に憧れていました。
姉のように一人暮らしをしてみたかった。
わたしは心の中で、京大なら一人暮らしに対して文句は言われないだろう、と思っていました。わたしも京大ブランドを利用しようとしていたのです。

学生時代は勉強が嫌いではなかった

これを書くのはかなり怖いのですが、正直に言って、学生時代、勉強はそこまで嫌いじゃなかったです。
期間と範囲が決められていてそれに向かってコツコツ努力するというのは性に合っていたように思います。それに、わからなかったら人に聞いたら教えてもらえるし、勉強に関してはここがわからないと正直にいえる自分がいました。
自分で立てた目標が実現できるという達成感が味わえることも好きでした。

しかし、勉強がそんなに嫌いでない、その結果、成績がよいから京大を目指すなどと、外では口が裂けても言ってはいけません。なぜなら、人を遠ざけるパワーが絶大だからです。

「勉強やだー」
「勉強してない」
「わかんない」
と言っている方が親近感がわき、仲間意識や連帯感をはぐくめる。

バカなふりをしたほうが男子のウケもいい。

女子の連帯感はちょっと面倒だけど、自分の居場所を作るには仕方ないのです。

勉強ができることはスポーツができるというより妬まれやすく、距離を置かれやすい。これって本当だと思います。

高校2年生まではクラスの中で上位でもなかったので安全な位置にいましたが、高校3年生で模試の結果が表示され、京都大学を目指したころからクラスで浮きはじめました。

それでも、京都大学に入れば、きっと楽しいことが待っている、そう思ってわたしは一人、がりがり机に向かい続けました。話せる女子はどんどん少なくなり、いつしか男子と話す方が楽になり、どんどん浮いていきました。

高学歴は男子を遠ざけるは本当か

京都大学に合格したとき、地元のみんなは手のひらを返したように祝福してくれました。

令和の世なら信じられませんが、当時は個人情報保護なんて概念は薄く、京大合格者の名前が週刊誌に乗っていた時代。

週刊誌を見た中学の同級生のお父さん(ほぼ話したことない)から「京大受かったんだって!おめでとう」なんて声をかけられることもありました。

誇らしい気持ちで電話で祖父母に報告しました。がんばったね、志望校に受かってよかったね、と言ってくれると期待していたんですが、京都出身の祖母は、ため息をつきながらこう言いました。

「京大じゃなくて、違う大学に行けばよかったのに。かわいげがないって思われて、男の人が寄ってこなくてお嫁にいけなくなるよ」
「大学に行っているときに男の人を捕まえないと結婚はもう無理だからね」

結婚で京都を離れた祖母。
きっと思い出話を話してくれる、喜んでくれると思っていたわたしはショックでした。

大学入学後、この祖母の発言は時代が違うとは言い切れず、学歴のせいでフラれました。ある意味当たらずとも遠からずだったことを身をもって知ることになります。

あこがれの京都大学に入学する

さて、そんなことも将来も知らず、憧れの一人暮らし、ワクワクしながら学生生活をスタートさせました。まず、自分が京大の中でいかに少数派か知りました。

クラス会ではすでに予備校、大手塾、進学校の子たちが仲間を作っていました。華やかないいで立ちの女の子たち。親に買ってもらった黒いスーツを身に、一人ポツンとしていたところ、同じような地方県立高校出身の子が話しかけてきてくれてホッとしたのを覚えています。

さて、新入生といえばサークル活動の勧誘。しかし、チラシを見て、がく然。
「え!?このサークルもこのサークルも京大のサークルなのに京大女子は入れないんだ…」

前途多難の前触れでした。
結局、京大女子も入れる運動系サークルに入ったのですが、
【京都の女子大学&京大以外の大学女子
 =男子が守ってあげたい女の子】
【京都大学の女子≒男子が一緒に戦う同志】

もっとズバっというと
【京都にある他の女子大=恋愛対象】
【京都大の女子=非恋愛対象】

でした。

そこでわたしは【そんな枠なんかにはまるか!】と思いました。

アジア雑貨店で買った服や古着、奇抜な色の組み合わせのファッション。メイクもそこそこ、いつも変わった帽子がトレードマーク。
京都芸大生ですか?京都精華大学ですか?なんて聞かれたらうれしく思っていました。ぶっ飛んでいたはずです。

