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火垂るの墓を振り返って

私は昔から火垂るの墓は、清太が悪いと思っていたので「泣ける」映画だとは全く思ったことが無かった。

最近でこそ『清太が悪い』の意見をネットで見るようになってきたけど、一昔前は『泣ける戦争映画』の代名詞みたいな感で、西宮のおばさんの肩を持とうものなら鬼畜扱いされそうな雰囲気だった。

岡田斗司夫さんの動画で火垂るの墓が泣けない映画だというのが解説されているのを見た方が多いのかも知れない。
もしくは最近の価値観が変わってきたのだろうか。

そういった事を考えていたらふと、私は何故、昔からおばさん擁護派で清太悪い派だったのかを考えてみたくなった。
それで気づいたことを書いてみる。


清太が節子と一緒にオルガンを弾きながら歌っているシーン。あれに対して怒ったおばさん。
私は怒られて当たり前だと感じた。

何故そう感じたか。
昭和中後期に生まれた私は子どもの頃から色々な戦争映画やドラマを見てきた。
『欲しがりません、勝つまでは』
『兵隊さんのおかげです』
などの言葉は、色々な作品の中で何度も聞いてきたフレーズで戦時中にオルガンを弾いたり、楽しそうに歌ったりしてはいけないと、テレビを見ながら刷り込まれていたのだ。

そして勤労奉仕や学徒動員などもよく見聞きした。

清太ぐらいの歳の子が『お国のため』と働くのもよく見た。
だからだろう今の時代だって『働かざる者食うべからず』という言葉が残っているのに、戦時中に家で遊んでいる清太が働いている人たちと同じように遠慮もなくご飯を食べようとするシーンでは、見ている私の方が清太の図太さにドキドキしてしまったぐらいだ。

自分の家から持ってきた食材があるから、むしろ家の人にもそれを分けてやってる立場だと考えていたのだろうか。
けど昭和感覚の私は、家に置いてもらうのだからおばさん一家に渡すのは当たり前だと思っていた。

戦後生まれの私ですらその感覚なのに、戦時中の清太がお世話になっている人への感謝が無いことの方が不思議に思える。

そうか、清太は私が今まで見てきた戦時中の子どもとは少し感覚が違っているのだ。
まるで今まで隔離されて戦争なんて知らない場所にいたかのように。

お母さんが空襲で大火傷を負った時に、心臓の薬の心配をした時にも変な違和感を感じた。
いやいや、今心配するべきはこの酷い怪我の方だろうと。

この頃の男の子は兵隊さんに憧れて、自分も戦地に早く行って敵を倒したいとなってる子がテンプレなのに、清太は軍艦に乗ってるお父さんをかっこいいとは思うものの、自分もお国のためにという感覚は無さそうだった。

そうか!この映画は清太が他の戦争映画やドラマと違って戦争を知らない現代人の感覚だったんだ。

私より若い世代や、昭和の戦争ドラマを大して心に留めてない人たちは現代人の感覚のままでこの映画を見るから、清太の言動におかしさを感じないのだろう。

けれど私はドラマや映画の影響で、清太よりも戦時中の人の感覚でこの映画を見ていたので、おばさんに肩入れしてしまったのだと今回振り返って気がついた。


ただこの映画で一つ、私が心残りというか気になっているのは清太たちがおばさんの家を出ていくシーンだ。

おばさんはまるで、おままごとの役柄のように感情薄くそっけなく二人を見送っている。

いくら清太が戦時中としてダメな子であっても、一旦預かった子が出ていくのをあっさり見送るだろうか。

おばさんがガメツイひとならば、いい暮らしをしていたと想像がつく二人を戦時中に苦しいからと出て行かせるだろうか。
今はお金があまり役立たなくても、親のお金がたくさんありそうな子を簡単に捨てるだろうか。

おばさんは清太が1〜2日したら戻ってくると考えていたんじゃないだろうか。
清太だからこそ、家を出て暮らしてなんていけないと思っていたんじゃないだろうか。

そんなことを考えてしまう。
それぐらい、私はおばさんがただの意地悪な人だとは思えないのだ。

野坂さんの原作や岡田さんの解説にもあったように、清太は節子が亡くなった悲しみの裏で、貪るように食べ物を求めていた。
それは悪いことじゃない。
その点は清太を責めたくない。

だけどそれを含めて、この映画は『お涙頂戴映画』では無いと思える。

見えてくるもの、感覚がそのたびに違ってくるかもしれない。

せっかくこうやって、色々思い出し考えてみたのだから改めて火垂るの墓を見てみたい。

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