#映像美学:色の存在を証明せよ
最も重要視されている存在
近年の技術の発達と編集の手軽さが様々な映像分野を発展させていった。色補正の発展もその一つであり、色による演出は新な芸術の領域へと達そうとしている。
カラーコレクション、またはカラーグレーディング(色補正)の本質は色であり、色は世界感を形成させるために最も必要とされるモノである。
環境を作り出すだけでなく、見る側が無意識のうちに映像の感情を " 色 " のみで演出させ、見る側の感情を操作させる事も可能となる。
その語らぬ存在 " 色 " の本質とその存在を解説させていきたいと思います。
❝ 色 ❞
この言葉を聞いて、何を想像するか
好きな色? 7色に光る虹?
しかし、この言葉を聞いて 白 か 黒 を想像した人はいたのだろうか
少なくとも、色と聞いて無彩色を想像する人はほんの一握りの人しかいないのではないでしょうか。
普段見慣れていて、我々の生活の一部ともなっている色認識が我々の考え方にどう影響及ぼすか、さらに色の無い世界でどう色を認識させるか・・・。
それを理解するにはまず、色の本質のである " 色の存在 " について想像して行きましょう。
1章 色の認識
この美味しそうなリンゴを見て、あなたは何色を連想しました?
おそらく9割以上の人は "赤" と答えるであろう。
それは幼いころからの教育と経験で「コレは赤であろう」と脳が認識しているからです。
しかし、これが本当に赤なのかを証明せようと言われた場合、どう証明できるのでしょうか?
「 リンゴは赤であり、それと同じ色の物を一つのカテゴリーとし、それを赤と定義づけれる 」
不正解
面白い回答ではあるが、それはあくまでも仮説としての考え方である。
正解は、可視光で見た場合 " 赤 " とは波長 620nm ~ 750nm の事を指します。
ん?
可視光ってなに?
可視光線(かしこうせん、英:Visible light)とは、電磁波のうち、ヒトの目で見える波長のもの。 いわゆる光のことで、可視光ともいう。
引用元 : Wikipedia
ヒトの目で見える波長のもの。
それが 色 とでどう関係あるか?
色についての科学的な証明
色(いろ、英: color)とは、可視光の組成の差によって感覚質の差が認められる視知覚である色知覚、および、色知覚を起こす刺激である色刺激を指す。
引用元 : Wikipedia
うん、難しい・・・。
簡単に説明すれば、色は放射された光の反射によって発生する物であり、それらはエネルギーの素質の光源色よってい発生する光でもある。
はい?
語彙力皆無のイラン人が色を説明しろと言うのも難しい問題だが、ここは万国共通の存在イラストで例えましょう。
光源元である光が物体を反射することによって指定の波長が網膜上の視細胞で光を感じ、視神経を介して脳に伝えられ、それが何色かを読み取ることが出来るようになる。それらを認識するには最低限 光 と 視覚 が必須となり、それを経た先の色認識を色覚と呼ぶ。
色覚(しきかく、英: color vision)とは色に関わる感覚のことである。 色とは、主として光のスペクトルの違いによって生じる視覚的感覚を指す。
引用元 : 脳科学辞典
もちろん認識していないだけで、赤外線の色も存在しうる可能性だってあります。それは我々人間に見えないだけかもしれませんし、電磁波が見えるという人の心理もあながち間違いでもないかもしれません。
先ほど述べた "光源色よってい発生する光でもある" と言う部分は必ずしも反射だけでなく、発行された光の放射も色を発することが可能となる。
その一つのいい例がモニターである。
1ピクセルに含まれる3色RGBの信号によって放射される光が直接眼に伝達され、それらを色として認識することが可能となる。
RGB による色の解説は、また後日より詳しく説明させて頂きますので、それまではその無意味なブルーライトカット眼鏡を外して、モニターを見すぎず目を休ませてください。
話は可視光に戻り、赤が波長620nm以上の事を指すであれば、人間同士の共通の赤は正確には何色になるのでしょうか?
色の定義が曖昧であるため、個人によって眼に入射した光によって刺激を受ける赤の印象が全く違って見える。
では、" 赤 " と言う言葉自体がカテゴリーとして成立するのであれば、他の言語ではどうでしょう?
私の母国語でもあるペルシャ語で赤を「ケルメス」と表します。
その "赤" と "ケルメス" の差とは何でしょうか?
単なる言語の問題なのか、それとも色と言う認識の差でしょうか?
ケルメス
赤
上記の色を見比べ、ケルメスは正式な赤( R 255, G 0, B 0, $ff0000 )にくらべ若干青が混入されており、赤紫に近い色合いとなる。
元々 "クリムゾン色" の語源でもあり、ケルメスはペルシャ圏内の代表的な赤であった。
日本でも昔から様々な赤が存在しており、紅色、朱色、珊瑚朱色、など区別かされた赤だけでも数十色は存在していた。
では、もしインターネットの無い時代は赤と言う認識はどう共有されていたのだろうか。
デジタル媒体で目にしている色とは、数値で色を指定できても、環境によっては正式な赤がケルメスの様に青み掛かったりする場合もあるため、モニターでなく現実の反射された赤を目にしても、それがケルメスか正式な赤と区別するのは難しいと思われます。
あくまでも、現代の色の共通感覚はここ数十年で形成されたと考えられ、これまでは国や文化、環境によって共通感覚が形成されていたと見ていて、グローバル社会になるにつれて、徐々に色彩感覚が共有されているのではないかと思われます。
白と黒は色なの?
もちろんこの答えも、イエスと言えます。
これまで述べた色の理屈を考えれば、白と言う存在自体が独自の色であるという結論にたどり着きます。
ただし、反射率100%の白か、吸収率100%黒かを定義づけるのは現代でも困難である。
黒で言えば、必ずしも反射のする物質はこの世を形成しているため目に見えない程の黒は存在できないでしょう。現時点で地球上に存在するベンタブラックでさえも反射率0.036%のため、僅かながらも目に見えない光が反射をしている。それらを踏まえて無を証明するのは難しいでしょう。
もしかしたらブラックホールや宇宙の果てがその正解かもしれません。
ベンタブラック
映像での白黒の存在とは
まだ発達途上であった白黒フィルム時代は、色による演出が難しく、ハイライトとシャドウでしか表現できなかった。そのため白黒での演出が強いられていた・・・。
っと皆さんは思っていたのではないでしょうか?
実は1932年時点で三原色式のテクニカラー、色のあるフィルムはすでに昔から存在し、カラー映像による色の演出は可能であった。
では、なぜ時代は白黒映画を選んだのだろうか・・・。
それは・・・・・
次回
第 二 弾
#映像美学 :映像に色など必要ない
さらば、色
所詮お前は儚い存在だ!
お楽しみに!