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文トレDAY45 13-祐天寺・西中島南方・ロンドン
東京。目黒区祐天寺。そこにT社があった。
さぞ大きな会社だろうと思っていたので正直拍子抜けしたが、打ち合わせを進めていくとやっている仕事の規模の大きさに驚かされた。さすが、C社の輸入代理店。情報量の多さに圧倒されてしまった。この会社は私のような大阪の雑種を雇ってくれるだろうか?という不安感が心の中を占領した。まだTEには正式に辞表を提出していなかったのでこの東京の会社が私を雇わないと言ってもなんとかなる。と思いながら、会議に参加していた。
会議の内容は、私が入社する前提ですすめられていた。
あらぬ心配をしてしまった。
西の空の色が赤みを帯びていた、新幹線が新大阪駅に到着するアナウンスが流れた。これからこの風景を何度も見るとになるかもしれないな、と思いながら倒したシートを元に戻した。
やらないといけないことが山積みで、それらはいままで全くしたことがないことばかりだった。
登記。銀行口座開設。事務所さがし。電話の開設。事務所の家具の購入。社員集め。車購入。名刺の印刷。他にもいろいろ。
あ!TEに退職届けをださなくては。
まるで、コンビニで弁当を買うの忘れたような感覚だった。
TEからは引き留めは無かった。
給料を上げるから・・・と言う話をしたところで動かないことが解っていたのだと思う。
TEは慢性的に人手不足だったので、私は外注として何件かの現場のお手伝いした。
西中島南方。へんな名前だ。
T社の大阪営業所の場所である。
開業までの日から逆算して、今日に至った。東京の打ち合わせから2ヶ月もかかってしまった。
開業時、スタッフはFさんと私、それとT女史、T女史のツテでHさん、のちにTさんが入社することになる。
慌ただしく時間がすぎていく。
ロンドン
人生初の海外は、9月のロンドンだった。(なんかかっこいい出足だ)
話には聞いていたが、肌寒い。ゆだんをすると風邪を引いてしまうレベルだ。
新しく勤めたT社は海外の舞台照明器具を各国から輸入して、日本で加工調整したあと国内の舞台照明会社や照明メーカーに販売することが主たる事業内容だった。私が入った理由はディスコ系の照明設備の提案と輸入機材のメンテなどをするためだ。
舞台照明の国際的な展示会が毎年世界各地で開催されている。
ロンドンは、PLASA SHOWという展示会がある。今回の旅の目的の1つは、この展示会の視察と気に入ったもの、日本で売れそうなものがあれば、出展者とコンタクトをとり、商談をすることだ。
英語は全く喋れない、東京のOさんが通訳してくれた。
6ヶ月前は大阪の町工場で図面を書いて職人さんと話をしていたのだが。
この環境の過激な変化に私は戸惑っていた。いや、キザな言い方はやめよう、舞いあがっていたのだ、お上りさん状態である。東京本社の上司が2名とTのクライアントの東京の舞台照明会社の重役が2名同行しているのでかろうじて緊張感を保つことができたが、沸騰するヤカンのフタをしているようなもので少し気をぬくと「笑がこみあげてくる」
私のロンドン行きは厳正な協議の上、決まったものでは無かった。
2回目の本社でのミーティングで
「あ! それ、ナベさんも行っといて」
それだけである。
その瞬間、私の口角がいままで無かったぐらいに上がるのを感じた。
満面の笑みを讃えながら「人生初の海外なんです〜ありがとうございます」
なんていうと上司に引かれると思ったので、口角が自分の意思を無視して上がるのを隠すためうつむき加減になり。
「はい、わかりました。」
喜びのあまり大声で返事しまいそうになるのを噛み殺しながら返事したので言葉が震えていた。
大阪に帰る新幹線の中で「ヤッター!!」と叫びそうになるのをこらえながら、口角が筋肉痛になるぐらいの笑みを浮かべながら、1ヶ月後のロンドン行きに思いを馳せる。
見知らぬ人がそのときの私を見たなら、変質者に見えたことだろう。
展示会場は広大だった。後に行くことになるLDIや、IAAPAなどに比べると小規模なのだが、人生初の海外の展示会は巨大に映った。迷子という歳ではないが、迷子になりそうだった。出展者一つひとつがそれぞれ個性のある商品を出展していて全部のブースを見て回るのに丸3日もかかる。
視察中時々上司から「ナベさん、なんか気になるものあった?」という質問を受ける。この質問は翻訳すると(なんか日本で売れそうなもの見つかったか?)という意味になる。それぐらいの解釈は、入社まもない私でも理解できた。なので、明確に答えることができなかった。すごいのはすごいのが、
私が「すごい!」と思っているのは、極めて個人的な目線(素人、一般人)として驚いているだけだ。それが日本で売れるかどうかの目は持っていなかった。
展示会場も日本には無い独特の「個性」を放っていたし、空港もおしゃれでカッコよかった。空港からロンドンに向かうタクシーの中からみたイギリスの風景。私の頭のなかは「すごい」ものがいっぱいだった。
役に立ってない。 この「お上りさん気分」がいつもの私の機材を見る目をじゃましていた。
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2つ目の目的は、イギリスの照明会社の訪問。この会社はイギリスの照明会社。アーティストのコンサートツアーや、劇場のショーなど舞台照明を仕込み、プログラミングし、本番のショーの照明をオペレーションする。当時の私は、この業界のことを全く知らなかった。
大阪営業所を設立したときの大阪の上司、Fさんは、この業界上がりだ、その長年の繋がりと、豊富な機材の知識を買われてT社に入社した。
私には、何ができるだろう?
ロンドンに来る前のワクワク感はいつのまにか消え、頑張らないといけない、自分を鼓舞する気持ちに変わっていた。
3つ目は、T社が日本代理店をしてるC社の訪問。これまた私の無知をさらけだすのだが、照明の制御をするのに照明卓を使うという概念がなかった。
一通り会社の中を回り、その卓がロックボード、ロックコンサート向けの照明卓であることなどを聞いてまわる。
「ナベさん、質問ある?」
圧倒されて、疑問に思うどころではなかった。
「特にありません、ありがとうございます」
腑抜けな回答を返すことしかできなかった。
解らないことだらけだった、よく私なんかをロンドンにまで出張させてくれた。役にたてなかった情けない気持ちと罪悪感に包まれた。
人生初の現場はライブハウス。舞台照明のスキルがあるスタッフがいたら私の出る幕はなかったかもしれない。『知らぬが仏とは』よく言ったものだ。
一つのほころびが連鎖して未来に影響を及ぼしていていたのだ。
成田に向かう飛行機の中にぶい揺れに身をまかせていた。
眠ろうと思ったが、頭は妙に冴えていた。