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美術館で会った人だろ、アンタ。 13

あぁ久方ぶりに東京に。
所用があってね。
やっぱ東京は人が多いね。
田舎で引きこもりを決め込んでるもんだから
結構ダメージが来るんだね。
とわいえ
せっかくだから
興味をひかれたところに足を運んだ訳だ。

日本現代美術私感
高橋龍太郎コレクション

東京都現代美術館

いや東京は結構歩かされる。
デブ性のぢぶんにはつらいっす。
健康にはイイんだろうね、きっと。

さて
高橋龍太郎という精神科医のセンセイがおられて
資産運用にもナカナカ長けた方であった。
クリニックをひらこうと考え
待合室に飾る絵画をイロイロと物色されていた。

そんな中で気鋭の現代作家のアートと出会う。
特に草間彌生の作品が衝撃であったとのことだ。

そんなことでこの展覧会の最初のパートは

1胎内記憶

というラベルでまとめられている。
うんここは写真とっちゃダメだったの。
だから文字だけ。

最初に登場は久保守「戦後の風景」と中原實「杉の子」。
ともに1947年の作。
美術館所蔵の2作品をアタマにもって来たってのは
きっと高橋コレクションの原点みたいなのを
提示したかったんだろうね。

続くのが草間彌生作品23点。点数がすごいね。
アタシが代表作認定してる「かぼちゃ」(1990)
もしっかり拝観しましたよ。
あと
面白かったのが「草間の自己消滅」(1967)
映像の放映にSONYのプロフィール後期型
を使ってたこと。
黒いキュービックなやつ。
これがイイ。
でもSPがショボくて減点。
アートでサイケな音楽が伝わってこなかった。
ナカの人はそんなこと考えないんだろうか。

あと合田佐和子、赤瀬川原平、山口はるみ、空山基
横尾忠則、宇野亞喜良、
羽永光利、荒木経惟、森山大道。
納得のラインナップ。
アノ頃はそんなラインナップだったんだね。

おっと立石大河亞。
「不二の生成」(1991)
一枚上手であらせられましたね。

以上写真ダメのコレクション。
うん、恥ずかしかったのかな。

2戦後の終わりとはじまり

レガシー価値観に対するアンチを主張するコレクション?
えーじゃないか、エーナジャイザー、えーじゃないか、
てね。

小沢剛
なすび画廊-コンプレッソ・プラスティコ「TOP BREEDER series volume2」(1994)

タイトルなげー。
establishな画廊から飛び出し路上へ
ってことなんですな。
タイトルなげー。

村上隆
ズザザザザザ(1994)

だからさカワイくたってイイし。
陰影なんか知らんし。
これでいいのだ。

会田誠
紐育空爆之図(戦争画RETURNS)(1996)

自粛警察とか知らんし。
ぢつはこんなの見たかったんだろう。
本音で行こうか。
危ないけどね。

山口晃
当世おばか合戦(部分)(1990)

当世は旧字で書かれています、
出せませんでした。
大作で書き込みが細かいので部分です。
ぢゃないと判んない。
あくまでも細かく描き込むのが
この人の作風。(でいいよね)
でもって時代考証がメチャクチャ。
面白いからこれでいいのだ。

太郎千恵蔵
Desire of Machine(1995)

Machineはね、みんな望んでいるのだ。
鉄人28号(強いロボット)になりたいって
これでいいのだ。

西尾康之
Crashセイラ・マス(2005)

セイラさんやつれてますね。
ストレス溜まりまくりですもんね。
あんまりストレスなんで
巨大化しちゃいましたね。

戦争とかさせるからですよ。
冨野さんも考えてあげるべきです。
アムロとは違うのだから。

ヤノベケンジ
イエロースーツ(1991)

放射能はおっかない。
だから犬の散歩も
このスーツを着たほうがイイ
という
みんなのことをよく考えた提案。
酸素供給のパイプは長いめが吉だね

天明屋尚
ネオ千手観音[那羅延堅固王]密迹金剛力士

岩絵具っぽいけどアクリル絵具です。
やっぱevolutionですよ。
だからね法具もしっかりとupdate。
これからの仏画はこれですよね。

大岩オスカール
ノアの方舟(1999)

どこかよくわかんない街に
方舟がめり込んでるね。
町並みはなんだかディストピアっぽいし。
煙突からは煙モクモクで
どう考えても動かんでしょう。
機関は大丈夫かな。
船橋はショボいアパートみたいだし。
無駄な努力みたいな気がするね。
うん、ディストピア。

森村泰昌
肖像 九つの顔(1989)

レンブラントの名作を登場人物になりきる
という作者の得意技。
だからどうなの、ってのは野暮。
作者は楽しいんだろうし
アタシらは「よーやる」って楽しい。
win-winの関係で、ヨシッ!

