2.タマネギ
エリカが妊娠しったて、最初に連絡をくれたのはエリカの親友の樹里だった。夜中、携帯に突然、電話してきたのだ。
『あんた、男としてちゃんと責任取るんでしょうね。』スゲー怖い声で樹里は言った。
俺はガキのころから死んだばあちゃんのいいつけで日記を付けている。“良い習慣が良い人生をつくる”ってのがばあちゃんの信条で、それで、俺もずうと日記をつけさせられた。ばあちゃんにとっては日記はいい習慣だったってわけだ。
だから、俺にはこないだエリカとそんなような行為をいつしたかってことがちゃんと分かる。誓って言うけど別にベッドの中でエリカがどうだったこうだったなんてことが細かに書いてあるわけじゃない。ただ、日付の下に小さなハートマークがつけてあるだけだ。それだけでも他の女友達やバンドの仲間に知れたら気持ち悪がられるから絶対に秘密なのだが、こんな時には役に立つ。
そ れによれば俺は彼氏とか言いながらエリカとはもう半年以上そんな行為には及んでいない。だから樹里からその電話を貰った時、俺は驚くと同時に無性に腹が立った。つまりエリカと寝ている奴が少なくとももう一人いるってことじゃないか。
俺は一人怪しいやつを知っている。それは俺のバンドに新しく入ってきた健二のやつだ。あいつは最初っから気にくわねえ野郎だった。変なチューニングのギターで俺が聞いたことのないリフを引き始め、俺がお世辞で『かっこいい、リフじゃん!』と声をかけると『おめえ、ロックやってんのにストーンズも知らんねぇのかよ・・』と言って、『チッ!!』と、舌打ちしやがった。
俺は洋楽は聞かない。俺の神様はミスチルの桜井やハマショーやGLAYやその他、沢山の日本のロッカー達で、自分のバンドでは彼らのコピーや自分のオリジナルをやっている。第一、何歌ってるか分かんねー歌なんか歌えねえ。だけど、いつだったか吉祥寺のスターバックスにエリカといると、あいつがトイレに行った時テーブルに置き忘れていった携帯が鳴って、すぐに鳴り止んだんだけど、こっそり着歴見たらそれは健二の番号だった。最近、彼女が俺に冷たいこともあって、それ以来、俺は健二を怪しいと思っていた。
俺は東京のとある三流大学の四年だが就職活動なんてしていない。つうか、今の時代、そんなことしたところで仕事なんて無くて、やるだけ時間の無駄だと俺は思ってる。ただバンドのメンバーの中にはもう辞めたいというやつがいたりして、それで今度の曼荼羅でのライブを最後に活動休止ってことにしようということになった。
だから、今はそのラスト・ライブのために練習が忙しい。俺達が練習しているスタジオのジュンさんとはもう長い付き合いなのでスゲー安い料金でスタジオを貸してもらっている。そして練習が終わるといつも隣にあるラーメン屋で反省会と称してラーメンを食いながらだべる。
これが一番楽しい時間なのだが、ここに俺のもう一つの悩みがある。それはこの店のラーメンだ。ついこの間までは俺の大好きな豚骨ラーメンの店だったのに、そこの色っぽい感じの女将さんが若い客とできちまったとかで姿をくらますと、いつもいるんだかいないんだか分かんないこの店の旦那はあっさり店を閉めちまった。
スグサマ違うラーメン屋が同じ店構えのまんまで商売を始めたんだが、これがいけない。今度のラーメンは俺から見たらただ真っ黒な醤油の中に麺が浮かんでいるだけで、しかもなんと刻んだタマネギなんかが入っていやがる。俺はタマネギは嫌いじゃないが、積極的に好きでもない。俺の中じゃラーメンに入っているものだってイメージがそもそも全く無い。
『ハイ。私、八王子のとあるラーメン屋で修行しまして、これ八王子系っていうんです。』と、まだ若そうな新しい店長は言った。
他のメンバーはラーメンなんてどんな味でも構わないみたいだった。皆、音楽性がどうとか方向性がどうとか、もう後一回で終わりだってのに、真剣に話していてラーメンは黒いスープの中でのびちまっていた。一人だけ話にも加わらず、ラーメンも頼まず、タバコをふかし、ビールだけをもくもくと飲んでいるやつがいてそれが健二だ。いちいち気に障るやつで俺はいつか絶対こいつをぶっ飛ばしてやろうとその時きめた。
