見出し画像

夏の夜空の向こうに。HSPとスターシードの話。

海のセレンディピティは
半月経った今も続行中で

とりあえず今月いっぱいは続くかな
そして10月のとある予定に
繋がっていくのではないかなと予感しています

わかんないけどね



そちらのほうも書いていきたいのだけれど
その前にひとつ

それは真由美さんがシェアしてくださった
このカードについて

私に必要なメッセージでした
しかと受け取りました


このカードは「ヒライス」というカード

「ヒライス」とは「郷愁の念」
戻ることのできない場所へ
「帰りたい」という思いを抱くこと
ということが書かれていました



このメッセージを読んで
思い当たることがあったんです

「あ、あのことだ」と



それは小学生くらいの頃から
夏になると毎年感じていたことでした

なんで夏かって
私は小さな頃、夜に外に出ることって
ほとんどなかったのですが

おばあちゃんちに行った時の
町内会の花火大会と盆踊りの日だけは
夜に外に出れたんですね



打ち上がる花火を見ながら
盆踊りの櫓の明かりを見ながら

その奥に見える夏の夜空を見上げると
いつも湧いてくる思いがありました



それは「どこにいるのだろう」という思い

家族だっている
友達だっている
たくさんの人に囲まれて暮らしているのに

私の中にはいつでも
「たったひとりでいいから誰かに出会いたい」
という思いがありました



転校生がやってくると聞けば
「その人かな?」と見に行ったり

新しく仲良くなった人を
「もしかしたらこの人かも?」と
しばらく様子を見てみたり

なんでかわからないけれど
そんなことをしてたんです



そしてそれは、裏返してみると

こんなにたくさんの人が周りにいるのに

「誰にもなじめない」
「誰ともしっくりこない」

と感じていたということ



「たったひとりでいいから」ということは
「今はひとりもいない」ということでもあって

この「なじめない感」を
ずっと抱えて生きてきました



「誰もいない」
そう感じているのに

「どこかに誰かがいる」
夏の夜空を見上げるとなぜだかそう感じる



「ヒライス」のメッセージを読んで
その時の感じが蘇ってきました

「あぁ、あれはこのことだったのだな」と


親しみがあってあたたかい感じがするのに
なぜかとてもさみしい感じ


このわけのわからない「なじめない感」

それは「みんななかよく」を良しとする
「友達100人できるかな」を目指す
学校文化の中で
(育ったのがそういう時代だったの)

自分に引目を感じさせるには十分でした



「私が何かおかしいんだ」と
上手くやれない自分がダメなんだと
ずっと思っていました

他にも
「他の人は気にしないのに、気になってしまうこと」
「どうしても我慢できないこと」
「人と同じようにできないこと」
がたくさんあることも困っていました



HSPのことを知った時
それらの引目や困りごとが

「なくさなければいけないこと」ではなく
「そういうこともあるんだよ」と
あっていいものとされていたことに
とても安心して

自分の中にあった
説明しきれないあれやこれやの感覚が
すべてすっきりと「ここにおさまる」と感じ
「だからだったのか」と腑に落ちたことが
思い出されます



でも、実はその前に
同じように「だからだったのか」と
すべての謎が解けたような感覚に
なったことがあるんです

それが「スターシード」でした


HSPの方が人に伝わりやすくて
スターシードのことは置いておくことにしたんだった
スターシードがわからない人は調べてみてね
いっぱい出てくるから


スターシードの話は
とてもスピリチュアルな話で
どこか本の中の話のようで
その時はどう捉えていいかわかりませんでした




その時はまだHSPという概念も知らず
ただただ自分の「おかしさ」に翻弄されていた時で

そんな時に
とある人からスターシードの話を聞いて
「自分の中にあるわけのわからなさ」
「なじめない感」が
すべてここで説明されることと一致したんです

根拠もないし、理解できたわけではないけれど
「これだけ同じならば、そうなのだろう」と
納得せざるを得ないというか



何よりその話が
「しっくりとなじんだ」のです

何にもなじめなかった、私なのに

すっと、理解ができたんです
「そういうことだったのか」と



人は根拠を求めます
それが本当なのかを根拠で示すようにと

私にはそれが本当なのかを
示すことのできる根拠はないけれど

この「しっくりとなじむ」感じが
「それは本当なのだ」と
教えてくれているような気がするのです



私が感じたことは
私にとっての真実である

そう思うのです



いまだ私の中には
「なじめない感」はあるけれど

「どこかにいる誰か」を
恋しく思う気持ちはあるけれど

それは悪いものでも
解決しなければならないものでもなく

なじめないまま
少しのさみしさを胸に置いたまま
生きていっていいのだと

スターシードの話が
教えてくれている気がしています



なじめなさやさみしさまでをも
自分にゆるせるようになった

それだけで
スターシードの話を知ることができて
よかったなと思うのです


いいなと思ったら応援しよう!