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2023年11月〜写真で綴る武漢旅行記 その2〜
帰国からほぼ1ヵ月、やっと続きを書くことができた。
「中国?危ないよ」
「武漢?!やめたほうがいい。」
「また新しいウィルスが流行ってるらしいよ」
「写真を撮ると捕まるらしいからね」
情報を知り気を付けるのは当然として、しかし全ての情報を鵜呑みにして憶測で恐れていてはもったいない。2023年11月の武漢はまったく普通で、日本にいる時と大して変わらない感じで過ごせた。
反日教育を受けた友人が初めて来日した時、最初はとても怖かったそうだが、帰るころには日本が大好きになり、数年後には留学していた。「反日教育を受けた人が日本を恐れる」という発想がなかったので、私も驚いた。
よくわからないことを恐れたりネガティブな気持ちを持つのは人間の性質だ。目に見えることが全てではないが、実際に目で見て体験しなとわからないのも事実。写真でつづる旅行記第2弾、少しでも伝われば嬉しい。
行きたいところはありますか?
到着から一夜明け、ぶ厚いグレーな雲と霧かスモッグ?に覆われた曇天の朝。
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滞在中私たちのお世話をしてくれた中国人の教授が「午前中、時間がありますが、行きたいところはありますか?」と気遣ってくれた。こういう時パッと答えないのは失礼と思い、他の人の返答を待たずに「お土産を買いに行きたいです!」と即答した。そして全員で市内の百貨店へ向かった。
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宿泊した金銀湖畔に聳えるユーラシア コンベンション インターナショナル ホテル、地下鉄の金銀湖駅も目の前にあり、とても便利。ちなに、中国の地下鉄は改札に入る前に、手荷物検査がある。不気味だったが慣れるとふつう。むしろ、安全に思えてくる。
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ミャオ族の緑茶
百貨店地下のスーパーいわゆるデパ地下で、1368年創業の老舗のお茶屋さん「長盛川」で信じられないほど美味しい緑茶に出会った。
「毛尖緑茶」という名前。お茶好きで、中華レストランやマリアージュフレール、TWGなどで買ったお茶が家にあるが、この緑茶は今まで味わたことがないほどに美味しい。ミャオ族の作る稀少なお茶らしく、色は油っぽいうすい黄色で、ほのかに柑橘系の香り。ノンカフェインの優しい味。日本の緑茶を飲むと胃が痛くなるのだか、これはたくさん飲んでも大丈夫。
Amazonで見つけた。80g 4280円。ちなみに現地では、100g 約2000円、3袋ほど購入。85度のお湯で入れるのがおすすめです。
1368年は中国では明王朝が始まり、日本では足利義満が征夷大将軍になった年。その時代に創業している。中国の歴史は古い。
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2時間でめぐった漢江路
買い物を終え、ホテルの部屋に戻ったのが15:20だった。
夕食までの時間を部屋でゆっくり過ごすほど、疲れてはいない。来てすぐにあんなに美味しいお茶に出会ったのだから、もっと散策したい。武漢の繁華街 江漢路 (Jiānghàn lù )までは地下鉄6号線で25分。乗り換えなしでいける。しかし、いきなり一人で出歩いて何かあったら困る。一緒に来た年の近い先生に声をかけ、10分後にロビーで待ち合わせふたたび街へ。
江漢路はかつてのイギリス租界だ。租界とは外国人が警察・行政を管理した一定の地域をいう。江漢路駅E出口からエスカレーターで地上に上がると、ヨーロッパ風の建物がずらりと並ぶ。
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2時間しかなかったので、どこが何通りかなど覚えてないが、メイン通りから外れ裏道にはいると、一昔前の中国を彷彿とさせる面白うそうなエリアがあった。
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この通りを進むと、上海村と書かれた門があるディープな細~い路地があったので入ってみた。
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古い建物に古着屋やカフェがあり、自由に装飾されている。
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上海村はかつて銀行職員の寮だったそう。とても面白いエリア。裏側は工事の壁に囲まれたので、取り壊されるのかもしれない。
1923 年、中国人の実業家、李定安は定安里の建設に投資し、合計 27 戸の家を建てました。抗日戦争勝利後、李定安は定安里を上海商業貯蓄銀行に抵当に入れ、上海村と改名し、上海銀行職員の寮として使用した。
コロナを乗り越えただけあり飲食店は清潔。10年以上前に中国に何度か訪れたことがあるが、フードコートはゴミだらけ、トイレの手洗い場で店に出す野菜を子供が洗ってるのを目て衝撃をうけたけど、写真の通り今はゴミ一つ落ちてない。
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昔は外資系のお店やおしゃれなカフェも少なかったのにいまは随分増え、日本と大差がない。
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「この10年で中国は随分かわりましたよ。」と言った、中国人教授の言葉を思い出す。一番変わったものは、人ではないかと思う。
つづく