慶應幼稚舎OBから見た、横浜初等部という存在
まだ子供が幼くお受験塾にも通わせていなかった時、幼稚舎OBである同僚に何気なく聞いた話です。
私「横浜初等部って最近すごい倍率が高いですけど、幼稚舎とどちらが人気なんですか?」
同僚「、、、?(本気で言ってるの?という顔)」
私は瞬時に間違ったことを質問してしまったと焦りましたが、美しく優しい同僚は丁寧に言葉を選ぶように話し始めました。
同僚「あのね、内部(※幼稚舎の方は自分たちのことを幼稚舎とは言わず、「内部」と言います)の人間はね、あの学校(横浜初等部)のことを、慶應と認めていないのよ。」
私「???」
※幼稚舎の方々は普段幼稚舎について決して自慢めいた話をされません(自分たちの存在自体が特別である事を自覚しており、不用意に話すことで反感を招かないようにするため)
しかし、この方とは結構親しくしていたため、私のような部外者にもお話しくださったのだと思います。
同僚「私の父母の世代の人間は特にもう『お怒り』なのよ。
あの学校(横浜初等部とは絶対言わないw)は慶應ではないの。 あの学校を創立するときも本当に多くの人が反対したのに、慶應の派閥争いのどさくさに紛れて無理やり作っちゃって。」
「給食だってオークラではない、普通の給食センターの給食を提供しているようだし、あんな田舎に校舎作って、それで慶應だなんて。。。」
(そのあとは私が聞いても分からない派閥争いの話や、中等部、高等部の話などがつづきます。)
わたしは今でも横浜初等部は幼稚舎よりは、コネ要素が薄く実力主義(あくまで幼稚舎よりは)で、フリーで慶應を目指す庶民にとっては希望の光だと思っています。
でも内部の人から見ると全く違った認識を持たれているのだなと、目からうろこでした。