宗谷海峡漁船拿捕事件に思う
2021年5月28日日本時間10時過ぎ、宗谷岬東方約80㎞の日本EEZ(排他的経済水域)海域で底引き網漁を操業中の日本漁船第172榮寶丸が、ロシア国境警備隊にロシアEEZで無許可操業をしているとして拿捕された事件が報じられています。
以前、大和堆問題や女島沖事件に際して書きましたが、日本は海洋境界をほとんど画定していない非常に不安定な国なのです。今回の事件の原因はつまるところ日本の国家境界線である海洋境界線の未画定にあると思います。日露間では海洋境界が画定されていません。日本が「日本EEZ内の操業だった」といくら主張しても、それは日本の主張に過ぎません。ロシアは「ロシアEEZ内の操業だった」と主張するだけです。
海洋境界画定を協定しない限り、今後も同様の事件はなくなりません。今回の事件で思うことを述べます。
大和堆問題で思う
https://note.com/navigator_ysng/n/n6fab5779c82e
女島沖問題
https://note.com/navigator_ysng/n/n7994619d5efd
外交にはいろいろな考え方(戦略)があります。
・曖昧とする
・明確にする
このどちらにも利点と欠点があります。
日本は海洋境界については曖昧としてきました。日韓、日中、日露、日朝、日台いずれも海洋境界は未画定です。日本は水産国としての歴史、つまり水産業の都合もあり、日本水域と相手国水域にまたがる漁業水域を設置することにメリットがあると判断してきました。EEZについては中間線論の採否以前に、日露間では北方四島と樺太の領土問題、日中間と日台間では尖閣諸島問題、日韓間では竹島の領土問題、日朝間では国交問題が横たわっており、結局は棚上げ=曖昧とすることで今まで来ています。
時代は変わります。以前は曖昧さにメリットがあったとしても現在は明確さにメリットがあるかもしれません。海洋境界はどうでしょうか。
海洋境界をめぐる世界情勢や国家戦略は近年大きく変わったと思います。地政学という言葉が広まり、民主主義の国に向かって覇権争いや領域奪取といった時代遅れとも思える帝国主義的行動を「帝国主義から人民を解放する”人民の国”」を自称する独裁国家が率先して仕掛けているという世界です。膨張政策などという何とも時代錯誤ではありながらもハタ迷惑な行動をとる侵略国家が傍にあることは、日本にとっては逃れられない事実です。そしてそれに対する日本の言動を見て、それに便乗してくる国が出てくる。もう曖昧さを脱却し、明確化するべきだと思います。
そもそも日本は国境線を持たない国です。まず完全に島国ですから陸上国境線はありません。国家主権が完全に認められている海洋での地理的限界は領海線となりますが、周辺国の領海線と接している個所はありません。すなわち国と国の境目である境界線=国境線はありません。島嶼国家にとっては珍しいことではありません。
領土・領海・領空を合わせて領域といいます。日本の全ての領土は海岸線で、領海は領海基線から12海里以内に引かれた領海線で描かれています。領土と領海の上空(宇宙空間より下 低軌道衛星高度は宇宙、大気圏内は領空という理解でよいかと思います)を領空といいます。日本の領海は領海基線から3海里の海域と12海里の海域に大別されます。領海を越えるものとして最大12海里幅の接続水域とEEZがあります。EEZは領海基線から200海里以内の水域で、海洋資源に対して沿岸国が主権的権利(主権ではありません)を行使できます。対岸間が400海里以下の場合は該当国間でEEZの境界を協定し、重複を生じないようにします。大陸棚は領海基線から200海里までの海底に加えて延長条件があることからもう少し複雑です。日本は自国で設定した領海・接続水域・EEZ・大陸棚(大陸棚限界委員会に承認された延長大陸棚を含む)を公表しています。同様に周辺国家も自ら設定したものを主張しています。当然ながら主張重複海域が生じます。該当国間で境界線を協定すればいいわけですが、前述のように日本は周辺諸国と領土問題を抱えたままです。そしてそれらを解決することなく「曖昧とする」政策でやってきました。従って、周辺国との間で海洋境界は全く画定されておらず、主張重複状態にあるのが現状です。
近年EEZなどの現代法制が導入されたわけですが、歴史的沿革や既得権などもあり、世界ではEEZを合意できても漁業水域については別途協定することが珍しくありません。協定を維持するか否かを判断するために、その協定が目的通りwin-winに運用されているのか、という問題が出てきます。さらにそこに無許可の他国漁船が入り込んできます。
海上保安庁は海洋境界線の警備を国境警備と称しています。海洋境界線のみで国境線のない日本でそのように称する意図はわかりませんが、少なくともそう称するのなら国際標準の”国境”警備をするべきでしょうし、政府はそれを担保せねばならないと思います。資源と人命では同等性を欠くので人命をリスクにさらすような対応は過剰警備であるとの見解もあり、生物・非生物資源をめぐる事案での警備程度は繊細な課題です。ただし、日本政府と国民は軍事と刑事(警察)を混同しすぎているのではないかと感じます。海洋境界の警備は司法警察権をもって実施しているのであって、力を用いた警備は戦争を誘発するとの思考は短絡的で過敏に過ぎると思います。むしろ力を用いた警備が戦争を抑止するとの思考に変わるべきと思います。
『祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす 驕れる者も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし 猛き者も遂には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ』
平家物語の冒頭は真実ではありますが、ただ指をくわえて黙って蹂躙を許容せよということではないと思います。
『天は自ら助くる者を助く』
のであり、
『人事を尽くして天命を待つ』
必要があると信じます。つまり、主張すべきは主張し、必要であれば力比べもいとわない日本でなければなりません。
日本政府には以下の対応を期待します。
・近隣国との漁業協定等の破棄
均衡性(win-win)を実現できていない日韓と日中の漁業協定は破棄、あるいは失効させ、EEZ境界線の関係に戻る。日韓大陸棚南部協定の失効と失効の確保。
・海洋境界警備の質的変更
高圧放水や音声警告を標準的手段としている現段階から一歩進め、誰何・臨検・拿捕までを標準対応として、警告射撃までを現場判断で可能とする。強制接舷から拿捕の流れは現在でも実施されていますが、その実施判断ハードルを低くし、実施を支援するために現場判断で警告射撃を行う。拿捕船は司法判断で違法認定されたら没収し、インドネシアに倣って公開爆破処分とする。
・日本漁船の出漁支援
自国EEZでの安全担保を理由としての出漁自粛要請は、相手国船に対して行うならまだしも、自国船に対して行うことは本末転倒であって、相手国に向けて明らかに間違ったメッセージを送ること。日本政府が行うべきは日本漁船の出漁支援と護衛でしょう。
・領海幅の再検討
日本は国連海洋法条約に基づいて、原則、領海基線から12海里までを領海としていますが、一部の海域では自主的に3海里までとしています。具体的には宗谷海峡・津軽海峡・大隅海峡・対馬海峡東水道・対馬海峡西水道です。水路中央部を公海としているわけですが、その理由は非核三原則(核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず)と言われています。つまりそれら海峡・水道の全域を領海とした場合、無害通航或いは通過通航する外国軍艦に対して、核兵器の搭載確認をとらなければならず、非核三原則(特に、持ち込ませず)に反する可能性がある場合、搭載艦船の航行を阻止しなければならなくなる。同盟国であれ、敵性国であれ、中立国であれ。そうなると日本政府は外交・安全保障面で極めて難しい立場に立たされる。だったら、海峡・水道の中央部を公海としておけばよいというものです。戦後の政治社会思想の産物と言えますが、米軍が「核兵器の有無はコメントしない」戦略かつ日本政府に対して「核兵器を所持していない」と建前回答することで核兵器搭載艦艇航空機が日本寄港していたことは今更議論にもならない事実であり、建前主義の最たるものです。安全保障上のメリット・デメリット双方がありますが、3海里政策を廃止してこれら海峡・水道も領海12海里化すべきと思います。宗谷海峡と対馬海峡西水道ではそれぞれロシアと韓国と領海線を接する可能性が強くなります(相手国次第)が、そこは協定すればよいことです。
・接続水域での権限拡大
接続水域は領海とは異なり、限定的な主権行使が認められる海域であり、国連海洋法条約に基づいて、通関・財政・出入国管理・衛生に関する沿岸国の法令違反について防止や処罰などの措置をとることができます。日本はそれ以外の権限を持たないとしていますが、国際的には安全保障や治安維持といった目的を権限に加えると発表する国が増えています。条約はそれを少なくとも明示的に禁止してはいません。国家実行の蓄積が国際法化していくのは国際法の歴史です。例えば尖閣諸島において中国は海警艦船を接続水域に常駐させていますが、日本はそれを取り締まる法源を持っていません。当の中国は自国の接続水域では安全保障や治安を取り締まり目的に加えています。日本は接続水域の法源に安全保障や治安維持を加えて権限を拡大するべきと思います。
・海上境界の確定
日露、日朝、日韓、日中、日台の各間での海洋境界線(EEZと大陸棚を含む)を画定させる。これは関係する島嶼の領有権問題に決着をつけることであり、相手国と協定を結ぶことに他ならない。世界史的にも国家境界線は常に変動するものであり、時代ごとに力関係が反映されてきた。各国がいずれも1mmも譲らないで係争を続けることと、トータルとしての均衡を合意できるのであれば係争を生起させない目的で境界を画定させることと、どちらが国益かを判断するべき。現時点でどのような境界線で合意しようが、それは未来永劫の画定では全くない。外交は現実主義でなければならず、時には自らや相手に対して冷徹であるべき。
なお、国際海洋法制の「海は陸の付属物」原則に則って、尖閣諸島は有人化が必要と思います。
アナーキーな国際関係において性善説を看板に掲げるのは悪いことではありません。ただし、実行は性悪説をベースにした外交という条件付きですが。
明確に合意された海洋境界線で縁取られた日本であること、その実現に大きく舵を切ることが平和の第一歩だと信じます。
実務海技士が海を取り巻く社会科学分野の研究を行う先駆けとなれるよう励みます。