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「界隈」が苦手な話

いわゆる「界隈」が苦手だ。私に近い界隈は「写真」「緊縛」になるが、関わり合いになりたくない。私にとって「向こうから勝手に寄ってきて迷惑をかける」存在となることが多い。多すぎる。

私に来る迷惑は「緊縛写真を撮りたいからお前の受け手を使わせろ」「お前の受け手を縛らせろ」が多い。無視していると「根拠のない悪い噂で貶められる」という事態になる。このパターン以外の迷惑は被ったことがない。裏を返せば、必ずこのパターンで嫌な思いをする。私の受け手も、同じパターンが多いようだ。

人物写真も緊縛も、行為の根底には欲望が流れている。「美しい人の一瞬をものにしたい」が共通項で、緊縛だとごく一部の例外を除いて、性的なニュアンスが加わる。被写体or受け手側には、自分の存在を使って表現したかったり、縄への興味や縛られたい欲求がある。お互いに縁があり、したいことがかみ合う相手を見つけられないと、表現の土俵に上がることがかなわない。

迷惑をかける側は、この手間を省きたいのだろう。気持ちはわかるが、了見が違う。

撮影も緊縛もごく個人的な行為であり、信用が大前提だ。互いに信用されるような行動を積み重ねて、表現できる関係を深めていく。相手に見限られればそれで終わり。だから、技術を磨き相手を満たす努力をしている。その労力と時間を省きたいというのは、ただのエゴだろう。協力する筋合いは、私にはない。

「XX会」とか「XX流」のような集団が発生する理由の一つに、そういう手間なく表現の技術と相手を得たい、というニーズがあるのだろう。所属する集団の成り立ちや意味が分かる社会性を備えた人なら、迷惑には及ばない。でも、世の中はわきまえてる人だけで構成されていない。わがままな欲望を振り回す人も出てくる。

集団のメリットを享受するなら、その集団を大事にしてほしい。迷惑をかければ「あいつらろくでもねえ」という悪評につながる。その集団でできることに満足できないなら、外に出て個人で勝負すべきだ。責任は全部自分で負って。

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