さよなら偏見ちゃん
インナーチャイルドの追悼式を行う。
それに伴う思考の整理をしていきたい。
人間は忘れる生き物だと言う。
確かに勉強したことは全部忘れたし、1日のタスクはどこかうっかり忘れてしまう。リマインダーは仕事や私生活のことで常にいっぱいだ。
心理学者ヘルマン・エビングハウスが一度覚えた無意味なものをどれだけ覚えていられるかという研究のもと言ったらしい。学習面で言えば復習って大事だねということに整合性がとれる先生御用達の名言だ。
本当に全部忘れられる生き物だったらよかったと思う。忘れてしまうことは問題だが、忘れられないことも厄介だ。
こんな風にグダグダ考えがちな人間は、きっとふとした瞬間に叫びたくなるくらい嫌な記憶が蘇ることがあるだろう。特定の時期にリピートしていた曲を聴くと気が滅入るし、黄昏時の部屋で不安になる。そうならない人間もいるらしいが、(!?)生憎こっち側の人間に生まれてしまった。簡単に言えば陽の者と陰の者の違いだ。
ちょっとしたこと全部が忘れられない、不器用で面倒くさい、気持ち悪くて愛しい性質。失態や失言を夜な夜な振り返り、自己嫌悪し記憶に染みついていってしまう。ここでまさかのエビングハウスの忘却曲線による復習方法が自然に行われていると思うと面白い。いやふざけんなどうでもいいことは忘れさせてくれ。お願いだから。
清算できなかった記憶は想起するごとにそれぞれが思想に織り込まれていく。思い出と言えるような可愛らしいものではなくなり、醜いドロドロした何かに変わっていく。捻れたその思考は、幼稚でわがままで道理が通っていない主張に意地を張っている。まるで幼い子供を抱えているようだ。厄介なことに一人ではなく複数いる。いつだかインナーチャイルドという言葉を知った。
心理学なのかなんなのかも理解していない。しっかり知ろうとはしていないので。自分とは別の問題かもしれないが、割り切った思考をできるようになっても、幼少期の自分が思考のどこかしらでのさばっている感覚にぴったりだと思った。
クソガキ思考三銃士を連れてきたよ!
・ど偏見の塊、ミサンドリー
「男はみんな絶滅しろ」
・異常な執着心、デミロマ
「何もできなくてごめんね…」
・偶像崇拝者、シスコン
「おねえちゃんどいて!!そいつころせない!!」
他、いろいろな思考たちで構成されている。
愉快。
そんな中でも、最近になって男性嫌悪の一人がいなくなったのだ。いなくなったというよりかは、確実に私の手で殺した。そんな感覚がした。その感覚が非常に鮮烈だったため、記録したい。お話上、自分の最低な部分が出てくるのであまり人に読まれたくはない。生きててごめんなさい。
インナーチャイルドという言葉を知って、厄介な思考を自分とは切り離して考えることができるようになった。インナーチャイルドを殺す、そんな目標を持った。
しかし認識できるようになったとはいえ、記憶や思考を変えるということは難しく時間の経過によって薄らいでいくのを待っていた。何度も何度も考えて、どうにもならずに諦めてしまった形に近い。トラウマと向き合うことはしんどいのだ。たらればしかでてこない。
きっとふとした時にいなくなっていることに気づくような、そんな変化なんだろうなと思っていた。
一人の男性とよく話すことが多くなった。波長が合っていて、お互い他の人には聞いてもらえないようなくだらない話を延々とできるので楽しかった。男性嫌悪の話もした。
どうでもいい感情や思考を吐露する時間は楽しくて、失いたくなかった。それは共通認識だと思っていた。楽しさにかまけて、男女の関係性の違和感なんて無視すればいいと。
そうはいかなかったらしい。
他人の感情を無視して本能に身を任せるような人ではなかったから、おそらく理性でもって距離を置こうとしていた。自分が男性嫌いなことを理解しているからだ。向こうが意識して余計な感情が乗ることでつまらなくなるのなら、もう要らないなと私も思った。でも性別の違いでこんな楽しい時間が奪われてしまうのも悔しかった。恋愛に帰結していく思考にブチギレた。
