NewJeansが作り出すリアリティとその行方 #3
2章 NewJeansが体現する思春期像(後編)
2.4 HurtのMVを通して写し出される自らのイノセンス
"Hurt"は3曲目のMV投稿であり、Attention→Hype Boyという流れからして、大きな期待の元に待たれた。
そして、いい意味で予想は裏切られる。
"顔"との対峙を促すシンプルな構成
上記2曲ののような大掛かりなロケによるMVからは打って変わって、HurtのMVはメンバーの"顔"をアップで映すという非常にシンプルな構成であった。
どアップすぎて最初は直視できないという方はたくさんいるはず、、、
私は未だに直視できません、、、
K-POPアーティストである限り、"顔"は良くも悪くも最も最初に想起されるイメージであろう。
顔に関する言説は多岐にわたるが、例えば、和辻は顔について以下のように述べた。
つまり、顔こそがその人を表すものであり、その人を思い浮かべるときに顔というイメージは避けて通れないということだ。
AttentionやHype BoyのMVでは、世界観こそが表現の主旨であったが、HurtのMVにおいて中心にくるテーマは“顔“である。
前2曲のMVにどんなにリアリティがあるとしても世界観というのは飽くまで観念である。しかし、顔はどこまでもリアルだ。取り替えの効かない厳然たる現実である。
3つ目のMVをしてついに彼女たちの“顔“と対峙することで、鑑賞者の頭の中にはNewJeansのメンバーのビジュアルイメージが鮮烈に刻み込まれる。
それも、無垢で脚色の無い潔白なビジュアルイメージである。
清々しく、羨ましいまでの純粋無垢である。
自らのイノセンスと向き合うこと
彼女たちの無垢な“顔“を通して私たち鑑賞者は自らのイノセンスと向き合うことになる。
ある程度の歳を重ねれば、純粋な心身の状態は失われ、人はさまざまな“化粧“をまとう。
人間関係や環境への適応を通して、無垢な部分をあからさまに外に出すことを憚るようになり、忌避するようになる。
そして、無邪気にふるまう人を羨んだり、時には嫌悪感を抱いてしまうこともある。
直視できないのは、薄汚い自分の心の中を見透かされてるような、そんな感覚があるのです。見ているとじりじりと胸が痛むような、、、嗚呼、自分にもこんな無垢な時代があったのだろうか。
ユング心理学ではそのような現象を"投影"と呼ぶ。
すなわち、自己のとあるありのままの資質(ここでは忌避してきた無垢の自らの姿)を認めたくないとき、相手にそれを押し付けてしまうのである。
HurtのMVを見るとき、そ自身がまとってきた“化粧“を落とすような浄化作用のような感覚を得る。
普段は向き合うことのできない自らの無垢を彼女らの"顔"に投影し向き合うことで、これまでの人生や今現在の暮らしをまっすぐに省察することができるのである。
ところで、ハニさんの表情演技ここでも炸裂してるな?歌詞の表わす感情を目と口元の動きだけで再現しててすごい。早く俳優さんになってください(n回目)
2.5 CookieのMVにおけるリアルとアンリアル
2022年8月1日のEPデジタルリリースと同日にCookieのMVが公開された。
90年代の雰囲気を纏ったAttention、華やかな青春を描くHype Boy、無垢を魅せるHurtのMVに続いて、どのような表現が採用されるのか、個人的には様々な予想と共に画面に対峙していた。
Hurtは脚色を取り払ったMVであったから、極限まで脚色されたフィクションでくるのでは?90年代の曲を大胆にサンプリングした曲が来るのでは?歌のないインスト曲とか?等々、恥ずかしながら稚拙な妄想を広げておりました。そして見事にはるか斜め上をいかれて見事にノックアウトしましたとさ。
非現実的な現実
実際に公開されたMVはHurtと同様にシンプルな構成でありながら、リアルな肌触りや無垢なイメージとは正反対の表現であった。
彩度が低くフィルムライクな淡いトーン。パフォーマンスを中心に見せるシンプルな構成。それでいて、ライティングとトランジションの多彩さや、写真を並べたかのようにバランスの良い構図と振り付けによって飽きることのない展開。
心なしかどことなく全てがCGのように見えるような緻密さであった。華やかな色合いのAttentionやHype BoyのMVや極限までリアルなHurtのMVとの対比によってその特徴は強調されているように思う。
細金卓矢氏によるPAELLAS「Fire」のMVは、物体をグレーに塗装し、非現実的なライティングによってシーンを切り分けることによってリアルとアンリアルの境目を溶かしている作品だ。
同様にCookieのMVでも、グレイッシュな色彩と非現実的なライティングの組み合わせによって現実感を極限まで削ぎ落としている。
アンリアルなイメージをつくる要因として、ライティングと合わせて、空間構成にも触れておきたい。