やなぎみわ
案内嬢の部屋(1998)

ものごっつく作り込まれた世界。
お人形さんとか
とことん精細に作り込まれたものは
なにか得体のしれない気味悪さ
もしくわ
とんでもないなまめかしさを感じるだろ。
そーゆーやつ。
十文字美信の作品に通じるような気がする。
作り込んであるとことか。
でもこちらはナシ寄りのアリ

岡田裕子
或る恋人M氏とS嬢(1999)

そのさ、描いてあるモノとかタイトルとか
かんけーねーんだよね。(とおもた。)
泰西名画とかで神話題材のとかあるでしょ。
そいつとおんなじ匂いがするのだね。
でさ、なんだかupdateしちゃってるのだよ。
そこんとこが、カッケーんだよね。うん。

O JUN
美しき天然(2019)

軽いんだ。
線も色彩も。
できることしかしていない。
でも控えめに主張はしている。
無理はしてないみたい。
作品はそう言っている。
ところでこの作品は
何でここにいるのだ。
意図はあるんだろうけど釈然としない。


3新しい人類たち

かつてアートの世界では
過去のレガシーとか規範とか
重力に囚われた人々が行き詰っていた。
そんな世界に
“萌え”とか“推し”とか“尊い”を経験した
“NEW TYPE”があらわれてきたのだ。

奈良美智
人面犬(1989)

この人の場合ふつーはいつものあれだけど
この場合はこれ。
これがあるからあれがある。
素直にそーおもってるのであるよ。
ROCKだろ。

奈良美智
無題(1990)

Woops!
これもイイね。

加藤泉
無題(2007)

この人の頭ん中には
はっきりと描きたいモノがある。
仕事も丁寧だね。
でもそのモノがなにかは判んない。
斜め上からバクダンが降ってきたような気分。
よし!君は“キモワル1号”と命名してあげよう。

加藤美佳
パンジーズ(2001)

無駄に手間がかかったように見えて
しっかりとその手間が回収できてる作品。
realというやつを追及していくという行為
はとんでもなくめんどくさいことだけど
やりたい放題手間をかけるというのは
めっさ愉しいことなんだろうな
とナカナカにジェラシい作品。

川島秀明
roses(2006)

マリー・ローランサンがね
目が良くてね
日本人男性でね
仏門で修行した人だったらね
こんな絵をかくのだろうね。
そのまんまだね。すまぬ。

町田久美
訪問者(2004)
町田久美
郵便配達夫(1999-2006)

キモカワ君1号と2号。
差し色が効いているというのもあるけど
なにせ線がツヨい。
だからキャラのキモカワさが
ひきたつひきたつ。
このキモカワはクセになっちゃうね。

鴻池朋子
第4章 帰還-シリウスの曳航(部分)(2004)

これもちょーでかいので真ん中のだけ部分ね。
ヘヴィメタの世界でね
やたらとスケールのでかい
神話世界を繰り広げてるのがあるんだよ。

少女を守護するフェンリルたちが寄り集まって固まる。
そして魔力を振り絞って翅を生成する。
海神は少女を加護すべく宝剣を生成した。
(写真には入らなかったんだけど
 右側の画面には)
天の加護をあらわす宝珠が舞い降りた。
目指すのは約束の地“アタラクシア”。

Yeah!Epicだね。PopTeam Epicでござる。

できやよい
みみちん(1998)

おとめはね、じぶんの好きなものから出来てるの。
そーゆーことであるのだな。
アールブリュットの人たちが多用する
お気に入りの細部で画面を埋め尽くす
というやり方を取ってる。
ただこの人の作品からは
埋め尽くすという行為の
優先順位は高くはないように感じられる。
作品からは“少女”という
あり方が伝わってくるのだよ。

松井えり奈
食物連鎖 Star Wars!(2008)

いやー面白い。
右側で大口を開けて獲物にかぶりついてるのは
作者の自画像だ。
で獲物はマンモス。
マンモスの鼻の上でキノコが光ってる。
マンモスの口から覗いてるのはサメ。
サメの頭ん上でなごんでるのは
インド人の少女。
それを不埒な感じで伺っているカラス天狗。
手前でリュウキンが吹っ飛んでいる。
タカがヤベーじゃん、ってことでゲルニを決めようと。
ヒョウがマンモスの牙の上でお陀仏してる。
ドードー鳥が様子を見てる。
よく見るとシロナガスクジラみたいのもいるぞ。
ゴジラが獲物の横取りを狙ってる。
ウーパールーパーがただぼーっとしてる。
ウシ、ブタ、トリも状況を把握していないみたい。
遠景にいるのは幽霊少女ですか。
あっ、宇宙空間なので木星も見えます。
なんともラージスケールですなぁ。

工藤麻紀子
もうすぐ衣替え(2003)

