Woven Cityでは完全な栄養をどうぞ
トヨタ自動車が発表したWoven Cityが話題である。
そりゃそうだ。もう何十年も夢想されてきたような未来都市が、ついに実現されるかもしれないのだから。
そこでは人と車とITが見事に調和し、織物のように縦の糸と横の糸を構成し繋がっていく、、、
とは僕には思えない。
僕個人の主観という点だけはお断りしておくが、僕はあの街には住めないだろう。
おそらく息がつまるし、窮屈で耐えられなくなると思う。
スマートシティといえば聞こえはいいが、要は管理社会である。何が管理するかというとITだ。
そんなITが管理する世界において重要視されるのは、効率の一点のみなのではないだろうか。
欠損やバグは即座に修正され、意味のないものや隙間(比喩的な意味で)はエラーとしてしか映らないだろう。
昨日、このWoven Cityの発表を受けて、まちづくりの観点からそれについて話し合うというトークイベントに参加したが、そこでパネリストのある人が「あの街に神社や寺、お墓があるとは思えないし、そんな街に色気はない」と言っていて、僕はまさに我が意を得たりと膝を打った。
例えば(本当に例えば)、あの街では誰と誰がいつ会っていたかなどということが、監視カメラやITチップを通して全て記録されていそうだ。
そんな中じゃ好きな子をデートになんて誘えやしないし、浮気なんてしようものなら即座にITポリスが飛んできそうだ。
健康状態はモニタリングを通して全て把握され、不足している栄養素を強化した食事プログラムが自動的に組まれて提供される。
そこには楽しみなどはない。そんなものは主観的なものであり、データに基づく正しさの敵だからだ。
閑話休題。
便利なことはいいことが多いが、過ぎたるはなお及ばざるが如しと先人は言ったではないか。
物事には限度があるのである。
こと食と栄養に関しては、これは最近に始ったことではない。
人間はその文明の中で、自然にある食べ物を開発し続けてきた。
もともとは自然の状態でなっている果実や草を食み、木の実を拾い、根塊を掘り起こした。時には獣を食べることもあっただろう。
そんな原人の時代から進化した人類は火を使うことを発明し、農耕を発明し、保存技術や加工技術を発達させてきた。
そして20世紀。
人はいつからか食事を、栄養を数字で管理するようになった。
毎食何グラムのタンパク質を食べましょう。ビタミンB1が不足しがちだからこれを食べましょう。
その際たるものがサプリメントである。足りない(とされる)栄養素を、その栄養素を濃縮した物質で補完するのである。
だけどそれが正しいことだとは、僕は思わない。
そもそも人間は進化の過程で、濃縮された単一の栄養素をそのような形で摂ることを想定していない。
確かに瞬間的に効果を発揮することはあるかもしれない。
低血糖に陥った時には単糖類を大量に摂ることで回復できるし、妊娠初期に必要とされる葉酸を補うことは必要とも言えるだろう。
だけどそれが恒常的になってしまっては、それは自然の道=人間の道から外れることではないだろうか。
最近では、完全栄養食というものが出始めている。一食で摂るべき栄養素をバランスよく完全に配合したというパッケージ食品だ。
パスタやパンなどの形態をとったこれらの食品を生んだのはテクノロジーだ。
こう言っては何だが、これは本当につまらないと僕は思う。
忙しいけど栄養の管理はしたい。はいそこでこの食品。
さっと食べられて全ての栄養素を満たすことのできるまさに理想の食事!
ごもっともである。
そこには隙間も無駄もない。あるのは効率と成果のみ。
だけど人間は機械ではない。人間は人を慈しむ心や助け合う情け、どうしても埋められない欠点などに彩られた不完全な生き物なのだ。
食事を数字で管理するということに反論していると、全時代的で頭の固いやつだと思われそうだが、まあ実際そういう点もあるだろう。
それでも僕は食事を数字で管理するということに、基本的には反対である。
だってそれは、時間と手間と愛情を込めて、一年かけて畑で育てた野菜を持ってきてくれたファーマーに、「その野菜にはビタミン何g含まれてる?」って聞くことと同じではないか。
そんな世の中になってほしくない。
僕たちが食べるのは、物じゃなくて想いなんだ。そういう世の中になってほしいのだ。
生き延びるために培ってきた知恵や技術があるならば、行きすぎることを防止する方向にそのエネルギーを使ってほしい。
Woven Cityがディズニーランドであってくれることを切に願う。