ビハインド動画から見るに、撮影を行ったのは大きな白ホリの空間であったようだ。
メンバー5人とベンチ等の小さなセットを収容するのには少し大きすぎるくらいの空間だが、この不自然なバランスも何か現実離れした雰囲気を醸す要因だろう。
そして、空間のエッジがぼやかされているのも大きな特徴である。
大きな空間のエッジは、アールでつぶされ、"線"が失われている。
エッジが曖昧になることで空間の大きさや奥行きは認識しづらくなり、明確な空間認識の感覚は失われる。
以下の写真は直島の地中美術館内にあるクロード・モネ室である。
エッジが曖昧であることよって、距離感や広さの感覚が失われていることがわかる。
空間を意味する英単語"space"には間・間隔というような意味も含意される。間隔とは対象との距離が認識されて初めて生じるものであるから、距離感が失われることはすなわち空間という存在すら危うくする。
建築家の安井裕雄氏は、ある勉強会の中で、モネ室について以下のように述べている。
空間という存在が解け、作品と混ざり合うことでそれ自体が作品となる。という現象がここでは起きているのだ。
さて、CookieのMVでもこの効果によってメンバーと空間とが混ざり合い、ある意味それ自体が一体の作品となっている。
メンバーはリアルな人格というより、作品の中の各々の要素としてはたらいているのである。
加えて、表情もけっこう効いてるのでは?とも思う。にこやかな感じでもなく、わざとカッコつけるでもなく、いい具合に真顔というかなんというか、ちょっとまとまってません。すみません。
4つのMVを並列した時に、この"アンリアル"なMVがあるのと無いのとでは大きく印象が異なるであろう。
リアルで確かな肌触りを持って我々の心情に迫ってきた他3つのMVとこのアンリアルな雰囲気を纏ったCookieのMVを連続して鑑賞することで、鑑賞者は現実と非現実を行ったり来たりすることになる。
この落差が、NewJeansが持つリアリティの強度を大きくしているように思う。
2.6 4つの楽曲に宿る分人
ここでは、NewJeansの楽曲それ自体についても分析したい。
尚、免責事項の繰り返しにはなるが、筆者は音楽の歴史や楽曲制作に明るいわけでは無いので、明らかに間違った分析をしている恐れがある。その際は、ご指摘いただきたい。
また、音楽的な分析は専門的な知識を持った方々が素晴らしい分析をしているコンテンツが多々あるので、ここではあまり触れないものとする。
楽曲に宿る人格
EPを構成する4つの楽曲を概観してみると、それぞれ違う曲調で、歌詞のテーマもそれぞれであるように見える。
しかし、高次の次元では何か一貫性があるように思えるのだ。大まかなコンセプトというよりは淡い"人格"の輪郭のようなものを感じる。
ここでは少し遠回りになるが、この"人格"をより正確に捉えるために他のK-POPグループの楽曲群と比較して見たい。
第4世代の草分け的存在でもあるITZYの楽曲群を見てみよう。
以下に引用するのはデビュー曲"달라달라(DALLA DALLA)"の中の印象的な一節である。
ITZYの登場も今回のNewJeansの登場と同様に衝撃的なものであった。
MVの最初にエレベータが開いてリュジンさんが見えた瞬間、電撃走りました。それ以降リュジンペンであることは言うまでもありません。
BLACKPINKの登場以降、"女性があこがれる女性"を体現するコンセプトとしてガールクラッシュ(Girl Crush)が定着した。これは、あくまで抽象的な女性像であり、必ずしも特定の人格が設定されているものではなかった。
ITZYのデビュー曲であるDALLA DALLAは、ITZYが体現する"人格"が鮮烈に描かれている。
自らの基準を持ち、周りの評価軸ではなく自らの価値判断を第一に置く芯のある人格である。
もちろん、その人格がまとう魅力的な雰囲気を差してガールクラッシュであると評価することはできるが、その抽象的な印象に留まらず、より明確なところでの人格までテーマを掘り下げているところにITZYの凄みがある。
注) 良い悪いの話ではなく、これはあくまでコンセプトのレイヤーの話である。ガールクラッシュという大きな枠組みの中にITZYが魅せるコンセプトが含まれているような感覚だ。
ITZY "WANNABE"の歌詞も引用してみたい。
私は私でいたいという、確固たる芯のある人格はここでも協調され、曲ごとのテーマとしてではなく、ITZYというチーム全体で一つの人格が継続的に体現されていることがわかる。
この、強くて理想的な人格に私たちは憧れ、自分には無い価値観を享受する。
端的に言えば、自分は自分ままでいいんだ、という勇気をもらえる。
改めて、NewJeansの楽曲群に見出せる人格を観察してみたい。
"Attention”は好意を寄せる相手に気持ちを気づいてほしい、文字通りAttentionを得たいという内容の歌詞である。冒頭の一文にその意図がよく表れている。
