ありがとう、デアリングタクト
スマホの通知に刻まれた文字を見た時、私は自分でも驚くほど冷静だったように思う。
正確には「ようやく冷静になれた」と言う方が正しいかもしれない。
ここ数年、私自身もトレーナーとして楽しませていただいている某メディアミックス作品により、一部の若者の間で「競馬」というコンテンツがにわかに注目されるようになった。
当然ながら、2021年のアプリリリースをきっかけに実際の競馬に目を向けるようになった新しいファンたちと、私のようなそれ以前からの競馬ファンとの間では、競走馬の捉え方が少々異なることがある。
キャラクター化される過程の中で、競走馬はキャッチーに、あるいはクセのある味付けを施されてエンタメの世界に取り込まれていくからだ。
もちろん、そうして人々の記憶に残っていくことは大きな意義があると言える一方で、生身の競走馬にリアルタイムで託した思いや夢の形は、どうしてもそのまま原液100%というわけにはいかない。
デアリングタクトという牝馬は、そうした競走馬の代表格と言えるのではないだろうか、と思う。
では、彼女はどんな競走馬だったのか?
答えは明快だ。
私にとって彼女は、最高のヒロインであり、憧れの女性のひとりだった。
同期とともに
彼女を語るうえで、忘れてはならない名前がある。
それが、同期の無敗三冠馬「コントレイル」だ。
無敗の三冠牝馬であるデアリングタクトと共に並べてよく語られるのが
「史上初の無敗三冠馬と無敗三冠牝馬の同時達成」という快挙の話。
だが、私がデアリングタクトと共に彼の名を忘れてはならないとするのにはもうひとつ大事な要素がある。
それは、両者が「ノーザンファーム」の生産馬ではないということだ。
日本の競馬界は、ノーザンファームの寡占状態と言っていい。
生産馬がGⅠを勝たない年はなく、クラシック競走(皐月・ダービー・菊花・桜花・オークス)をひとつも勝たなかった年と限定しても、
近年ではデアリングタクトらの2020年以前には、2011年まで遡る。(しかもこのときは社台ファームの完全独占となっている。主にあの金色の暴君が政権に就いていたため)
無敗三冠牝馬と無敗三冠馬の同時登場は、まるでノーザンファームが独占する玉座を奪うために遂行された、非常に大胆な戦略であるかのようだった。
「そうだよ、僕たち二人で全て勝ってしまえばいいんだ」
……なんて話をしていたわけではないのだろうけれども。
実に少年少女の青春心をくすぐる展開だった。
断っておくが、私は決してノーザンファームが憎いわけではない。
日本の競馬が発展するためには、その牽引役を引き受ける、最強のチームが必要なのだと思っている。それでこそ、その最強のチームを倒さんと各陣営が努力し、高め合い、結果として全体のレベルが底上げされてゆくのだから。
ノーザンファームには、そのための壁役となり、時に敵役になるほどの強い生産牧場であってくれなくてはいけないとさえ思っている。
だから、こんな年は毎年のように起きなくて良いのだ。
人々がヒーローを求めているとき、どこかに救いを求めたくなったときに、彗星のように現れて、去っていく。それからまた、ノーザンファームの時代が始まる。それで良いのだ。
2020年のクラシックは、ちょうどそんな時期の出来事だった。
何とは言わない。ちょうど、社会がこれまでにない閉塞感を迎えていたときだった。私個人のことを言わせていただければ、生きがいのひとつだった五輪の観測もできなくなった、一言で言えば地獄のような年だった。
デアリングタクトとコントレイルがターフに現れたのは、そんな時代だった。
何か、いつもと違うことが起きてほしい。
いままでに見たことが無いようなことが起きてほしい。
正体のわからない強大な息苦しさを打ち破るような、何かが。
そして、それはやって来た。
魔性と呼ばれたメジロラモーヌ以来の、青鹿毛の三冠牝馬。
史上初の、無敗の三冠牝馬。
