必要なときに必要なものを受け取れるようになっている
鹿の多い街へ。
若い鹿たちが大通りの横断歩道で渡りたそうにしていたので止まると、小走りで渡っていった。
奈良市から一歩外に出ると「害獣」とされる鹿も、市内にいる限り「かみさま」だったり「かみさまのつかい」として扱ってもらえる。
「奈良市内に落ちている鹿の角って、勝手に拾って販売したら罪に問われるんですよ」
と、商売をしている方から聞いたことがある。
山ならなんぼでも落ちてそうだけど、市内では犯罪になるらしい。触らぬ神になんとやらである。
別の機会に市外の人たちが
「奈良市内目指して移動するその辺の鹿って絶対いてるよな。ここらにいたら害獣扱いで狩られるけど、市内に入ったら『かみさま』やろ。
待遇も違うし、鹿もわかってると思うわ」
と笑っていた。
🦌
わたしは氣が変わりやすい。
前もっての「約束」がたいへん苦手である。
自分で自分の氣分屋に振り回されていた時期もあったし、そんな自分のことを「そんなんじゃ人としてだめ」と自己否定していたものだから、ほんとうに苦しかった。
最近のわたしは「自分は氣が変わりやすい」ということを自覚しているし、
そのことで自分を否定しそうになったら
「どんな自分でもええねんで」
と唱えることにしている。
約束の時間、約束の場所にいた自分を
ひとまず褒めた。
🦌🚶
初めて自分と同じタイプのひとに、リアルでお会いした。エンパスで、INFJ(提唱者)の人。
「提唱者の説明を読んでいたら、すごい当てはまると思って」とその人はおっしゃった。
「人との関係もすぐ切っちゃうんですよね」と。自分のことを聞いているようだった。
非言語情報を拾いやすく、
生きているだけで膨大なエネルギーを消費する。
ゆえに対人となるとわかりやすく「くらう」のだ。
「前に大勢の飲み会があって。久しぶりだったのもあって、行ってみたんですよね。
そのあと10日間、体調が戻らなくて。
自分が無理してたことにやっと氣づいた。
『こんなことになるんや』って思い知りました」
「その経験から『この人無理』って思ったら躊躇わずに(関係を)切るんです。そのことも氣にしないようになりました」とおっしゃっていた。
わたしもシャッターをおろしやすいけれど、
自己否定がつよいため「ああ、またやってしまった」と、そこから自分責めをしやすい。
そのことを白状すると、
「私は自分を守るために無理をしない、って決めたので。シャッターおろすし、友人も切るけど氣にしない。それが、自分を守ることだってわかったので」
と 穏やかな口調でおっしゃっていた。
「誰かの目」を氣にするのではなく、
「嫌われないために」行動するのではなく、
「自分の氣(エネルギー)を自分で守る」
と「決める」こと。
自分にとって自分ほど心強い味方はいないだろうなと、たましいがふるえた。
わたしもそうありたい。
いや、あろう。
その方の口から「御靈神社」と出て
「あっ」となる。
前日にたまたま地図で見て氣になった神社だ。
これは呼んでもらえた、とお詣りへ。
御朱印もいただいた。
日曜日は特別な御朱印もあるみたい。
「靈」の字が旧字体でぐっときました。
旧字体は、いいぞ。
雅な音楽がそこかしこから流れてきていて
「なんだろうなあ」と思いながら歩いていたら、視界に舟が。
100カメ「光る君へ」の「曲水の宴」のモーター鳥ちゃんを思い出した。
ちょうど中秋の名月の日で、
采女祭の日だったよう。
その後ひとりで入った喫茶店で地元の方とお話しする。お祭りの話題へ。
「地元の方は行かれるんですか?」と訊ねると、
「昔は行ったけどねぇ。四十年前ね。
カメラマンが多いでしょう。機材でぐいぐい押されて危なくて。自分だけならまだ我慢できたけど、ちいさい子を連れていたから腹が立ってね。
もう長いこと行っていないわ」
と、お話を聞いた。
「だけど、もうじき月が昇るし、采女祭を見られたことがないなら一度チラッと見て行かれてもいいかも」
さすがは観光地の方だな、と思う。
行くとも行かずとも言わずに「そうですね」と返す。アイスコーヒーのストローを口に含んでいると、お店の方がご自分の話を始めた。
「市内のひとは、美容室や整体なんかはわざわざ遠くへ行くの。一度どうしようもないときに、ちかくの美容室へ行ったらまぁ聞きたくもないいろんなひとの噂話を次から次へと頭のうえで延々とされてね。店を出てから思ったの。
『ああ私のこともあないしてほかの人へ言われるんやなあ』って。うんざりした。
だから、遠くへ行くの」
「あなたも、そうなのね」と微笑まれ、
こくり、と頷いた。
わたしが鹿の多い街へ来たのは、そのためである。どこに住んでいても、どんなコミュニティでも「そういうこと」ってあるのかも、と思った。
「毎朝、散歩しているの。歩いてるひとなんて、いつも一緒でしょう。
嫌いなひとには会わないように道を変えるの。
歩く時間は変えないけど、通りを変える」
「嫌いなひとは嫌いでいいの」
はっ、とする。
松果体のあたりに映像が見えた。
水面にぽとんと水滴がひとつ落ちる。
ポタン、と。
波紋がすう、と広がっていく。
実家を出るまでの18年間、
そのようなことを毎日念仏のように言われ続け、「自分が否定されることがあたりまえ」だったわたしは、いまでも自分の意見を言語化することに異常に時間がかかる。
自分の本音を見るより先に「いま相手はわたしにどう言ってほしいのか」に全力を注ぐ癖がある。そもそも自分の感情に氣づくまでにも時間のずれがあるし、未だに「ひとを嫌うこと」には自罰感情が湧く。
ああまた仲良くできなかった、
拒絶してしまった、と。
「機能不全家庭」と「心理的虐待を受けていたこと」を自覚してからは「この世の全員と仲良くなんてしなくていいし目指すのがそもそも無謀」とわかったし、自分がかぐや姫以上の無理難題をふっかけられてきたことにも氣がついたけれど、
自分を責める癖は、いまだに根が深い。
そんないまのわたしに、ジャスト必要なことばだった。なんでもないことのようにさらっと、店のひとが言ったことば。
「嫌いなひとは嫌いでいいの」。
必要なメッセージは、必要なときに与えられるということを思い出した。
素直でいること。
工夫して生きること。
嫌いなひとを、ちゃんと嫌うこと。
だれかにとってそれが「ふつうのこと」だったとしても、わたしにとっては魔法の種をもらったみたいにうれしかった。
「ジビエ」になってもいいし「神鹿」になってもいい。自分の生き方は、自分で決めればいい。
「いちげんさん」でいられる街で
わたしはよく喋り、よく笑う。
軽い足取りで帰路についた。