【映画】パブリック 図書館の奇跡
あらすじ
オハイオ州シンシナティの公共図書館は朝からホームレスがやってくる。
日本で言うところの「ネカフェ難民」の受け入れのようなことを米国では公共図書館が支えている。情報へのアクセス権は誰に対しても開かれていなければならないが故に。
しかし彼らは閉館時間が来ると図書館を出て路上で過ごさねばならない。
そこへやってくる大寒波。路上では毎日のように数人ずつ、ホームレスたちが凍死して行く。そしてより一層ひどい寒さが街を覆うある日、ホームレスたちは団結する。
「今日は俺たちは帰らない」
図書館に立てこもるホームレス。
巻き込まれる図書館員。
取り囲む警備員と警察官。
騒ぎを大きくしようと狙うTVリポーター。
警官隊の強行突入が迫った時、彼らが取った冴えたやり方とは何だったのか。
備考:
超常現象はなし。
なかったことにされないための戦い
ホームレス達(巻き込まれて内部に取り残された一部の図書館員も含む)は幾重にも張り巡らされたなかったことにする圧力と文脈の力で戦い続ける。
まず1つ目。閉館時間は社会的には「何もなかった」という意味のメッセージだ。彼らの戦いはこれを否定することから始まる。図書館が閉められない。つまり異常事態が起きている。これがまず彼らが最初に発したメッセージ。これを「手を変え品を変え否定されそうになる」というのが大まかな展開である。
そして2つ目。立て籠もっている者がいるが、あくまで精神異常者が起こしたいつもの事態である。警察がやってきていつも通りに対応する。これが警察と、次期市長を狙う郡検察官の「なかったことにする」呪いだ。
そして3つ目。何かすごい事件がダウンタウンで起きているらしい。危険で、無教養で、下品な何かが。野心家のTVレポーターが狙うのは、いつものようにみんなが消費し続ける、そして盛り上がりが去ったら忘れ去る、いつもの事件だ。いつもの事件はつねに発生しており、そして類型化され忘れ去られる。
ホームレスたちはこれらの理由を丹念に潰して行く。
社会に爪痕を残すために。
自分たちが存在していることを伝えるために。
公共の内側、資本の外側
ホームレスは社会の中では見えない存在だ。
誰の目にもいることは分かるのに、社会の中では表立って機能しておらず、経済というゲームの中では取り除けられた駒として扱われ、社会的に有効性のある手は打たないとみなされる存在である。
誰でも上げていい声を上げない。上げないから助けない。見て見ぬ振りをする。そういう透明な存在が声を上げた時、社会がどうやってそれをまた透明にしようとするのか。
この映画は『沈黙』の呪いを解呪する話だ。
吉里吉里人
この映画の構図は何かに似ている。
私が思い浮かべたのは井上ひさしの『吉里吉里人』だ。あの遅筆の井上ひさしがこんな長い本を書いてしまって大丈夫なのかと心配になる大部なのだが、この映画を見て共感した人なら読んで納得の小説である。
東北地方の寒村「吉里吉里の里」が突如、日本国から独立を宣言し、周囲の困惑を呼びながら事態がおおごとになっていくという話なので、『パブリック 図書館の奇跡』よりはややスケールは大きめの話だが。
ちなみに吉里吉里の里はコロニー落としは使わない。
これもまた、やはりなかったことにされないための戦いがテーマなので、もしこのテーマが気に入ってもっと突き詰めて考えてみたいという人がいたらお薦めする。著者が井上ひさしなので、長くても軽妙な笑いが散りばめられていて、おそらくそんなに苦しい思いをして読まなくてもよい本だと思う。
個人的な感想
実は私はこのラストシーンは前半からの伏線を回収して文脈を組み立てたという点では素晴らしいと思うのだが、どうしても不満な、画竜点睛を欠く終わりだと感じている。
公共図書館であれば、公共図書館でしかできない、大事なことをしていないと思うのだ。
それは……。
私は彼らはあそこで自分たちが立て籠もったときの状況と経緯と趣旨を、手書きでもいいから書き残すべきだったと思うのだ。全員のサインを入れて。
それをコピーして紙を折り、表紙と背表紙テープを使って装幀をする。市販されている本のように豪華なものでなかったら、セロテープと糊でできてしまうのだ。技術は図書館員が持っている。
製本したコピーと原本は書誌学上の分類をして、背表紙に分類番号のシールが貼られ、ステュワートのアカウントを使って新刊図書としてシステムに登録される。そして書棚の然るべき場所に収蔵される。
公共図書館はただ本を入れておく容れ物ではない。そこにある「蔵書」そのものがデータベース化された膨大な情報の塊である。
当然、私達はそれを閲覧して読む権利(知る権利)を持っている。
せっかく公共図書館に立て籠もっているのだから、直接書き込む権利も行使してしまえば良かったのに、と思う。
もちろん本に直接落書きするのはダメなのだが、新しく本を作り、それを所蔵するのは罪ではない。
そして一度収蔵されてしまえば強力な法のロックが掛かり、いかなる権力者も勝手に毀損することができなくなる。ここまでやってしまったら、立て籠もりはいつもの騒動とは絶対に言えなくなる。裁判で不利な証拠を捏造されそうになった時に、あとからそこにある本を指摘することができる。
図書館にこっそり埋め込まれた時限爆弾になるのだ。
このいちばん大事なことをやっていなかったので、私は映画を見終わった時、少しモヤモヤした。
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