史上初の、親子無敗三冠馬。
史上初の、同期(無敗)三冠。
そして、久方ぶりの非社台系生産牧場による、クラシック独占。
(非社台によるクラシック独占となると、筆者にはもういつが最後かわからない)
その衝撃と感動を言葉にするのは難しい。
けれども、デアリングタクトとコントレイルという二人に心を救われた人間が、少なくともここに一人いた。
ここで終わっていれば、大団円のハッピーエンド。
気持ちがいいくらいの、最高のエンディング。
しかし、彼女の陣営は、それで終わらなかった。
名は体を表す。
まさに「Daring Tact」が待っていた。
Daring Tact
伝説の2020年、ジャパンカップ。
GⅠ最多8勝(当時)の5歳三冠牝馬アーモンドアイに、
3歳の無敗三冠牝馬デアリングタクトと無敗三冠馬コントレイルが挑む。
漫画のような三つ巴の勝負になった。
実は、この三頭のうち、一番最初にジャパンカップへの参戦を明言したのは、デアリングタクト陣営だった(と、記憶している)。
明らかに、この戦いを誘うような参戦宣言だった。
思えば、この年の3歳馬にとっては、これがラストチャンスだった。
最強の名をほしいままにした女傑アーモンドアイ(しかも彼女はあのノーザンファーム生産)に、真正面から挑戦状を叩きつける。
最高のシナリオで、最高のチャレンジ。
冗談めかして期待する者は居ても、本気で実現すると確信していた者がどれだけいただろうか。
あれよあれよと言う間に世紀の対決は現実のものとなった。
正直、もう引退が決まっているアーモンドアイ陣営に対し、
今後のキャリアがまだ残されていた3歳の俊英たちにとっては、リスクでしかなかった。クラシックの激闘ののち、わずかな間で大人たちに交じって最強馬を倒さんと勝負に挑む過酷さ。勝ったとしてもダメージがかなり残りそうな強行軍になるうえ、もし惨敗でもしようものなら、評価は一転して「世代が弱かったからだ」などと言われるようになる。
それでも、デアリングタクト陣営は真っ先に手を挙げたのだった。
そこには、クラブを運営する者たちのサービス精神と、反骨精神の入り混じった決意があったように感じた。
シルクレーシング、ノーザンファーム、GⅠ8勝の称号、リーディングジョッキー。それらすべてを手にした最強馬、何するものぞ。
私は強い牝馬に憧れを抱き続けてきた。
ヒシアマゾン、エアグルーヴ、スイープトウショウ、ウオッカ……
リアルタイムで見た牝馬の中で一番最初に推し競走馬となったのは、
ネット上で散々な言われようをしているジェンティルドンナだった。
(ウオッカは競馬ファンになる前、単なるウオッカファンだったので数えないものとする)
彼女は史上二頭目の7冠馬の娘として、三冠牝馬の名を頂き、
父と同じ7つのGⅠタイトルを手に入れた。
しかも、彼女は歴代の三冠牝馬の中で唯一、
三冠達成後、一度も牝馬限定戦に出走することはなかった。
一年上に三冠馬オルフェーヴル、同期にゴールドシップら錚々たるメンバーが居たにも関わらず、だ。
そうして積み上げたGⅠ7勝は、今も燦然と輝いている。
強い牝馬の象徴として、私の中でいつまでも色あせることはない。
その強い牝馬の系譜の中に、アーモンドアイもまた、輝いていた。
しかし、あのジャパンカップの日だけは、私にとって敵役だった。
デアリングタクトに、コントレイルに、夢をかけていた。
最強牝馬の系譜を引き継ぐのは、デアリングタクトだ。
恐れることなく最高の舞台に飛び込み、勝利を手にする、大胆な作戦(Daring Tact)。
さようなら、アーモンドアイ。お疲れ様、アーモンドアイ。
そう告げるつもりで、あの日の府中を見つめていたのを、今でもよく覚えている。
結果はよく知られたとおりである。
1着、アーモンドアイ。
2着、コントレイル。
3着、デアリングタクト。
真っ向勝負を挑み、そして跳ね返された。
3歳の若武者たちの挑戦は、円熟の時を迎えた5歳の最強馬によって見事に打ち返されたのだった。