学歴でフラれる

大学2回生の夏、わたしは友達が通っていたから、という理由で、大学から少し遠い自動車学校に通いました。

いろんな大学の人が通っていたこともあり、高速道路教習がきっかけで他大学の彼氏ができました。彼の実家は農家、わたしは農学系で共通の話題もあり、だんだん気持ちが盛り上がっていたある日、
「ごめん、好きだけど…やっぱり彼女が京大生ってちょっと…別れよう」
と突然フラれてしまったのです。

一瞬何を言われたのか理解ができませんでした。
「好きだけどって…!?京大生だからって別れる!?」

まあ、フラれる理由なんてフラれる側からは理解できないものかもしれませんが。

楽しいデートのはずが、しょっぱなに別れを告げられ、一人、泣きながら自転車をこいで家に帰りました。フラれる理由は何であれ、それが、勉強を頑張った成果の学歴のせいにされるなんて。本当に悲しかったです。

京都大学は自由な校風をモットーとしています。ですので、それまで私が奇抜な格好しても、誰も変な目で見ることはなく、ありのままのわたしでいられました。実際、自分よりもっと変わった人もいたし、かなり自由奔放に、そしてリラックスして過ごしていたのは事実です。もしかしたら、わたしは世間知らずになっていたのかもしれません。

このことをきっかけに、自分が心の中で、京大生であるということにコンプレックスが生まれ始め、大学はどこ?と聞かれたとき答えたくない、と思うようになりました。

突っ込んで聞かれたら、「京都の方です」京都にある大学です」そういうふうに答えていました。

ああ、【京都大学】じゃなければもっとスッキリ自信をもって答えられるのにと思いました。そして、どうして自分は必死になって受かった、京都大学を隠そうとしているんだろう、自分を責めました。

コンプレックスを抱えたまま就職活動へ

そんなコンプレックスを膨らませつつ大学3回生、就職活動の時期はやってきます。

しかし、当時は就職難の時代。

「今は本当に就職が厳しい。女の子はほんと厳しいよ。だから、院に行けるなら行ったほうがいい」と先輩からの助言を聞き、消去法で大学院に進むことにしました。
親からは「大学院に行くなら奨学金を取得すること」という条件だったので、いい成績を取るため必死に勉強しました。英語は1番で、教授も助教喜んでくれました。無事、奨学金もゲットしました。

しかし、そもそも勉強が好きなだけでそんなに研究&実験が好きじゃないのです。そんな気持ちで大学院に行ってしまったので博士課程後期に進む気は起きません。
また、2年後、修士1年生で就職活動を始めることになりました。そして、そう世間は甘くないことを知るのでした。

まずもって、企業にコネのない研究室を選んでしまいました。エントリーシートはほぼ全滅。

面接まで行けても、もともと研究と実験が好きじゃないから、研究員のかたと研究テーマの話をして突っ込まれると弱いのです。

運よく、グループディスカッションにそこそこ強かったのが救いでした。

変化を求めていた関東の大手食品企業に女性初の食品開発職として採用されることになりました。これは、事実上、関西人の私にとって、片道切符でした。

初めて知る「高学歴」への差別

入社したら、大学の話題に触れないようしよう、細心の注意を払おう、と思っていました。しかし、後で知ったのですが、入社前に新入社員全員の学歴と名前の名簿が回覧され、周囲のみなさん全員はわたしの学歴を知っていました。

つまり、最初のころ「京都にある大学です」と出身大学を濁して答えていたことが、かなり嫌味に聞こえていたのです。

そんな失敗もあって、入社後のOJTでは、
「頭よくても、こんなことがわからないの?」「京大生だから、こんな簡単なことすぐわかるでしょ?」「京大生は頭がいいから、いちいち教えなくてもいいだろ?」
と嫌味に耐える日々が始まりました。他の女子新入社員は「下の名前+ちゃん」わたしは「名字+さん」と区別。

