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托鉢とわたしのお金との向き合い方

最近わたしの中でお金との向き合い方が少し変化したことがあったので、書き留めようと思います。


海外での貧乏学生生活を長くしていたので、派手で贅沢な生活はできないものの、”質のいいもの”や、お気に入りを買うことはしてきました。


先日も100年もののアンティークの銀のティースプーンとフルーツ用のフォークを購入。
市販のSilver polishでピカピカに磨き上げて、やはり質の良いものはいいなぁと感心しました。


欲しいもの全ては闇雲に買えないけど、
リサイクルショップの活用や工夫をしながら一つ、一つ、優先順位を決めてお気に入りの暮らしを暮らしを作り上げてきました。

物や情報はあふれていて、健康な体があって仕事があれば、それなりの生活ができる時代。


都会ではしがらみは徐々に薄れてきて
幸せの物差しは自分で決められるようになってきたなと思います。


そういう意味では生きやすくなってきている今の時代。


でも私たち、特にミレニアル世代はつい自分たち一人で生きている気になりがちです。

親元から離れて、仕事して、家賃や生活費を払って、一人で生きているつもりになっちゃう。


今の時代を反映しているといえばそうなのかもしれないけど、
私たちってやっぱり一人では生きていけないんです。

誰かが常に何かしら自分たちのためにしてくれていることがたくさんある。

目の前にある食事も、野菜は農家さんの懸命なお仕事のおかげでここにある。

完璧な人なんていないし、みんなそれぞれ長所と短所があって助け合いながら社会が成り立っています。


自分の凸凹の部分も社会では他の人の凸凹とマッチして一つになる。
必ず与えている部分と受け取っているものがあるはずです。

自分が助けられた時のことを思い出したら、人に手を差し出すことも躊躇なくできます。


ただ、手助け的なものは今までもしてきたつもりだったけど、お金に関するとどうしても自分のことで精一杯でした。


托鉢


最近、

”受け取りたかったら差し出さないとあかんよ”


と言われ、托鉢のこと思い出しました。


子供の頃に名古屋駅でよく見かけたお坊さん。
お賽銭を上げる感覚なのかな?と昔は思っていたけど子供の頃インターネットで調べたら

”お坊さんの生活のためにではなく、私たちのためにやっている”

と出てきました。


え、お金をあげているのはこっちなのに…!? どういうこと!?

と思ったのを鮮明に覚えています。


その話を詳しそうな人に聞いたら

”托鉢はお金持ちの家じゃなくて貧しい人たちの家をまわる” そう。


貧しいから施しができない、

のではなく、


貧しいから施しができないと思っているから貧しい 


そして托鉢の修行は

その貧困の海から救い出す

ものらしいのです。


へぇ〜!!!


どうやら宇宙の法則ではこんな感じらしいです。


もちろん自分の生活を苦しめるほどではなくて、あくまでも自身の生活に支障のない額を差し出すことによってどこからか”ご褒美”をいただくシステムのよう。

倍になって返ってくるとか。

偽物のお坊さんも多いと言いますが、お金の行き着く先ではなく、自分がお金を差し出す行為そのものに意味があるとしたら、もう差し出す相手は誰だっていいのかもしれない、とふと思ったりもしました。


親孝行

今、日本への帰国を予定していてその際に両親と旅行に行く予定です。

初めは日帰りのつもりだったけど、その方との会話で色々思うところがあり宿代を出し一泊で旅行をすることにしました。


決して安いとは言えない温泉宿。


30過ぎてお恥ずかしいですが、20代のほとんどを学生として過ごしていたために親にご飯をご馳走するとかプレゼントをするとかは今までしてきたけど、この金額を出すのは初めて。


えいや!と思い切ってオファーをしたら、遠慮のそぶりでもするかなと思ったらすんなり承諾してきました。笑


うちの両親はわたしの学費にたくさん投資をしてきたと思うので、しっかり両親が元気なうちに親孝行をしたいと思います。


お金なんてまた稼げば良いのよ、の精神です。

そのための健康管理もより一層気を引き締めてやっていきたいと思います。


シドニーでの”托鉢”

うちの近所にはホームレスの方が何人か生活をしています。

スーパーの前に立ち、小銭をくれというもの、

何も言わずにワイン瓶をラッパ飲みする人など、


通りを歩くといつもの顔ぶれが目に入ります。


今日その中の一人に、いつも”spare 5 dollars”と、余っている5ドル札ちょうだいと言ってくる方がいます。

わたしからしたら5ドル札は全然スペア(余り)じゃないので、厚かましいな!!とずっと思って素通りしていました。笑


今日そんな彼女の横を通り過ぎた時に


Rock melon, please. Half one.

半分に切ってあるメロンください

と言ってきました。


また5ドル欲しいって言われるのかなぁと思っていたので、びっくりして一緒にいたパートナーに、
今あの人Rock melonって言った!?と聞き返したほど。笑


アル中や薬中の方が多いシドニー

何に使われるかわからないお金をあげるのはあまり好みではありませんが、食事となれば別。


スーパーに行きロックメロンは売り切れていたもののハニーデューがあったので木製のスプーンも購入して渡してきました。


合計5ドルほど。

コーヒーを飲んだと思えば気軽なもの。

週に一度くらいではわたしの生活には支障が出ません。


ロックメロン売り切れてたからハニーデューでよかった?と聞きながらメロンを渡しに行った時のありがとう、と言う彼女の笑顔は今も目に焼きついています。


渡してよかったなぁと、心が温かくなり、


托鉢の、

お金を差し出す行為は自分のため

というのはあぁ、こういうことなのね、とわかったような気がしました。



見返りを求めるためにやっているつもりはありませんが、これからも自分のできる範囲で”施し”を行い


わたしの生活がどうもっともっと豊かになっていくのか、試してみようと思います。


ちなみにパートナーは出先から帰る際、その日は40度近い猛暑で、ホームレスの方がぬるそうなお水を飲んでいるのをみて、わざわざスーパーに冷たいお水を買いに行き渡しに行ったら、パーキングの時間を過ぎて駐車料金を払う羽目になったそう。笑

でも俺は後悔はしてないぞ!と誇らしげでした。笑


皆さんも無理してお金を出せ!とは言わないけど、もし機会がったらコーヒーを飲んでつもりになって差し出してみてはいかがでしょうか。

きっと差し出したぶん、受け取るものも増えると思いますよ。

ありがとうございました♡

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