自由の果ての不自由
生と死、生物的本能、人の生の根源を実感したい欲がふつふつと体の奥底からわいてくる。
なぜこんなにわいてくるのか、答えは坂爪圭吾さんのブログにあった。(退屈なのは、野生が足りないから)
そうだ。ぼくは退屈なのだ。退屈だから生物としての本能が野生を求めている。
儲かる儲からんとか価値があるとかないとか以前に、生きることをしないといけない。
現代において死ぬことは逆に難しい。
それゆえ、生を実感することもない。
焚き火をしたいなーと思ったときに都会だとできない。
なんか作物育てたいなーと思っても土さえ買わないと手に入らない。
なんて不自由なんだ。
健康で文化的な最低限度の生活を憲法で保証しており、飢え死にすることはないだろうこの国で、人生の目的が見つからないと悩むのはなんたる皮肉。
自由の果てに待っていたのは不自由なのか。
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