もちろん、中には、分け隔てなくわたしにもよくしてくださったかたもいらっしゃいましたが、日々、仲間に入れない感満載でした。

その頃は自分を受け入れてもらいたくて毎日必死にこんなことをやっていました。

親しみやすい感を演出するための笑顔
教えてくださいとひたすら頭を下げる
失敗をネタにして笑いにする
雑用は率先して引き受ける
仕事で成果を出すため深夜まで残業

「京大生なのに腰が低いね」なんて言われたら大喜びでした。

大学の話は徹底的に避けていたのですが、いかんせん、京都は観光地。
観光シーズンになるとあちこちから京都の話題が出ます。大学時代に住んでいた場所を聞かれるのも苦痛でした。不自然に言葉を濁したり、席をはずしたり、こっちは必死です。

当時、帰省した時に「もう仕事辞めたい」と母にこぼしたことがあります。母の返事は「がんばりなさい」
仕事を辞めて実家に帰りたい、そういう甘えをバッサリ切られ、とぼとぼ、重い気持ちで新幹線に乗り、東京に戻りました。

1年を過ぎたころ、気を遣いすぎたのか、もともとちゃんとした研究もできなかったわたしは食品開発もろくにできず、仕事でミス多発。別室に呼ばれ、個別で注意を受けるほどになっていました。ほどなくして激やせ、会社に行けなくなり、適応障害を発症して休職。食品開発研究員として「高学歴なのに仕事できない人」の烙印を押され、研究所にはいられなくなり、万年人材不足だった国際部門に拾ってもらうことになりました。

逆学歴コンプレックス解消→再発へ

病気を抱えたまま忙しいと噂の国際部門に異動になり、びくびくしていましたが、多様性にあふれる国際部門は思いの外、居心地のよいところでした。

聞いていたとおり、国際部門は万年人手不足で、学歴どころか、年齢、キャリア、専門分野の全く違うメンバーをかき集めてきた集団でした。
総務、経理、営業、販売、工場、研究。英語、中国語、韓国語、フランス語、ポルトガル語。さまざまなバックグラウンドのかた、外国語ができるかたが勢ぞろい。そもそも忙しすぎて出身大学なんて話題にしている暇はない。
とにかく、目の前の仕事だけに集中するうちに、わたしはいつの間にかその場に溶け込み、学歴コンプレックスも解消していきました。

忙しく入れ替わりの激しい国際部門ですから、どんどん新しいメンバーが入ってきます。そのうち、また、周囲に学歴が気になる人が増えるにつれて、わたしの学歴が話に出されることが増えてきました。

「京大卒だから、英語なんて楽勝でしょ」「京大卒ならわかるでしょ?」

居心地のよかった国際部門でも次第にもやもやするものが増えてきていました。

またわたしは新入社員だったときと同じように、笑顔を絶やさず、雑用を引き受け、仕事を頑張り、ファッションに気を付け、「京大卒で京大の院も出てるのに、外見からはそう見えないよね」と言われたら大喜びする日々に戻っていました。

結局剥がせたと思っていたわたしの京大のラベルは浮き上がってくる。一生懸命、よろいをまとっているのに、無駄なのか。このラベル剥がしとの戦いは形を変え、一生続くのか。こんなんなら京大なんて行かなきゃよかった。もう、学歴から京大って消したい!毎日そんな思いが強くなっていました。

逆学歴コンプレックスの昇華

自分の過去を否定することが続いていたそのとき、中国からのクライアントさんとお仕事をすることになりました。

顔合わせのとき、先輩がわたしのことを「この人は京大卒業で」とお決まりのように紹介しました。あちゃーどう返そうか…と思っていたら、クライアントさんたちは、日本語と中国語で、「京都大学!素晴らしい!しかも大学院も出てらっしゃる。英語も中国語も勉強されているとか。ほんとうに勉強熱心ですね」と賞賛してくれたんです。そのことばには嫌味は全くありませんでした。

すとん、と何かが落ちた気がしました。

「必死に努力して京大に合格したことも、(消去法だったとはいえ)京大大学院の入試を必死に頑張って合格したことも、適応障害だからって国際部門に来たことも、英語コンプレックスが原因で中国語を始めたのも全部自分、全部わたしなんだ。そして、世界にはこのままのわたしをそのままに受け入れてくれるひともいるんだ」