私は楽しかった時間が失われるのが惜しく、エゴを貫き通そうとしたのだ。(これがミスだったね〜!)向こうが理性で本能を叩き潰してくれることに期待した。
自分の男性嫌悪をどうにかしたら、関わりやすくなるんじゃないかと考えた。いままでは男性だと認識したらシャットアウトして、存在や感情を思考の中に入れることを完全に避けていた。すべてを拒否していた。これが良くないんじゃないかと。
向こうの感情を飲みこんで理解した上で拒否することができれば、存在を尊重した関係が築けるのではないかなと思った。自分自身が気持ちを偽ってデミロマちゃんを未だに背負ってきているため、抱いた気持ちを大事にしてほしいという気持ちもあった。
どっちみち付き合うことはできないので惨いことになるのだが。
じゃあこの男性嫌悪をどうしよう?となる。
女性というだけで性的対象に見られることが嫌だった。自分自身を見られることなく、見た目で判断して勝手に品定めしていく人たちが嫌だった。いままではそんな人ばかりだと思っていた。
おそらくそういう人ではないよな?話して、波長が合っていて楽しかったからなんだよなと勝手に理解した。異性愛者だし、私が女性故に友達で感情は止まれなかったのかと思うとがっかりするが、人となりを知った上での好意ならまだ受け入れる余地がありそうな気がする!と思い至った。
この時だった。偏見の塊が解けて消えていった。ぐるぐる渦巻いていた感情はスッとなくなり思考がクリアになったのだ。ただ自分の中で全部の男性が頭おかしいわけではないと理解できただけなのだが、それだけでも新しい発見だった。それくらい何も知らなかった。
他人を理解しようと自分の中で新しい考え方を導き出した。嫌悪を否定することなく、自分で理解することができた。
偏見ちゃんを抱きしめて背中から包丁を突き立ててゆっくりと刺し殺した。そんな感覚だった。温かくて眩しい穏やかな死だった。
偏見ちゃんの存在を否定することなく、受け入れた上でじんわりと新しい思考が生まれた。
きっと知らない間にいなくなっているんだろうなと思っていた。自分の手で確実に殺して、静かに生き絶えていく感情に立ち会えたことが衝撃だった。
夏の朝焼けのなか、交差点で私は泣いた。
という私のエゴのためにインナーチャイルドを殺したお話だ。正しく葬るような形ではないので、結局別問題が発生してくるのだろうが。
つくづく自己中心的な考え方に嫌気がさす。受け入れることができないのに感情を許すなんて無責任がすぎた。諸々お話はついているが、向こうの男性には悪いことをした。本当に。
お陰で成長することができました!イエー!ありがと!!
とまでクズに振り切れることはできないが、大分クズだと思う。いっそ振り切ってしまった方がいい気もする。
持論として、人間は変われないと思っている。根付いた考え方はそうそう変わるものではないし、経験や記憶は反芻されて色濃く残り続ける。きっと偏見ちゃんも形を潜めているだけだろう。
事実、大丈夫になったとおもって浮かれていたところにど偏見フラッシュバック総集編のような夢を先日見た。最高に怖かった。
厄介だと思っていた偏見も、恐怖心を遠ざけ余計に傷つくことを防いでくれていたのかなと思った。偏見ちゃんがいなくなったことで恐怖心までのラインを見極めるのが少し難しくなったように思う。どこまでがセーフでどこからがアウトなのか、しっかり考えなければならなくなった。非常に面倒だと感じるが、自分も他人も傷つけてしまうので知らないフリはしてはいけないのだろう。
いまだ生き恥を更新し自己嫌悪しながらぐるぐる忘れられずに生きている。全部が解決して楽になることなんて一生ないんだろうと思う。
こんな面倒な生き方が嫌でしょうがないが、そこで得た考え方は大事にしたい。どれだけ辛くて気持ち悪くて捨ててしまいたくても、全部自分だけのものだ。
全部忘れないし、自己嫌悪でズタズタになりながら生きていきたい。
強情で幼稚でうるさかったけど、いなくなったらすこし寂しいかな。さよなら偏見ちゃん。おやすみ。
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