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コードの意味を考えすぎても時間の無駄
中年期もたけなわの私たが、なにをトチ狂ったかプログラミングの勉強をしてIT企業に就職してしまった。なんと今年で3年目。
仕事はナレーションと司会業で一応食っていけるのだが、ワーカホリック気味で忙しくしていないと自己肯定できない面があるため、ナレーションで忙殺される感覚がない以上はバイトでもなんでも死ぬまで働き続けるつもりだ。
もちろん体力的にはとっくに限界だ。
興味本位でふとプログラミングの学校に入ってみたはいいのだが、思いの外内容が難しく、しかし勉強にはなったので多少要求レベルの高いOA事務でも探そうと思っていたところ、斡旋されるままにSEで就職活動をしてしまった。
だって未経験の中年女性が有期契約社員とはいえ受かるわけがないと思ったのだ。
しかし恐るべしIT業界の人員不足。私はまさかの港区OLのポジションに収まることとなる。
そこからはひたすら会社にもうしわけなさが募るばかりだ。
とにかく覚えが悪い、全力でやっても仕事がおいつかない、急ぐとミスる。急がなくてもミスる。
同時期にはいった正社員の二人はとっても優秀で、仕事をサクサクおぼえて周囲からの信頼を得ている。しかも落ちこぼれの私にとっても優しい。(大好き)比較しないほうがいいと分かっていても、毎日自分の不出来に打ちのめされているのである。
あと仕事をしているうちに自分の脳みその致命的な弱点も知ることとなる。
どうやら数字を数字として頭の中で扱えないのだ。
論理的思考とはいったいなんのことなのだ?
ワーキングメモリが弱いのかと正月休みにアプリで数唱の訓練などをしてみたが、順唱11桁、逆唱8桁とむしろ好成績であった。いったい何がダメなのだ。
これは以前からだが、なにか物事を学ぶときに私は全容のイメージがないと細部を理解できないのだ。言われたことを、目の前のことだけをやればいいということはわかっていても、この場合は?じゃあこれは?これはこの意味にもとらえられるけど?と一生出口のない狭い部屋をぐるぐるしている感覚でとても苦しい。全体像さえつかめれば、と思っても、その全体像が膨大すぎて2年やってもいまだにつかめない。
表題は、プログラミング学校の先生に言われた言葉だ。
理解しようとするな、まずは世界観に慣れろ。という意味だが、慣れるまでもう2年費やしているが大丈夫なんですか先生。
さらに週一でラジオの生放送のために休みをいただき、収録がはいっちゃあ勤務時間をシフトしてもらう。ボイトレで隔週で休みをもらう。
適正の問題だろうか、脳の老化の問題だろうか、私が貢献できてるポイントが悲しいほどない。
ではやめたらといわれるだろうが、恐ろしいことに仕事が進まず夜間うなされても仕事そのものはすごく楽しい。
さらに会社の人達は皆穏やかで人格者ばかりなのだ。
こんな中年になっても新しいことを学べる喜びをと苦しさを感じ日々を過ごせるなんて幸せなことだろう。
とはいえコミットしすぎてもいざとなったときに悲しくなりそうなので、線引きをせねばと思っているが、私もあのオフィスの皆様のように活躍できたら…と憧れをこじらせてしまう。もう少ししたら仕事ができるようになるかもしれないとここまであきらめきれず醜態をさらし続けている。
テレビやラジオのレギュラーが帯などで決まったらさすがに続けられないと思うが、そうでない限りは会社から「もういいかげんにしてくれ」、「もうやめてくれ」と言われるまでは居座りたい……
しかし、万一そうなった暁にはその後は出来ることの範囲で仕事をしていこうと思うのだ。
消極的な出口戦略であるが、正月休みが終わった。今年は迷惑をかけないように、自分の本文を忘れないように現実的に取り組む次第だ。