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頭小僧

子どもの頃は、頭小僧だった。

と書き始めたが、頭小僧が何を指すのか、よく分からないと思ったので、丁寧に書こう。

子どもの頃は、頭で考えることがすべてで、身体性のない子供だった。

「分かる=できる」だと思っていたのは、勉強ができたからかもしれない。
・・・いや、ゲームのしすぎかもしれない。

体育はからきしできなかったが、そこに対する自己省察はなかった。


大学に入って、指揮を振るという行為に対しても同様だった。

今振り返れば、ひどい動きをしていたのだろうが、頭小僧は、自分の頭と動きがリンクしていないなんてことを考えることはなく、自分勝手に動いていた。

転機は大学院時代、声楽家の松永先生との出会いだった。

大学院1年生の時に受けた「発声ボディートレーニング」の授業は、犬の真似をしたり、麦踏みの真似をしたり、今までの自分の認識を覆すのに十分だった。

そこから、松永先生に勧められてからだや呼吸のワークショップに行ったり、演劇の合宿に行ったり、身体に目を向けてみると全く違う世界が広がっていたのだった。

あの頃、先生に「これまで使ってきた体の癖を変えるには、使ってきたのと同じ年数かかる。」と言われたことがある。

あれから時間が経って、どうでしょう。同じくらい時間が経ちつつあるんだけど、少しは変わったかしら。

と天国にいる先生に訊いてみたいが、「全然ダメね、ちゃんとやってないでしょ。」と言われるのが関の山だと思う。

うーん、確かに最近サボってました…。時々、化けて出てきて𠮟咤激励してくれないかしら…。

とか言ったら、また怒られそうだな。ちょっと体動かして、寝よう。。。

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