【水瓶座の時代】羊の論理の壊れ方

羊の論理とは

私が少し込み入った話をする時に持ち出すものに羊の論理という言葉がある。詳細に語り始めると催眠の技法だのゲーム理論だのが絡み合ってくるのだが、大雑把に言えば「普通の判断」「常識的な行動」が、多数派であるがゆえに常に勝ってしまうという支配戦略のことである。(cf.支配戦略について解説したブログの一例)
少しめんどくさいことを言えば、支配戦略とは「相手がどんな手を選んでも、この手を選んでいる限り自分が勝てる戦略」であり、自分以外の判断に依存する羊の戦略は支配戦略には見えないかもしれない。しかし、その場にいない圧倒多数が羊の戦略を取っていると信じられている場では、その場にいない人間の判断は「背景」へと追いやられ、目の前にいる相手に対しては支配戦略になり得る。

常識に関するまとめ

羊の論理に大きく関わる常識についての基本的な事項はここにまとめておいた。
要点は2つ。
・常識とはみんなが知っている知識の集合ではない
・常識とは失敗に対する歩留まりの許容値のことである。

底を尽く資源プール

「常識的判断」「普通の考え」に基づいた行動は失敗をしても許容される。その歩留まりの原資はその社会全体の資源の余剰プールである。この最大量と現在量は明示されておらず、各人がめいめい想像しながらフリーライダーを許容する。
巨大であるが故に全体量は想像しにくいが、それでも資源全体の量は各人の行動の成功の総和で増え、失敗の総和で減る。

Afterコロナで分かったこと

新型コロナ騒動以後、みんなが「底」を見てしまった。しかも想像していたよりも遥かに手前で。
「常識」は失敗の結果がプールから埋め戻されて初めて保証として機能する。プールから埋め戻される資源が無いのならば、失敗は純粋に失敗だ。
プール全体の信用が下落をすると、個人が判断に成功した際にプールを維持するために天引きされていた資源の天引きも少なくなる。つまり成功時の取り分も大きくなる

正解を選ばなくてはならない時代

人間が剥き出しの世界に対峙する世界では、社会の構成員はわざわざ正解と成功を狙わなければならない。
みんなが「正解」を狙い始めた時、そこに「常識的な判断を優先する支配戦略」は成立しなくなる。
「間違っていても常識的な判断」への動機が大幅に減少する世界。それが山羊座の時代の終わりであり、水瓶座の時代の始まりである。

#羊の論理 #水瓶座の時代

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