いい勝負だったなあオッサン
麻雀放浪記(1984/日本)
監督:和田誠
出演:真田広之 鹿賀丈史 加賀まりこ
当時18歳だった私は、飛んだり蹴ったり回ったりしない真田広之をこれで初めて見た。今では考えられないことだが、当時はアクション系アイドル俳優だった真田広之が、「やれば演技ができるんだ」と世間が思った記念碑的作品ではないかと思う。
和田誠はご存知の通り、イラストレーターでかなりの映画ファン。この作品に続き、小泉今日子とまた真田広之で『怪盗ルビイ』を、その後また真田広之で『怖がる人々』を、そしてまたまた真田広之で『真夜中まで』を監督した(他にもあるようだけど、主な作品はこれくらい)。
映画が好きで好きで、真田広之も大好きな和田誠。あと1本くらい、真田広之で撮りそうな勢いだ。
ところが、子供の頃から映画をいっぱい見ていて映画に詳しく、映画をこよなく愛している和田誠がいざ監督になると、センスもキャスティングも悪くないのに、なんでこんなにつまんなくなるんだろう。
まず、お行儀がよい。そして、映画への愛情があふれすぎ。それでもマイク・ミズノ(水野晴郎)やタランティーノの方向に行けばまだ面白いのだが、愛情表現が上品にストレートなのだ。それがうっとおしい。
21世紀に作られた昭和を舞台にした映画を見ればわかるように、たとえ懐かしさは再現できても、時代の空気を再現するのは不可能。時代劇なら昔すぎてわからない違和感がバレるし、だいたい人間の顔も変わってきているんだからさ。村上龍原作の映画『69』で、妻夫木聡と安藤政信のすっきり平成顔が臨場感をぶち壊していたのを見よ。
でもいいんだそれで。しかたがないから。
和田誠は、80年代に戦後のドヤ街を本気で蘇らせようとしている。私にはそう見える。だから、わざわざ白黒映画にしたんでしょう?
でも、自分の女を賭けたり、麻雀打ってる最中にボックリ死んだり、女衒が出てきたりしても、何だかきれいなのよ。「あしたのジョー」のドヤ街みたいな、「泪橋を逆さに渡れ」みたいな、泥水の中でうごめくエネルギーが感じられないのよ。
よく知らないけど、和田誠って育ちのよい優等生タイプ?だったら、映画監督にはあんまり向いていないんじゃないかなあ。よけいなお世話だけど、よき鑑賞者でいてくれるだけで十分です。
とはいえ、女衒の加藤健一はかっこよかったのう(最初トータス松本かと思った)。名古屋章もあやし~。そして加賀まりこが、真田広之を「坊や」と呼ぶのがサマになりすぎで、そうか、和田誠は加賀まりこでこの映画を撮りたかっただけなのかもという気もした。