日本人の活字リテラシーの低下について考えてみた。
どうもナバターです。
ようやくPCがメンテナンスから帰ってきたので、noteの投稿も再開できそうです。
ある程度まとまった文章を投稿する場合は、やはりパソコンが必要となりますね。
今回はTwitterでトレンドに入っていた一件で、日本人の活字リテラシーについて語っていきたいと考えています。
まぁ今回の単発noteだけで語れるような話題でもないのですが、やってみようかと思います。
新潮45という典型的な活字媒体の雑誌が大炎上
新潮45って、インターネット上の媒体じゃなくて、紙の媒体なのですが、ここ最近炎上しています。
主にLGBTというかなり扱いが困難な話題を扱って、物議をかもしているわけです。
若い人はまぁ読まないと思いますが、典型的な活字媒体といえると思います。
炎上って、基本的にインターネット上で起こることを指すのですが、誰でも無料で閲覧できるネットニュースじゃなくて、紙の媒体でここまでネットで何度も話題になるっていうのも、なかなかないのではないでしょうか。
もちろんマーケティング的に意図的に炎上させるような話題を雑誌に載せているのかもしれませんけど。
活字リテラシーを下げているのは、テレビやネットではなく、活字媒体の作り手自身ではないか?
基本インターネット登場以前は、活字コンテンツを発信できるのは、一部のプロフェッショナルの人たちだけだったので、読者としては本や雑誌などの優れた活字媒体を購入して、活字コンテンツを読んでいくしかなかったと思います。
良い活字コンテンツをたくさんインプットしていくことで、より高い活字コンテンツを求めていくという感じです。
インターネットが普及してからは、一般の人も活字コンテンツを作ることができるようになったので、必ずしも今までのように活字媒体を購入しなくても、活字コンテンツを手にいれることができるようになったと思います。
なので、インターネット登場以前のように、コンテンツの質、情報量とも独占的に活字コンテンツを扱える状態ではなくなったために、雑誌や書籍が相対的に衰えているようになったと思います。
今回の新潮45のようにわざわざ明らかに問題になりそうな言論を影響力のある活字媒体にあえて載せることで、まだまだネットで話題なっている言論よりも影響力があることを示したかったのかもしれません。
しかし読者からすると、既存の活字媒体に求めるのは、ネットの言論にはまだない平均的なコンテンツ質の高さや文章としての読みやすさ、誰でも安心して読めるなどの高い信頼性だと思うので、ネット上にあふれかえるような炎上覚悟のネタを取り扱うと、本来売りにしていた良い部分を放棄することになると思います。
なので、今回のLGBT騒動のような暴論みたいなので、ネットで話題になるよりも、ネットではあまり話題にならないような地味な話題をコツコツ扱ったほうが逆にネット言論にはない信頼性が得られるように思えます。
ネット言論に関しては、ほとんどは個人が持論をガンガン発信するという場になっているので、なかなか信頼性を個人だけで積み上げるのは、相当時間がかかってしまうのです。
新潮45について率直に思ったことをいうと。
新潮45については、45歳くらいの年齢層に向けた雑誌のようなのですが、今回のLGBT騒動で知名度は上がったと思うのですが、正直雑誌そのものの信頼性という大事な部分を失ったと思います。
話題になったから、わざわざ普段読まない雑誌を今から買おうという読者はそれほど多くないと思います。
今どき読みにくくて、有料の雑誌を購読しようと思うのでしょうか。
ネット記事であれば、アンチや批判目的によるページビュー数の増大が見込めますけどね。
紙の雑誌だと、アンチ目的の購読と継続購入はなかなかないでしょう。
Twitterで流れを追うので十分だと思います。
つまり1番大事な媒体の信頼性を失って、「悪評」という1番ネットに残したくないモノが残るという最悪の結果になっているということです。
新潮45はLGBT差別助長の雑誌という悪評などがネットに残ることになるわけです。
恐ろしい・・・
今回の1件は、日本人の活字リテラシーを下げているのは、テレビやゲーム、ネットではなくて、やはり活字媒体の作り手自身であるという実例になったと思います。