私は一歩一歩 あなたへ近づくために歩いてきました
SAYURI(2005/アメリカ)
監督:ロブ・マーシャル
出演:チャン・ツィイー 渡辺謙 コン・リー 桃井かおり ミシェル・ヨー
日本人同士でも英語で普通に会話しているので最初はビックリしたが、よく考えてみたら、これはそういう映画だった。
とはいえ、戦前の日本人(そこらへんにいる子どもまで)がみんな英語ペラペラなのを見て、NOVAのCMを見た時のような嫉妬まじりの不快感を感じたのは、私だけだろうか。
この映画を「あれは日本じゃない」「間違いだらけ」と批判する人がいるようだが、これはSFファンタジーである。地球によく似たどこか遠い星の、日本によく似た国のおとぎ話と思ってください。
と、寛容な気持ちで受け止めていた私だが、それでもチャン・ツィイーの最大の見せ場である踊りのシーンには、のけぞってしまったよ。
なんやこれは。
歌舞伎と花魁道中が中途半端にミックスされているようなわけのわからなさ。いくらなんでもこれはありえない~っ!
でも私がこの映画を見たのは、「桃井かおりが英語でも普段のようなしゃべり方をするのか」を確かめたかっただけなので、他のことには目をつぶろう。
で、桃井かおりはやっぱり同じでした。強欲な芸者置屋のおかみさんがハマってるねえ。出番も意外に多くて、あのコン・リーと火花を散らすところを見られるなんて、ああ幸せ。
特に2人がマンガみたいに鼻面をつきあわせてタメを張り合うシーンは緊張感と笑いが入り混じり、身悶えするほど嬉しかった。それだけでも、この映画を見てよかったな。
ところで、コン・リーはチャン・ツィイーを目の敵にしてわかりやすくいじめるのだけれど、昔ならこのチャン・ツィイーの役をコン・リーがやっていたはず。そう思うと、何だか感無量だ。
ちなみにこの2人の女優は、チャン・イーモウという同じ監督に見出されてスターになった。なので、怒り方から泣き方まで演技(芸風)がソックリで、それをこの映画でもつくづく感じた次第。
ミシェル・ヨーは、何だか賠償美津子みたいだったなあ。
さて、問題は渡辺謙。いや、謙さんの役である。
幼ないさゆりを見初め、彼女をこっそり一流の芸者に仕立て上げてその暁には…と光源氏のような密かな夢を抱いていた男。これが当時の金持ち男の道楽だったとはいえ、渡辺謙があまりに清廉潔白的な風貌なので、むっつりスケベに見えてしまうんですけど。
さゆりの人生はゲイシャのシンデレラ・ストーリーだが、今時こんな話にウットリ胸をときめかせる女はいないだろうから、カタルシスに乏しいのが難点。なので、この映画は「映像がきれい」としか言われていないような気がする。
ところで、日本庭園のパーティでウロウロしていたクジャクは一体…?史実をよく知らないのだけど、インド映画かと思いました。美しい映像も、こんな風にツッコミどころ満載であった。