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宅建受験から始まった不動産との微妙な関わり(その1:宅建受験のきっかけ)

人生は早いもので、この間大学を卒業したと思ったら、もう還暦が近づいてきました。大部分は情報システムの仕事に従事しましたが、不動産関係にも少しだけ関わりました。その記録を書いてみたいと思います。
不動産調査に興味がある方に、何かの参考にして頂ければ幸いです。

1回目は宅建受験のきっかけから合格まで。ちょっと長いです。

■法律は好きでなかった法学部卒
私は私大の法学部出身です。入学して気付いたのですが、例えば民法や刑法の六法に代表される法律は、学問的な香りがしませんでした。○○説のような話は出てくるのですが、どれが絶対的に正しいということはなくて、要は権利間のバランス取りという理解です。

ただそれらを学ぶためには、ベースに法哲学や法社会学をはじめとし、歴史やそもそも人間とは何か、社会とは何かという知識や考察が必要です。もちろん自然科学の領域も、押さえておかなければなりません。私はそれらの方が好きですし、法律家を名乗るであれば、絶対に学んでおく必要があると思っています。

中でも法社会学を教えておられた栗本慎一郎先生の影響は大きかったです。今でも著作をたびたび読み返して、より理解が深まったのを感じています。

ところが法律実務家を育てるという建前の中では、これらの学問はメジャーではありません。早々に法律科目に興味を失った私は、ほぼ放棄状態。特に民法の債権法はやる気がなく、お情けで卒業させてもらったほどです。

結局ゼミは犯罪心理学という法学の端っこの方を選択し、当時流行り出していた8ビットのパソコンに夢中になっていました。もちろん当時はインターネットはなく、外部記録装置はカセットテープという、のんびりとした時代でした。

■子供の頃から地図が好き
当時はまだ不動産には何の興味もありませんでした。叔父は小さな不動産店をやっていたので、全く関わりが無い訳ではありません。でも父親はマイホームに興味が無く、その影響もあるかもしれないと思っています。

ところがなぜか、小さな頃から地図を見ることだけは大好物。ただし世界地図とか日本地図のようなスケールではなく、東京都レベルの地図です。要は自分の行動範囲が徐々に広がるにつれて、地図を眺めながらここには何があるのだろう?という、好奇心と想像力をかきたてていた訳ですね。

不動産の仕事に関わるには、ベースに地図を見たり、地域を歩き回ることが苦ではない資質が必要と思います。その意味では自分に向いていたのでしょう。

■友人のひとことで受験を決意
卒業後はパソコン好きを生かし、当時はまだ珍しかった情報システム開発会社に就職しました。今ならIT企業というのでしょうが、当時は同級生達からは何それ?という扱いでした。公務員はムリでも、せめてメーカーに行けってアドバイスだったのでしょう(苦笑)

新人のとき、運よく第二種情報処理技術者試験に合格しました。高校1年のとき電話級アマチュア無線技士の免許は取りましたが、資格を意識し出しだしたのは、この二種からかもしれません。

ただ当時業界ではSE定年説というのがあり、一生の仕事ではないなと思っていました。また社風的にも技術バカといってはなんですが、情報処理と直接関係無い知識は不要的な圧力があり、私は心の中でこれに反発していました。業務アプリケーション開発に携わる人間が、様々な職業や業務に興味や関心が無くてどうする!と思っていたのです。

元来へそ曲がりな私は、その頃になってあれほど嫌だった法律の勉強を改めて始めました。といっても四宮・民法をじっくり読み直すとかの程度ですが、これが後々の基礎力になったと思います。

そんなある日、大学時代の友人から「せっかく大学で法律を学んだのだから宅建受けてみれば?」と言われました。当時私はその資格の存在は知っていたものの、具体的な内容まで知りませんでした。不動産業の叔父がいるものの、叔父が宅建を取得した頃は大変易しい試験だったようで、話を聞いても参考にはなりません。現在のようにネット情報を収集できませんし。

■半分寝ながら通勤電車で勉強
でも受けてみるかと思い、とりあえず書店に行って基本書を買い込みました。うろ覚えで間違っているかもしれませんが、住宅新報社?が出していた「絵で見る○○」の3分冊だったと思います。文字通り図が多用されているテキストです。最初から文字だらけの本を読んでも、理解が遅くなるだけですからね。

といいますか、どうやら私は視覚的に覚えるのが向いているようで、図だけではなく漢字や単語も字面で覚えているようです。

基本書は通勤の東急東横線の車中で読むことにしました。渋谷駅からは急行ではなく、わざわざ各停に乗って座席を確保。車中でテキストを広げて理解に努めましたが、途中で睡魔に襲われ、そのまま桜木町駅まで寝てしまったこともしばしば。でも当時やる気の出ない火消し案件の手伝いに放り込まれたこともあり、反発心もあって頑張りました。

■情報処理技術者試験をサボって受験
宅建の試験日は、情報処理試験日と重なるのは有名な話ですね。私も建前は第一種情報処理技術者試験を受けなければならず、願書は出しました。しかし確信犯的にサボり、学習院大で行われた宅建の会場に向かいました。ちなみに情報処理試験の受験料は、会社ではなく自分が出したのでいいのです(笑)

現在の情報処理技術者試験の状況はよく知りませんが、欠席者が多いので有名です。当時は約半数が欠席していました。

理由として
・仕事が忙しすぎて行けない
・会社からの強制で申込みはしたけど受験する気はない
・試験に合格しなくても仕事はできる。実力の世界。

ということが考えられますが、まだ業界の事情を何も知らなかった私は、空席が多いことに少なからずショックを受けました。
一方宅建の会場はほとんど欠席者がおらず、この差はなんだろうと。

試験は幸い法令上の制限が上出来な感触でいけるかなという感触でした。

■合格したものの異端児扱い
合格発表が待ち切れず、翌日の住宅新報(新聞の)をわざわざ買いに行き自己採点。50点中40点あったので、まあ大丈夫かなと思いました。ただ得意なはずの民法で5点失点しており、本番は怖いなと。

あとこの年(昭和61年)から宅建の受験者が急激に増えたことも、若干の不安材料でした。

幸い12月に合格証書が届き、戦争中に旧制中学を中退せざるを得ず、勉強に未練のあった父親は、大変喜んでくれました。

会社には合格したことを公式には告げませんでしたが、知っている人は知っていました。当時私は怖いもの知らずで、ズケズケものを言っていたので、先輩上司は扱いにくい部下だなと思っていたに違いありません(汗)

自分で言うのは恥ずかしいのですが、入社当時は有望な新人だと思ったのに、なんか偏屈なヤツという評価に変わっていったのではないでしょうか。(年月を経て今はかなりもの分かりのいい人間だと思いますが…)

この会社には自分の居場所は無く、いても貢献できないだろうと思い、結局次は不動産鑑定士を目指すために、約4年間勤めた会社を辞めました。ちなみにこの会社は、今では一部上場して、1年後輩が社長をしています。

不動産鑑定事務所に入る話につづきます。

※イラストは「いらすとや」さんのものを使わせてもらっています。

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ナヲ次郎
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