美術館で会った人だろ、アンタ。 12
1960年頃からしばらく
何やかやと面白いことをやらかす
人たちがたくさん居たんだね。
具体的に言うならば
吉原治良とか白髪一雄とか嶋本昭三とか
そんな人たちが
関西でイロイロやらかしていたんだね。
時代背景とか言うのも当然あるんだけど
まぁそういう時代だったということで
細かいことをチマチマと穿っていこう。
さあ諸君、誤読の時間だ。
兵庫県立美術館
コレクション展Ⅰ
白髪一雄生誕百年特別展示
この人の制作手法は
いわゆるアクションペインティング
の一亜種で
ロープにぶら下がりながら
足で滑走しながら描く、と。
動画が残ってるけど
すいーっとすいーっと描いてる。
カンバスの真ん中にどちゃっと
赤と黒と白の絵の具を置いて
絵の具をのばしていく。
見た目デカルコマニーの
発展形みたいだ。
中央上の部分なんかは
明らかに手で描いていた時の
意識の残滓があるような気がする。
中央部分の絵の具の分厚いところなんかは
明らかに足指の跡で
身体の介在を物語っている
ようであるます。
絵の具の練り具合は均等で
最初の試みとしては手堅い成果ではないだろうか。
先ず言いたいことは
この人、厨二病拗らせてないかと。
訳わかんねータイトルぢゃないかい。
只人はそう思うだろう。
思想的に裏付はあるみたいだけど
そー思わざるを得ないね。
こーゆーのが続くけど(タイトルがね)。
それはさておき
絵の具の練り方に着目したい。
推測でしかないが
ゆるーく練って
顔料の少ないところと
顔料がダマになってるところが
混在してるみたいだね。
四隅の部分なんかは飛沫を飛ばしてる。
イイ感じに躍動感が表現されてると思う。
ダマのところが乾燥して
何か生命力みたいなものが伝わってくる。
色による画面コントロール。
赤と黒で荒ぶる魂が描かれてるみたいだけど
その上に置かれている青灰色が
荒ぶる魂を封じているみたいだ。
きっとこの青灰色は
後からバラバラとばら撒かれたんだろうね。
画面の中に緩急が感じられる。
左上の部分は
少ない絵の具をなすりつけたみたいで
ここで動きを抑えてる。
中央右から上の部分で
飛沫と少ない顔料と多い目の油で
加速する力を感じさせてくれる。
画面に余白を感じられるのも
イイ感じぢゃないかな。
あぁっ!ユンケルさまぁ。(いや、なんとなく)
今まで黄色をあんまり使ってなかった、かなと。
で、使ってみたんだけど、
あんまりパワーは出ないみたいだね。
所謂ひとつのtrialなんだけど
きっと得意ぢゃないんだ、黄色の扱いは。
撮影者は写り込んでるヘタレな写真ですが。
(しょうがざるをえないんだよ)
現物は毛皮なんか貼りこんでる。
これも一つのtrial。
別に無理にほめなくてもいいでしょ。
こんなタイトルのほうが
かえってインパクトあるね。
下地の薄水色が効いてるね。
スクイジー(ゴムべらの親方みたいなやつ)で、
最初は
薄めの白と赤の絵の具でシュル~~っと
その上から
得意の濃い目の赤と黒の絵の具でグワ~~っと。
うん、スピード感とパワフルさを感じちゃうね。
個人的だがタイトルは外角低めのストライク。
スクイジーと足があれば
こんな世界が創造できるんだね。
ここでは黄色がうまく使われてるみたいだね。
厄災の魔獣が産まれだされる10秒前って感じ。
スリリングでカッケー。
原点に返って足で稼ぐことにしたんだね。
おまけに画面をホワイトアウトさせちゃった。
白はその中にすべての色を含んでいる
ということかな。
足の動きは特に変わったことはしてなく思う。
原点に返って色ぢゃなく質感を見せたかったのかな。
タイトルが好きだ。
自分はこういうアーティストだという
気合が感じられる。
黄色と茶色の絵の具。
ちょっと硬めに練ってるみたいだね。
きっとね、
足を通して絵の具と対話してるんだよ。
対話しながら自分を表現してるんだね。
きっとね、
自分のやり方に自信というか確信があるから
できることなんだろうね。
I apologize ….
展覧会というのはナカの人が意図をもって
作品を並べてると思うだけどね。
その意図が全くわからんかった。
だからこのtextを作成する際に
作品の作成年順に並び変えてしまったです。
そうしないと、
すっきりと腑に落ちなかったのです。
全くもって躍如として面目ない。
でもさ、こうすっと
白髪一雄がアートの世界に残した
足跡(の数々)がたどり易いだろ。
さて、白髪作品で
結構おなか一杯になったんだけど、
イイ感じのマグロのヅケを出すお店が
三宮高架下にあるんだ。
だもんで寄り道して
ヅケとか岩ガキとか焼き穴で
白鶴の冷酒をやっつけて帰ったんだよ。
当然、ご機嫌だね。
E.N.D.