あぁ、少女マンガの中にありそうなreal。
そーゆーのもイケるクチなんで
しっかりとなごめますねぇ。
ペンギンとか小魚ってのは
こーゆーシチュエーションでは
必ず出てくるもんなんです。
気にしないほうがイイです。

小西紀行
無題(2007)

ふつーの題材を
ふつーぢゃなく描いてる家族の肖像。
3秒後にはドロドロに溶けはじめて
ひとつのスライムになってしまいそうな悪寒。
でくわしたくない体験だね。
でも脳裏にこびりついちゃうんだ。
困ったもんだ。
キモワル2号ファミリー”を謹呈。

友沢こたお
slime CXCI(2023)

この絵はね
現物見たとき訳判んなかった。
でもさカメラのファイダーで見ると
腑に落ちたんだ。
なんなんだろうね。
スライムを顔ん上にぶちまけてみました。
透明のやつ。
そーゆーことなんだけどね。
謎に面白いね
面白いにもイロイロあるということだね。

庄司朝美
21.2.3(2021)

アンソールの作品の部分を拡大したかな
と思ってしまった。
個人的な受け方なんだけど
死のイメージが
すごくstaticに感じてしまった。
悔恨とか執着とかそんなもんでなく
唯、死のみがそこにある
みたいなね。

森靖
Jamboree-EP(2014)

かさばる作品だったな。
エルビスは昔はもっとかさばらなかった。
ドーナツの食いすぎだよ、きっと。
だいいち、オッパイなんか生やして
誰得だよ、ほんとに。


4崩壊と再生

アートの人は概ねtokyoiteだし。
自分たちのせいで
Fukushimaの人たちに
どんな思いをさせているのか
激しく後悔しているのだね。
それは判るね。
アタシら田舎者は運が良かっただけ。
おんなじトラウマを抱える
可能性を忘れちゃいけない。

Chim↑Pom from Smappa! Group
Level7(Printing & Painting)#1(2014)

こういうのに対しては
真面目なお答えをしたい。

面白くない。
第三権力に皆さんみたいに
民草を啓蒙したい
という志を持ちなのだろうね。
個人的には賛同できない。

但しビデオ作品の「気合100連発」は
ちょっと面白かった。
なんか気合がスベってたりするから。
それが人間だろ。

弓指寛治
挽歌(2016)

センターにいるのは何だ。
何か思い入れのあるもの
もとい
想いそのものかな。
どこかに行こうとしている。
ただその一部は居座り
よくわからない生き物として
残り続ける。
その周りを埋め尽くすのは
妙に実体感のある記憶の残滓。
作家は記憶の残滓
画面を埋めてしまいたかったんだね。

小谷元彦
サーフ・エンジェル(仮設のモニュメント2)(2022)
細部がつぶれたので拡大して撮り直し

震災復興のモニュメントを
企図して作成されたとのこと。
こーゆーのわ面白い。
眺めていると
様々なイメージがドンドン参照されてくる。
希望の内燃機関に燃料が補給されていくみたいに。
この線でお願いしたいもんであるます。

石田尚志
Burning Chair(2013)(ビデオ作品)

何も無いスタジオの中に椅子を1脚おいてみる。
窓からは日光が差し込んでいる。
それを丸一日かけてコマ撮りしていく。
それをつなげていくと1編のフィルムになる。
簡単なお仕事です。
作家はそんなことでは満足しない。
ひとコマごとに
水とチョークで書き込みを加えていく。
なぜならば
そこになければいけない線があるから。
観衆は線と光に幻惑されて
魅了されてしまう。

5「私」の再定義

「私」がないアートはない。
No Self, No Art.
または
「ワタシはタワシ、ブラシじゃなーいのー♪」
そんな感じの歌が昔あったということだね。

やんツー
脱成長のためのイメージ-近代的価値から逃走する(2023)

男の子の工作っぽくてイイね。
スプレーで描いた線が味を出してる。
以上。

華雪
「日/記」(2012)

住まっていた新潟の地方紙:新潟日報、
を屏風に仕立てて
日、日、日、、、、とひたすらに記していく。
しまいにゃはみ出しちまった。
だからどうだって?
判らん。
何がイイんだ?
判らん。
だけど好きになっちまった。
修辞法、間違ってないよな。

梅沢和木
ジェノサイドの筆跡(2009)

人の手による筆跡をデータ化して
PC使ってゴニョゴニュ。
別に筆跡でなくてもいんぢゃね?
まぁ作家のたくらみは判った。
アタシらは何を見りゃいいのか。
実際、左側の密集地帯は
色の塊が戦争状態になってる。
んでえ、右の方は
取り残された小隊が途方に暮れている。
この空白の感じは好きだな。
つまりイイ感じの作品なんだが。
別に筆跡でなくてもいんぢゃね?