歌詞全体を概観してみても、相手の注意の方向を自分に向けたいということをうたっている。
一方で、Hype Boyはベクトルは自分から相手に向かっているようだ。
曲全体で夢中になる相手への好意的な心情が繰り返し強調されている。
しかし、注目すべきは、サビ前のパートである。
この表現が挟まれるだけで、全体の歌詞の意味合いも違った様相を呈すようになる。
つまり、相手に対する愚直なまでの感情の発露は、最終的には”相手を自分だけのものにしたい”という自己を中心に添えた所有欲に帰結するのである。
続いて、Hurtの歌詞を見ると、相手との関係性の中で不安定で傷つきやすい自分の感情の揺れに悩む様子が赤裸々に綴られている。
その中で、繰り返される以下のフレーズには繊細ながらも確固たる意志が感じ取れる。
「先にあなたが来て見せてよ」という一節に表れているように、自分という存在を第一に置き、相手の行動を促している。
そして、“傷つきたくない“という意志を強く示している。
より細かな話をすると、”I don’t wanna be”ではなく”I’m not gonna be”という表現を使っていることからもわかるように、拒絶にも近い主張を重要視した歌詞であるように思う。
最後に、Cookieの歌詞は相手が必ず自分に夢中になるという自信のもとに綴られている。
歌詞の構成やMVの表現から、CookieはCDひいては音楽を象徴しているとわかるが、単純に恋愛の歌詞としても捉えられるだろう。
ここまで各曲を概観して来たが、4曲それぞれに対して1人の個人を設定しているというよりは、1人の人間の感情の動きを表現しているように思える。
言うなれば、自身の存在を中心に据え、自己肯定を第一義とする意志(will)を持った、1人の人間に4つの分人が宿っているようなイメージだ。
"分人"とは、平野啓一郎氏が唱える新しい人格の単位である。
正確には、平野氏が唱える分人の概念は、中心を持たないネットワークとして定義され、一般的に言われている"人格"をさらに細かく分割したものである。
先述したように、NewJeansの楽曲群に見出せるのは、1人の人がある時間軸の中で様々な相手との関係や環境の中で形成した4つの分人(dividual)という様相である。
今一度、各曲における分人の解釈をまとめると以下のようになるだろう。
"人格"をさらに噛み砕き、4つの分人という状態が時間軸を移動する中で揺れ動く様は、現実の人間の状態により近いものだと思う。
人は成長の過程で様々な人と出会い関係を気づく中で、恋愛観や人生観を更新していく。価値観は揺れ動くのだ。
こういった人間全般に共通する人格の"揺れ"が表現されることで、NewJeansの楽曲群には自身の経験に則した共感を促す要素を感じるのではないだろうか。
2.7 Newjeansが体現する思春期像とは何であったか
長きに渡って思春期像という仮説を軸に分析を続けてきたが、結局のところNewJeansが体現する思春期像とはどのようなものであっただろうか。
今一度、当初の仮説を引用してみたい。
ここで仮定したバーチャルな思い出は、Hype Boyのストーリー構成や"居場所""友人"という要素によって形成される新たな青春の記憶であった。
この"新たに形成された青春の記憶に対する懐かしさ"とAttentionのMVに通ずる"時代的な懐かしさ"がNewJeansに対して感じる懐かしさの両翼であろう。
そして、ペルソナが共有されているのではという仮説をたてていたが、そのペルソナは1つの意志(will)を持った4つの分人(dividual)に細分化されることが読み取れた。
時間軸の中で様々な分人の間を揺れ動く様は、自らの経験と比較して非常にリアリティのある体験として感じ取ることができた。
そして、過去ではなく未来の"多様性が通底する社会"という一歩進んだ環境を前提として思春期という像が形成されていた。
以上のことから結論づけると、Newjeansの体現する思春期像とは、
「多様性の通底する未来の社会における懐かしさの表象」
であると言えるのではないか。
未来やバーチャルに対して懐かしさを感じるというのは一見矛盾している。
しかし、ここまで繰り返し使用してきた"懐かしい"という言葉の語源を辿ると、”慣れ親しみたい””身近に置いておきたい”という意味の動詞"なつく"が形容詞化されたのだという。
すなわち、過去の事象だけを対象とするものではなかったのだ。
改めて思い返してみると、NewJeansに感じる懐かしさは、過去に対する感情に留まらない。
心惹かれる・愛着を覚えるというような原義に近いような感情であるように思えるのだ。
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