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最後のひとつ

初めて彼に作った料理はオムライスとグラタンである。
付き合って二ヶ月くらい過ぎた頃だっただろうか。
普段どちらかと言えば和食を好む彼の、このリクエストは意外であった。
曰く「自分では作らないけど、お子さまランチメニューが好き」とのこと。
彼は自炊するけど、基本的に酒に合うものしか作らないのだ。
というわけで或るデートの日、彼の家でお昼ごはんを作ることになった。

オムライスには昔ながらのラグビーボール型と、ちょっと今時のとろとろタイプがある。
どちらが良いか尋ねると
「やっぱり昔懐かしのタイプかなぁ。いやでもとろとろも美味いし…」
と悩んでいたので両方作ることにした。

当時はお皿や調味料の場所がよくわからなかったので時折手伝ってもらいながら何とかグラタンとラグビーボール型オムライス(←正式名称は何て言うんだろう)が出来上がり、とろとろオムライスはまだだったので先に食べててねと声をかけるが、彼は一向に食べようとしない。
「冷めちゃうよ」
「待ってるよ」

どうして待つのだろう?


ほどなくしてとろとろオムライスも出来上がり、一緒にいただきますをして食べ始めた直後、彼が私を見て不思議そうに言った。
「何でそっち食べてるの?」

私が食べていたのはオムライスでもグラタンでもなく、オムライスを作った時に余ってしまったチキンライスだった。
まさか何でと問われるなどとは思ってもいなかったので私は狼狽える。
「え、だって余ったし勿体ないし…」
「先にこっち食べなよ。何で残り物から食べるの?」
「だって飴さんのために作ったから。私が食べたら飴さんが好きなものを好きなだけ食べられないから」
「何でやねん」
彼は笑いながら言葉を続ける。
「俺は紺さんと一緒に食べたいの。紺さんは好きなものを好きなだけ食べたらいいの」

驚いた。
かつて結婚していた頃、食事は出来たものから夫が食べ始めていた。
一番美味しいところを一番美味しい状態で食べてもらいたかった。
私は大人の分と子どもの分を作り、子どもに食べさせてから食べていた。
食事を作り終えるまで待っててくれるとか私が好きなものを食べて良いとか、そんな発想すらなかった。
「私が作ったものなのに私が好きなだけ食べてもいいの?」
「当たり前でしょ」
彼はまた笑った。


後日、行きつけの居酒屋で一緒に飲んでた時にこのことがとても嬉しかったのだと彼に話したことがある。
彼は「あのね」と私の方を向き、
「例えば今何か料理を頼んだとして、お皿に七つ乗ってたとするでしょ?そしたら四つは紺さんのなの。どんな食べ物でも大きい方や美味しいものは紺さんだし、最後のひとつも紺さんなの。それは絶対なの。俺の好きなエビフライでもそうなの」
「でもさ、最後のひとつを私が食べて『俺が食べたかったのにー!』ってならないの?」
「それくらい食べたいものだったらもう一皿注文するよ」
彼は笑い、私は泣きそうなのをこらえていた。

多分、当たり前の人には当たり前の話なのだろう。
だけど、私にとっては目からウロコが落ちるような言葉だった。
思えば過去の恋愛において自分が優先されたり気遣いを受ける経験が少なかったのだと思う。
また、小さな息子と生活していると「何かをしてもらう」という経験が著しく減ってしまう。
あと、元来の折れ癖というか自己主張が苦手な性質もある。


私は、気遣いをそのまま受け取っても良いのだ。
少なくとも彼に対しては。


あれから時は流れた。
彼は今でも何を食べても私に多く取り分けるし、最後のひとつは「食べなよ」と言う。
時々私は昔の癖で「これ、食べていい?」とか聞いてしまい「いちいち聞かなくても黙って食べたらいいの。俺は別に『最後のひとつを食べやがってー』とか怒ったりしないから。絶対」とたしなめられている。
食事に行けば座りやすい椅子の方を私に勧めてくれるし、買い物に行けば重い荷物は例え私のものであっても持ってくれる。
この話のことは覚えていないとのこと。
「別に『いいこと言ってやろう』と思って構えて言ったことじゃないよ。ごく普通の当たり前のことだよ。気にすることじゃないんだよ」




※以前のアカウントで書いた話をリメイクしました。
ちょっと雑多な感じですね…

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