ごく普通の我が子、朝ドラの主人公になれるのか?
ちょっと受験や子育てから離れたことを。
育児が幼児から小学生親のステージになって、朝のルーティンでおかあさんといっしょを観る必要がなくなり朝ドラを観る生活が午前中に仕事がある日を除き現在も続いている。次女が現在6年生なのでかれこれもう10年くらいということになる。
感動したり、ある時はもう観るのをやめよう…と思うくらいの主人公の幸運ぶりに呆れ果てたりを繰り返しながら新しいドラマになるとまた観始めているがここ最近の作品でよくみられるのは
実在の立身出世ストーリー。
前作品も今もそう。
最終的には立派な有名人の子どもの頃からのストーリーを観るのはそれはそれである意味水戸黄門のような、落ち着いて観ることができて安定しているのかもしれない。
けれども、私が今まで観た作品で良かったなぁ、と思うのは牧野博士でもなくブギの女王でもなくやっぱり『国民誰もしってるような有名人ではない主人公』だ。
だって、
世の中ほとんどの人がそういう人生を送っているから
有名人、さらに歴史に刻むようなドエライ人になるのはほんの一握りである。エンディングにどうなるかわからない主人公で半年という長いスパンのドラマを作るというのは脚本を作る方は大変だろうけれど観ているこちらは結局どうなるのかがわからない分ハラハラドキドキ楽しめるような気がするが、世の中は『結末がわかっている人生ストーリー』の方が好まれるのだろうか?
最近でいえば『カムカムエヴリバディ』は主人公を3世代のストーリーにした珍しいケースで子役からティーンの年代をすっとばして大人になりそのまま20代か30代の俳優さんが晩年まで…という鉄板ストーリーではなく、主人公が短いターンで交代したが一番好きだったのは、映画プロデューサーになった安子さんでもなく、NHKの英語講座の講師になって雑誌にインタビュー記事が載るひなたでもなく、真ん中に挟まれ、地味に商店街の片隅で今川焼を焼き続け、晩年はジャズ喫茶を受け継ぎ「有名人になるかもしれんかったけれど結局ならなかった」オダギリジョーとのんびり過ごしている、るいだ。3人の中で一番平凡だけれど幸せな人生だと思う。
未来の飛行機で最終的にはパイロットになったけれど、パイロットから親の会社に入り営業として活躍し起業した舞い上がれ!も好きだった。
気象予報士の資格を取りテレビの天気予報コーナーに出演するほどになりながら不器用なお医者さんとの恋にオバチャンやきもきし、最終的に地元に戻るおかえりモネも良かった。
どうやら次も女性初の弁護士という主人公のようなので、そろそろその次くらいは一般人のストーリーにならないかなぁ、と期待している。
そしてこれは、学校生活でも同じではないか?と思うのだ。
生徒会長になる子、部活で部長になる子、大会で表彰されたりコンサートでソロ演奏するような子、文化祭などで目立つ子、私立でも学校パンフレットやHPに写真が載る子、説明会でお手伝いとして舞台で話したり学校見学の先導役で出てくるような子はほんの一握り。
実はその何倍も『どれもやったこと、なったことがない生徒』が、いるはず。
9月のまだ暑い時期に、勉強もままならないのに本人連れてあちこち文化祭に足を運んだのも、『どれにも出てこないごく普通の生徒さん』を一番見られる機会だからであって、結局次女はそれまで偏差値がだいぶ上ながら第一志望だった学校が「複数の生徒さんの雰囲気と話し方が陽キャラもしくはお嬢様過ぎて苦手」と感じ「生徒さんの雰囲気が自分に一番近そう」で現実的な志望校が固まったようだ。
この瞬間母ちゃんの頭にあった来年2月1日から4日までの日程がまるでルービックキューブのようにガチャガチャと入れ替わった。
文化祭。そういう意味ではやっぱり侮れない。