名もなき実昌
低画質地獄(´△` ;;)(2018)

SNSとかで拾ったイメージを脳内コラージュして
手書きで再現した、とのこと。
それぞれのパーツはCGの手癖みたいなのを感じるね。
シュルレアリスムなんて看板のことは
気にしなくていい時代だから。
今っぽいコラージュとして受け取るべきなんだろうね。

ob
Choking(2011)

pixiv出身の作家。
このサイトはアニメ画とかのサイトだったよね。
キャラ造形とか色彩の処理とか
そっちの世界の名残を感じるね。
でさ、輪郭線をやめてみたらfine art。
カワイイは正義。

土取郁香
I and you(knock knock knock)(2020)

二人がもつれ合ってる。
密着しながら、距離を測ってるのかね。
その距離はなんなんだろうね。
何とも朦朧としているけど
これは記憶の中の風景
空想の中か。
スプレーでしゃーーと引かれた青色が
過去のものだといってるような気がする。

坂本夏子
BATH,R(2009-10)

タイルのようなものを積み上げていくことで
この人は空間を埋め尽くそうとしている。
ただそれは単一の形を持たず
生きているように形を変えていく。
そしてその空間が出来上がると
われわれの幾何学的感覚は無効化され
謎に静謐感のある空間となっている。
そこに存在する人たちは
何も語ることなく
鏡像を映している。

西村陽平
焼成された5冊の雑誌(1992)

錬金術の一派、焼成術を受け継ぎしもの。
焼成術を施すと
本の形をとどめたまま白く縮んだ姿となるとのこと。
つまり時とともに朽ちていく書物に
永遠の命を与える術である。

6路上に還る

最後のグループにつけられたタイトル。
高橋さんかナカの人か
両方かお一人か。
ケルアックとか信奉してるの。
それとも寺山修司の教えをこじらせてるの?
いや知らんけど。

鈴木ヒラク
道路(網膜)(2013)

こいつのせいだ!
とかいっちゃだめだね。
大切のは作家の網膜。
この人は網膜に映じた形象を
分析し抽象化し
根源的と判じたものを抽出する。
現れたモノたちは
シンプルで力強く開陳される。
アタシらが称揚すべきは
後工程のワザマエなんだろうね。

松下徹
Joban Time Zone(Night of Nakazuma)(2018)

この前に立った時
脳内に浮かび上がったのは、
これは空気の動きではないか、
それも分子レベルの、
というような確信であったのです。
こういう幻視を捕獲できるのは
さすがのワザマエ。

金氏撤兵
White Discharge(建物のように積み上げたもの)(2012)

これは路上ではなく
工事現場に転がってそうのモノたちだね。
かぶっちゃたのは外壁用塗料かな。
だからね、月がイイ感じにオカシイ夜は
どこかの現場でこんな奴が立ち上がるんだよ。
素敵なことだと思わないかい。

DIEGO
ALways Secret OKay(2020)

キャンバスの上で
グラフィティをかましてやろうという
気合が楽しいね。
そうすると必ず特有のキャラとか書体とかが
湧いてくるんだよ。
油性チョークの線なんかもイイ感じ。
それが楽しい気分を呼んでくる。
おまわりさんを気にしなくていいからか
キャンバスの2枚重ねとか丁寧な仕事っぷり。
タレてるところなんか気分をアゲるね。

BIEN
Day For Night(2019)

今の時代は液晶ディスプレイなんだね。
だからこうなる。
ナムジュン・パイクがちょっと懐かしい。
傾いてる具合が作家のセンスを表現してる。

根本敬
樹海(2017)

特殊漫画家である根本さんに
「ゲルニカ」と同じサイズのでっかいのを
描いてみませんかとそそのかす。
ナイスな企み、ごちそうさまです。
そして目の生じた握り寿司が
泳ぎ回る世界。
これは樹海ぢゃなくて
魔界でしょう、ホントわ。
口開けてるでかい魔物は
なんかピカソっぽいね。
怖いけど愉しい、コワタノだね

里見勝蔵
女(1930)

なんで最後がこの作家であるのか。
釈然としないけど。
文脈としてどう思う?
ただ作務衣を脱いで
ストリートっぽい服に着替えた
棟方志功が描いたって妄想すると
とっても愉快と思わないかね。

さて乱暴にサマリーしてみようとしてみたが
アタシがこの展覧会を観おえる要した時間が
about3時間。
愉しくも疲れる経験でありました。
高橋龍太郎センセイの
眼力と情熱と財力にココロより敬意を表します。
ナカの人の
何かと雑多な努力にもココロよりお疲れ様です。

あぁ、この後はね
新宿に出て
ざるラーメンを食って
ユニオンでエサ箱をあさって
NEW DUGでコーヒーを飲んで
当然ご機嫌だね。

E.N.D.

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