このエピソードがきっかけとなり以前ほど京都大学についてコンプレックスを感じることはなくなっていきました。

悩むより、行動を変える。

高学歴になってしまった後、わたしはどうすればよかったのか、下記にまとめました。一つでも参考になることがあればと願います。

人一倍嫌われやすいことを自覚する

残念ながら、ひとに嫌われる可能性が高いことを自覚すればよかったと思います。だって、目の前にいるだけで他人のコンプレックスを刺激しているわけです。

万人受けはあきらめる。でも、必要以上に縮こまらない。

自分のどんな行動も、どんな発言も、その恵まれたものと結び付けられる可能性がある、ということを自覚し、気を遣うのです。

勉強のことは口にしない、話題に出たら口を挟まない。できればさっと姿を消すぐらいでいいかもしれません。

外で話す話題には気を遣う。
共感してもらえる相手、もしくは信頼のおける仲間にだけ、自分が話したい話題を話す。どこで誰が聞いているか、誰に転送されるかわからないから必要以上に注意する。
これぐらいの注意を持って日々暮らせば、返り討ちにあうことは少ないように思います。

笑顔を大切に、無用な争いはしない

なんだ、こんなこと、と思うかもしれませんが、親しみやすい人には、
ひとは警戒心を解きますし、攻撃を向けにくくなります。
いつも笑顔でいれば、味方になってくれる方も増えるかもしれません。

もし、どなたかが攻撃してきたらかわし、笑顔で逃げる。

「とっつきにくさ」「こんなことを聞いてバカにされそう」こんな高学歴のイメージを崩せれば、楽ですよ。

完璧でない面をさらけ出す

わたしは理系なのに数字が苦手です。日常生活ではおっちょこちょいで早とちりです。こういった部分を、さらけ出してしまうのです。

例えば、会社で数字を扱う仕事をすることがあります。
ひとりででもできる仕事ですが、上司にお願いして、新入社員の指導というかたちで二人チームを組ませてもらいました。

新入社員には、「わたしは数字が苦手なので、ダブルチェックしてもらいたい」と弱みをさらけ出しました。バカにされるかもしれない。頼りない先輩だと思われるかもしれない。

新入社員で英語が得意な人には、「英語に自信がないので、 原稿をみてもらいたい」と英語が完璧でない自分を先に開示してしまうのです。

最初はバカにされるかもしれません。できることとできないことを先に相手に伝えることで、高学歴女子として相手を警戒させないようにするのです。

ユニークな一面を思いっきり伸ばす

興味、趣味、得意なこと、特定の分野の知識など、ひとには必ずユニークな一面があると思います。そこをひたすら伸ばします。

わたしの場合、サンバが大好きで、団員の一員として川口たたら祭りや浅草サンバカーニバルに出たことがあります。そのときの写真を見せると、ほとんどの人は絶句して、その話題に移ってしまいます。要するに、キャラを確定してしまうのです。

突き抜けたものにはだれも何も言えなくなるようです(笑)。

自分が居心地のいい環境を探す

自分が不快になるような方がいる環境と距離を置きます。

日本で居心地のいいコミュニティを見つけるのもいいし、海外に目を向けるのもいいのかな、と思います。日本以外にもたくさん、さまざまな文化を持つ国や地域があります。外国語を勉強してもいい。外国人の友達を作ってもいい。とにかく、世界を広げるんです。

極端な例を挙げてみます。たとえば、わたしは胸が大きいことがコンプレックスでした。セクハラを受けたこともあるし、ずっと悩みのタネです。隠すための服のテク、夏場の乗り切り方なんて語り尽くせぬぐらいです。しかし、起業を目指してコミュニティに入ったら、わたしよりも胸の大きい方が、堂々と胸の大きな女性のためのビジネスを展開されていました。わたしの積年の悩みは一体何だったのか(笑)。思わず、その方にお会いしたときに「わたし、胸の大きさで悩んでたんです!」とカミングアウトしてしまいました。