その時は意外に早くやってきた。それはなんとラスト・ライブの曼荼羅でのリハの時だった。俺のイメージ通りのギターをやつが全然弾かなくて、それがことの発端なのだが、怒りにまかせ俺は常日頃健二に抱いていた疑惑を口にしてしまったのだ。
『・・それにテメエ、影でこっそり、人の女にまで手出しやがってよぉー、俺が知らなぇーとでも思ってんのか!!!』と俺は叫んだ。すると、やつは『おめえ、ロバジョン知ってか?あ?人の女房に手出して毒殺されたブルースマンが俺の神様なんだ。あ?いい女だったら俺は誰にだって手でも足でも鞭でもくれてやるよ。だいたいおめえの女は・・』と言った後、下衆で卑猥な言葉でさんざんエリカのあの時のことを言うもんだから、俺はついにブチギレテてやつをぶん殴った。それでやつも俺をぶん殴って、ライブの前だってのに俺達は弱っちい負けた4回戦ボクサーみたいな不細工な顔になっちまった。
騒ぎがおさまってひと段落つくと、ベースのキヨシの彼女のまさみが教えてくれた。「エリカの男って、就活で知り合ったなんとか先輩の友達だよ。あの娘、その男が金持ちのぼんぼんでいわゆる玉の輿に乗れたのに、妊娠したの知れたら別れなきゃなんなくなると思って、樹里と相談して色んな男に色目使って中絶費用引っ張ろうとしてんのよ・・・健二は迷惑してた方で、全然関係ないよ・・・」俄かには信じられない話だった。
俺達がステージに出て行くと客は、二人のぼこぼこの顔を見て面白がってかえって盛り上がった。俺はもうヤケクソになってマイクスタンドを振り回し、客にビールを浴びせ、イスを投げ、ダイブして暴れまわった。健二も普段はイージーに弾いているくせに、まだ殴り合いの続きをしている見たいな凄まじい演奏をした。
レパートリーが全て終わると、客は熱狂してアンコールを叫んだ。そして、その時、客席にエリカがいるのを俺は見つけた。今日のアンコールでお前のために作った曲をやるから・・とかなんとか俺は言っていたのだ。ったく俺はなんてアホだ。しかし、俺はもうそんな馬鹿みたいな甘ったるいラブ・ソングなんか歌う気にはなれなかた。俺達は俺が作ったその曲以外にもう一曲アンコール用に練習していて健二は俺にその曲をやれと言った。英語の曲なので俺には意味が分からなかった。後で健二が教えてくれた。こんな歌だ。
何が起こっているのか お前は全然分かっちゃいない
お前はずうとどっかに行っていて、戻ってもこなかった
戻ってきたって もう俺の女だなんて思うなよ
可愛そうに 捨てられたのお前の方だ
ベイビー、ベイビー、ベイビー
お前はもうカヤの外なんだよ・・・・
ステージが終わっても俺達は打ち上げをしなかった。始まる前、あんなことがあったのにライブが大成功だったので、他のメンバーはどう対処したらいいか分からないみたいだった。でも、皆『今日は止めて、明日ゆっくりやろう。』と言ってくれて、それで別れた。で、その後、俺はどうしたかっていうと・・・・・・・・これが健二といつものラーメン屋に行ったんだヨ。完全な濡れ衣でぶん殴っちまったもんで気詰まりだったが、誘うと素直についてきた。顔はますます腫れ上がってお互い見られたもんじゃなかった。意外にも店の店主は曼荼羅のマスターと友達とかで、俺達のライブを客席で見ていたらしい。
『お二人、ミックとキースみたいでしたよ。』と店主は言った。
ラーメンは相変わらずのラーメンだった。口の中が少し切れていて熱いスープが滲みて、食べずらかった。
『でも、初めはなんだって思ったけど、段々、これじゃなきゃって思えてきたよ。』と俺が健二に言うと、『おめえもやっと俺のギターを認めたか。』と言って珍しくチャーシュー麺をすすった。
『馬鹿。このタマネギのこった。』
俺は笑った。
初めて俺達は笑った。
BGM ローリングストーンズ 『OUT OF TIME』
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