しかし私は、不思議な充足感に包まれていた。
三冠馬は、三冠馬にしか負けなかった。
その事実が、この勝負を近代日本競馬の最も偉大なレースに仕立て上げた。
未来に希望を抱いた、そんな爽やかな敗戦だった。
強い牝馬だからこそ
それからのデアリングタクトについては、あまり語りたくないというのが正直なところである。
不穏な空気は、翌年の香港挑戦から漂っていた。
香港に到着した彼女の馬体を見て、私は悲鳴を上げた。
クラシックの激闘、そしてJCでの死闘。
そこから半年後の初めての海外遠征。
積み重ねた疲労とストレスが、代償となって身体に現れていた。
皮膚が薄い、のとは明らかに違う浮いた肋骨。
その印象は数字にも表れ、成長して大きくなったはずの彼女の体重は、
新馬戦のときの数字と同じだった。
勝負などどうでもいい、無事に帰ってきて欲しい。
思えば、その時点で私の願いは、もはやアスリートとしての彼女に対するものではなくなってしまっていたのかもしれない。
まもなく繋靭帯炎発症の発表があり、私の夢の時間はそこで終わった。
それからの日々は、続報に怯え続けるものだった。
彼女の名がSNSのトレンドに上がると、心臓が締め付けられるような思いがしたものだった。
グッズが発売されるという発表だったと知って、胸をなでおろす。
某アプリキャラクター化決定の発表と知って、ため息をつく。
そんな毎日だった。
怪我からの復帰を強行した結果、
考えたくないような結末を迎えるかもしれない。
競馬というスポーツの世界では、珍しいことではないのだ。
私にとって、彼女は憧れの女性だった。
どんな強大な相手にも恐れを抱かず、ひたむきに勝負を挑み続ける。
そんな彼女が、悲劇の名馬になって欲しくはない。
けれど、そんな彼女だからこそ、そんな彼女だと作り上げてきた陣営だからこそ、勝負を諦められない。
デアリングタクトという競走馬は、ここで勝負を簡単に投げてしまうような馬ではない。そういう物語を陣営は描き、私たちファンはそれに夢を乗せていた。乗せてしまっていたのだ。
名馬は馬の力だけで創り上げられるものではない。
関わる陣営、応援する人々、背後にある幾千万の願い。
それらすべてが「名馬」という虚像を形作る。
無事に早く引退してほしい。
でも、リベンジを果たさないままターフを去る彼女は見たくない。
相反する感情と、作り上げてきてしまった「デアリングタクト」という憧れのイメージに引き裂かれるような日々だった。
いつしか戦友のコントレイルは去り、
その鞍上とともに新しいキャリアを始めた。
けれども私が憧れた人は、未だ終着点の見えない旅を続けていた。
それが、昨日までのこと。
最後のTactics
そして、今日。
私のスマホに、旅路の終わりを告げる報せが届いた。
私は、ホッとしていた。
「デアリングタクト」という文字を見て、
これほど心が穏やかになったのは、初めてのことかもしれない。
期待、興奮、熱狂、感動、尊敬、不安、驚愕。
あらゆるダイナミックな感情を与えてくれた彼女が、
最後に私に与えてくれたのは「安堵」だった。
あるいは、これが最後のサプライズだったのかもしれない。
彼女らしい、あまりにも大胆なやり方だった。
デアリングタクト号
父エピファネイア、母デアリングバード。
母父キングカメハメハ。
生産 長谷川牧場。
馬主 ノルマンディーサラブレッドレーシング。
戦績 13戦5勝、2着1回、3着3回。
GⅠ3勝。(桜花賞、優駿牝馬、秋華賞)
どんなに状態が悪くとも、過酷な条件だったとしても、
7着以下の惨敗は一度もしなかった。
本当に強く、逞しく、美しく、信じられない魔法の力を持った牝馬だった。
そんな彼女のTacticsに何度も振り回されてきた私。
彼女は無事、私の憧れの女性のまま、牧場に帰ることができた。
私からも言いたい。
本当に、お疲れ様。
そして、ありがとう。デアリングタクト。