町のささいな情報まで売り物にする日本の終わった感がどうもイヤ
ITが進展すると、地元のどんなささいな情報も共有化されます。例えば町の古い小さな食堂ですら、料理写真やら定休日・営業時間やらを全世界に晒されてしまう。店主が高齢でマイペースでやりたい店は迷惑でしょうね(笑)
そもそも地元の細かい情報なんて、地元民や一部のマニアが知っていればいいのです。ところが今は、使えるものは何でも使っちまえの世の中になりました。
例えば豊島区でいえば、トキワ荘アピールです。
トキワ荘は元々は手塚治虫や、藤子不二雄・赤塚不二夫・石ノ森章太郎らの作品が好きな人の一部に知られていた場所です。藤子不二雄の作品「まんが道」で多少広まった感があり、今では聖地扱いですね。
トキワ荘はただの木造アパートで、昭和の末期にとっくに取り壊されています。私はその近くの生まれ育ちなので、まんが道に出てくる店や場所も多少知っていますが、現在はほとんど残っていませんね。特にどこにでもあった映画館は壊滅しました。
しかし豊島区は文化発信の一環として、近年トキワ荘一帯をアピールしています。
その姿勢に異議はありませんし、後世に歴史を知ってもらうことは意味があります。地元商店街の振興にも少しは貢献できるのでしょうしね。ちなみに私は郷土史的なものは大好きなので、ディスる気持ちは全くありません。
ただですね、そんな普通の木造アパートまで引っ張り出さなきゃならないことに、日本は終わってるな感が漂うのです。売り物が無くなってスッカラカン状態なのだと思ってしまうのですよ。観光立国日本とやらにもそれを感じますし。
私はもう古い人間側かもしれませんが、昔の雑然とした商店街のような活気がほしいのです。何か目新しい施設ありきで集客するんじゃなくて、人間さえいっぱいいれば何か楽しいような。地味でも活気があれば、みんなけっこう元気に生きていけるのです。
少子高齢化の日本ではムリな話かもしれません。豊島区は東京23区で唯一の消滅可能性都市に挙げられています。ですが希望としては、今後は外国の人達とも協力して、新しい地域の形が作れれば、面白いかもしれないと思っています。