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アラフォーの反抗期

年末にインフルエンザになった。
仕事納めの後だったので、仕事に穴を開けずに済んだとホッとした反面、正月に予定していた実家への帰省は諦めなければならなかった。

「もしもし、私インフルエンザになったか正月はそっちに帰れへんよ。」
「えっ?あんたらの布団も干して、お節も予約してしもたやん!!お父さんと2人じゃ食べ切られへん!」

そう言って電話口のオカンはイラついていた。
そのトゲトゲしい言葉がに熱で気弱になった私の心にぐさぐさと刺さりまくった。

「そんなん言い方せんでもええやん。私だってなりたくてなった訳じゃないのに…」

電話を切ると年甲斐もなくうぉうぉ泣いた。
なぜ大丈夫かの一言もないんだ!
そもそもうちの母親は言い方がキツいのだ。

母親はザ・関西のおばちゃんという感じの人で、家族に対してズケズケと物をいうのだ。
おもしろいと思う反面、子供心に傷つくこともあった。

私も母親になって11年目になる。
自分が母親に育てられた時の事を思い出すと、共感できる部分とそうではない部分が明確になってきていた。
特に最近は下の子に発達の凸凹がある為、育児について専門的なところまで勉強していたこともあり、自分ならあんな言い方はしない、などど自分の母親に対して母親マウンティングをしていたのだ。
アラフォーにして第3次反抗期を迎えていた。

熱も下がりかけたインフルエンザ三日目の昼過ぎ。インターホンが鳴りモニターをみるとそこにはオカンが立っていた。
びっくりして、玄関を開けると大きな荷物を2つ持ったオカンがズカズカと我が家に入ってきた。
「あんたー大丈夫か?おせちと魚とおやつ持ってきたでー。お父さんとふたりやったら食べ切られへんもん。」
新幹線に乗り2時間かけてここまでやってきたのだ。
「連絡したら、来るなって言うやろ?」
私はとっさにインフルエンザをうつしてはいけないと階段の上の方に上がり距離をあけて座った。
「そりゃ、高齢者にうつしたらいかんやんか!!いきなり来るなんて…娘やからええけど、嫁さんにしたら嫌がられるで…」
そう憎まれ口をいいながらも私はのどの奥がツンとするような何ともいえない感情が込み上げた。

母親は子供達をひとしきりこね回して可愛がった後、嵐のように去っていった。また新幹線に乗り同じ時間をかけ帰っていったのだ。

将来自分が70歳を過ぎ同じ状況になった時、私は大荷物を持って自分の子供のために日帰り弾丸ツアーを敢行できるだろうか?

私はアラフォーの皮を被った子供だったのだ。
心配して欲しくて泣いて駄々をこねている子供のままだった。

母親の圧倒的な母性を目の当たりにしてアラフォー反抗期は瞬く間に終了した。


皆さんにクスっと笑ってもらえるような、文章を綴っていきたいと思います。