起業は、年齢も、学歴も、女性であることも単なる記号ぐらいにしかなりません。それより、何をしているか。何をしたいのか、そっちのほうがよっぽど大切なのです。

そうはいっても学歴を答えたくない

コンプレックスを乗り越えたからと言っても、堂々と学歴を言えないこともあると思います。その場合の答え方です。

理系・文系

非常にざっくりとした答え方ですが、わりと答えやすい言い方かな、と思います。ただ、研究所など、理系のかたが多い場合は使いにくいかもしれません。わたしは研究所から国際部門に異動になってから、「英文科」「外国語学科」を連想されるかたが多いので、この言い方をよく使っています。

もちろん理系なのにここにいるのはすごいだろう、と誤解されないように細心の注意を払いつつです。実際は外国語を専門で学んだことはありません。とか、わたしは文系ではないんですよ。文系の華やかさに憧れます、と自分の所属していない方を称賛するようにしています。

地方の大学

この言い方はよく紹介されている方法で、わたしも使っていました。ただ、その後いろいろと突っ込んで聞かれた場合、だんだんと特定されてしまい、返答に困ることがありました。また、首都圏の大学だと使いにくい言い方ですよね。

わたしはちょっと応用して、就職で上京したんですよ、と答えるようにしています。今自分がいる場所と、出身大学の場所が違う場合は「就職してこっちに来たんですよ」などは使えるかもしれません。

どこどこにある大学

これもよく紹介されている方法で、私も使っていました。たくさん大学がある地域なら使えるかもしれません。しかし、私のように地名+大学ですぐに特定できてしまう方は、それってもしかして、○○大ですか?と聞かれた場合、答えたくないのに答えなければならない、わざと回りくどい答え方をしたことが嫌味に取られる可能性があります。

わたしはこの言い方を選ぶ場合は、京都にある大学に行っていたんですが、観光シーズンは道が混んで大変でした。とさりげなく別の話題にシフトできるようにしていました。

逆に質問する

ちょっと高度な方法で、コミュ力が高いかたにおすすめな方法です。質問されている方はご自身の話をしたいことがある、ということがあるようで、うまくいくこともあるようです。実際に、とてもこのやり方を使って、自分への質問を上手にかわし、さらに質問してきた方と楽しくお話している方を見たことがあり、いつか真似してみたいな、と思っています。ハードル高いですが。

ご家族の受験の話に持っていく

旅行のお土産をくれる方はその旅行の話を聞いてもらいたい、ということがありますよね。なので、もし、質問されている方にお子さまがいらっしゃっる場合で、お子さまのお話が聞けそうな場合は、「もうそろそろ受験ですか?」「志望校とか決める時期ですか?」などと聞いてみると、意外に自分のことを話さず、質問されている方がご自身に関係することを話してくれることがあります。

このほか、嘘を付く、という答え方もあるのですが、嘘を付いていたことが相手に伝わってしまった場合、気まずい状況が発生するかもしれません。また、わたしは嘘を付いてまで、自分の過去を否定するのはちょっと気が引けました。

本当のことを打ち明ける

精神的に強い方や、周りに自分と同じ学歴の方がいらっしゃる方は思い切って本当のことを言う、というやりかたもあります。思い切ってずばっと言ってみたら、意外と受け入れられる、ということもあります。

答えたくないという

正直に、「ちょっと答えたくありません」と言う方法もあると思います。これは吉と出るか凶と出るかはわかりません。周りのかたとの関係を壊さないよう、最新の注意が必要だと思います。

最後に

学歴について熱くなってしまい、長くなりました。わたしの独りよがりなところもあったかと思いますが、最後までお読みいただき本当にありがとうございます。どうしてここまで考え抜いたのか。それはわたしが学歴を受け止められる強さがなかったからかもしれません。

私の願いは、高学歴のひとも、そうでないひとも、お互いを認め、お互い生きやすい世の中になることです。コンプレックスに感じる必要がないかたまでコンプレックスを感じられているなら、微力でもお役に立ちたいです。

もし、つらいことがあったなら、ぜひコメントやメッセージいただけたらと思います。東大や京大でなくても大丈夫です。想いを受け止めさせていただき、真摯にコメントさせていただきます。

参考になるお話

エルの記事です。


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えいこりあん
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