親愛なる「肝っ玉母ちゃん」
上の子の小学校入学に合わせて、夫の赴任地から今暮らす街に戻ってきた。といっても、結婚して暮らすようになった街なので、そもそも知り合い=夫からのスタートだったが、思えば、多くのご縁をいただいてきた。
その中でも、本当に大切にしたいなあと思っているのが、下の子の幼稚園で出会ったママ達とその子どもたち。私は第二子を36歳で出産したので、これは高齢ママとして肩身が狭いだろうなと覚悟していたのだけれど、入園してみたら、第一子が極端に少なく、第二子率が異様に高い学年だった。自然とママの年齢も高く、なんと私の同学年が片手で収まらなかったのには、心底驚いた(我が家もそうだけれど、寅年ー寅年の組み合わせということになる。偏見かもしれないけれど、「強い人」が多いと思う)。
一番最初に仲良くなった親子は、なんと上の子の性別だけでなく、学年も、更に漢字は違うけれど名前も一緒だった。6学年差あるので、そのシンクロぶりに本当に驚いた。
最初の親子行事だったバス遠足で、席が近くになったり、一緒にお弁当を食べたり動物園内を巡った人たちと、実は10年経った今でも仲良くさせてもらっているのだが、我が家も含めて7組全てが、一女一男の組み合わせだったのにも驚いた(さすがに上の子の学年は異なるけれど)。
このママたちの中で繰り広げられる「下の男の子が、とにかくカワイイ」という共通言語によるトークは、当時最高に盛り上がった(当たり前だけれど、ほかの組み合わせのママが一人でもその場にいたら絶対しないし、出来ない話だ)。いずれくる思春期や親離れを見据えて、刹那的な「ママが一番」を表現してくれる息子の可愛さを満喫しあった。そして、たまたまかもしれないけれど、「お姉ちゃん」の後をついて、「お姉ちゃん」の顔色を見て、空気を読みまくる弟ボーイズたちは、とにかく平和主義者で、びっくりするほど穏やかな空気が流れていたし、中学生になった今も、そうだったりする。
肝っ玉母ちゃんの話はどうした!と言われそうだ。
このグループのママたちが、本当に素敵なママ揃いで、奇跡のような出会いだと思っているのだけれど、その中の一人が、まさに「肝っ玉母ちゃん」タイプなのだ。私はずっと彼女の「お母さん」としてのスタンスを密かに学ばせてもらっていた。
太陽のように明るくて、いつも周りを照らしてくれる。彼女がいるといないとでは、その場の空気が違うと、常々思っていた。ネガティブな出来事も、ケラケラ~と笑いに変えてしまうようなパワー。声質もいい。よく通る声は聞いていて元気になる。我が子だけではなく、周りの子ども達のこともよく見ていて、声かけが絶妙。一言でいうと、愛溢れる人なのである。
ほどなくして、彼女は元幼稚園教諭だったことが分かった。絶対人気者だったはずだ。間違いない。
そんな彼女は、美味しいものに目がなくて、ふっくらタイプ。豊かな胸をお持ちだ。やはり、外見から醸し出される「安心感」も、「肝っ玉母ちゃん」の大事な要素ではないかと、私も思う。彼女は「また太っちゃう。でも、食べちゃう~」と美味しそうにパクパク食べる。見ているだけで幸せだ。とにかく、大らかなのである。
更年期のせいか、体重増加が著しい私。昔キープを心掛けていた値から+10キロもある現実。体型だけが「肝っ玉母ちゃん」にならぬよう、大らかにいきたいものだと強く思う、この頃である。