人を惹きつける沖縄の魅力を知りたくて。沖縄の明るいイメージはただの明るさではなかった。【沖縄旅行記2】
実は社員旅行の行き先が
「沖縄」と聞いた時
あんまり乗り気ではありませんでした。
前に沖縄に行った時の記憶が
あまりいいものでなくて…
今までに沖縄には二度行った事があります。
一度は母と旅行へ。
その時は楽しく過ごしました。
問題は二度目です。
職場の研修旅行でした。
学びに積極的な職場で
「平和研修」という名目でした。
沖縄の戦争と平和についての
跡地を巡り、話を聞き…
それ自体はとても大切なことだとは思うんです。
ただ、感受性が強く
しかもその頃はまだコントロールが効かなくて
とても不安定で。
それはデンマークでの留学で
感受性が全開になって帰国した直後でした。
今まで「感じないように」と閉じていた分
開いてしまった感受性は
何もかもを強く感じてしまって
「感じる」ということ自体にもまだ慣れていなくて。
そこに「平和研修」は強烈でした。
ポーランドのアウシュビッツにも
行ったことがあるんだけどね
そういうところへ行かないと
強烈なものを見ないと
感じられない人もいるんだと思うの。
だからそういう史跡って大切に残してる。
何万人という亡くなった人の数字が
よく出るけれど
それは数字が多いから悲劇なんじゃないんだよ。
「ひとりの人が亡くなる」
そのことにも同じだけの悲しみがある。
その「ひとりの人が亡くなる」悲しみが
何万人分あった場所なんだ。
私は「何万人」という
「ひとつのこと」として、感じられない。
「ひとりのこと」を何万回分も感じるの。
そういう戦争の中で起こった悲しみや
その後に続く怒りや憎しみのエネルギーに
沖縄にいる間じゅう触れ続け
へろへろになって帰ったのでした。
(そして休日に行った研修だったので
翌日からまだ連勤という…)
(なんでみんな平気なのか不思議だった…)
だからね、不安だったの。
またあのエネルギーに触れるのか、と。
私の中で
沖縄=悲しみと怒り憎しみの場所
になっていたから。
でも、頭では分かってるんです。
それだけではないと。
沖縄には
たくさんの人がそこへ行きたいと旅行へ行き
たくさんの人が沖縄に住みたいと移住する。
人を惹きつける魅力のある場所でもあると。
だから、今回は
「そうではない沖縄」を見つけたい
たくさんの人を惹きつける
沖縄の良さを感じてみたい
私だけの「裏テーマ」のように
その思いを持って沖縄に向かったのです。
今回の沖縄は社員旅行だったので
ある程度の予定が決まっていました。
(夜にはここ、というくらいの緩さでね)
こどもと一緒ということもあって
おのずからどう過ごすかは決まって。
那覇で前泊した後、車で海沿いを走る。
天気と相談しながら
気ままに気になるところに寄っていく
というスタイル。
まぁ見事に天気に翻弄されるドライブになりました(笑)
雨がね、強いの。
勢いが強いっていうのもあるんだけど
私たちより、雨のほうが強いの。
普段なら雨が降っても傘をさして行くくらいで
予定そのものはあんまり変わらなかったりする。
でも沖縄にいると、雨に翻弄される。
それは「青い海が見たい」という
私たちの希望があるからでもあるけれど
傘をさしても太刀打ちできない雨の勢いに
車の中で待機せざるを得なかったり
ちょっと晴れ間が出てきたら
「来た!今だ!」と
一番近くのビーチへ駆け込んだり
(選んでる余裕ない)
『予定を立てて、そのとおりに動く』
ということが、できないの。
人の思惑より、自然の方が、上にいる。
そういう感じ。
花の色も濃く、緑の色も濃い。
雨は強く、きまぐれにやってくる。
万座毛で見た海の力、波の力は
「自然のエネルギー」そのものだった。
普段過ごしているのは
自然より人工物のほうが多い環境。
自然は「少数派」で、私たち人間が「多数派」。
天気だって、工夫しだいでどうにだってなる。
そんな思いがどこかにあったことに気付きました。
でも、ちがう。本当はちがうんだ。
圧倒的な自然のエネルギーがそこにありました。
沖縄の方言に
「なんくるないさ」ってあるでしょう?
私はそれを
沖縄の人たちの楽観性を表しているんだな、と
理解していました。
でもね、今回沖縄を体験して
確かにそれは「楽観性」かもしれないんだけど
その後ろ側
その言葉が出てくる土台がきっとある。
そう思うようになりました。
大きな自然の力を目の前にして
その自然と共に生きていると
「どうにもならないことがある」。
人がどれだけ頑張っても
太刀打ちできない力が自然にはある。
だからこそ。
私たちにできることは、しっかりとやる。
備えることだったり、強く作る事だったり。
できることは、やったのなら
あとは「なんくるないさー(なんとかなるさ)」と
言うしかないのだ。
「なんくるないさー」は
「人事を尽くして天命を待つ」という意味を
含んでいるのではないだろうか
そう感じました。
青い空、青い海
歌と踊りにおいしい食べもの
とかく明るいイメージの沖縄
その明るさは
「南の国だ!いやなこと忘れて楽しもうぜ!」
というような能天気なものではなくて
嫌なことや困ったことを
目をつぶって見ないようにすることではなくて
大変なこともたくさんある
それでも自然と共に
与えられた恵みをめいっぱい受け取って
明るい方を向いて生きていきます
という沖縄の人たちの
「覚悟」でもあるように感じたのです。
「だからこそ今を楽しもう」という心に惹かれて
真に強い明るさに惹かれて
みんな沖縄に行きたいと思うのではないだろうか、と。
戦争もあった、自然の厳しさもすぐ身近に。
だからこそ
「無事(平和)」を作っていくことの大切さ
「今を楽しめること」の尊さを
学ぶ事ができる沖縄。
いろんな人が訪れて
それぞれにあった形で学んでいく。
私は自然から。
でもどの入り口からだったとしても
みんな同じものを感じて
持ち帰っているのかもしれないな。
今回は「また来たいな」という思いと共に
帰ることができました。
また来るよ、沖縄。
↓沖縄旅行記①はこちら