健康食品は本当に人を健康にするのか?

「健康食品は本当に人を健康にするのか」というテーマの討論番組を見た。
Newspicksというメディアのフリーコンテンツなので興味のある方は是非一度見てみていただきたい。
わずか1時間で語り尽くせることではないし、ひとつひとつのトピックを深掘できていない感があったが、
とても興味深い内容で、自分も思いっきり当事者であるので、これについて自分でも考えてみたいと思う。

【番組内で、「健康食品は人を幸せにするのか?」という視点と「健康食品は人を健康にするのか」という視点が入り混じっていたけど、ここでは後者の方を考えます。
前者の視点ほか、「健康って宗教だよね」、「健康食品とオーガニック食品はイコールではない」というトピックが出ていたけど、それぞれそれだけで一つのコンテンツなのでまた別にして書きたいと思います。】

そもそも、この設問からして健康食品に懐疑的、ないしはアンチなムードを存分にまとっているではないか。
健康的で自然な食品を販売している僕にとって、これは挑戦状のようなものでもある。
この設問には、健康食品なんて食べても意味ないでしょという態度が含まれいている。健康食品という存在自体を疑っているわけだ。
この視点こそが大切だと思う。
健康食品や自然食品、オーガニックフードなどを語るときによくあるのは、正論を盾に反論を許さない姿勢や上から目線の語り口で教訓的な話をする態度だ。
だけどそれは、人を動かすと言う目的を達成することにおいて、完全に間違ったアプローチでしょう。
人はみんな他人に意見を押し付けられたくないし、自分のことは自分で決める(と思っている)。
そのような態度を取られた場合、普通の人は反発を覚えたり少なくとも良い気持ちはしないものだ。
それを避けるためにも、まずは自分自身の中にあらかじめ一定の対立意見を含んでおくことは必須なのだと思う。
なにより、「自分は間違っているかもしれないということを考えることができることからしか、知性というものは生まれない」のである。
これは僕の尊敬する内田樹先生の受け売りです。

さて、世の中には健康やヘルシーを謳うたくさんの食品であふれている。
だけど、それが健康食品だというのは誰が決めるのだろうか?
例えば食品や栄養学に有識な人にとって、世の中にある全食品のうち真に健康食品(もしくは健康的)と呼べるものは20%ほどだとしよう。
しかしそれらの知識を持たない一般の人にとって、市場の全食品の50%くらいのものが健康食品として認知されるとしたら、それらを同じものとして議論するには前提条件が違いすぎるでしょう。
だからこの「健康食品は本当に人を健康にするのか?」という問いは、健康食品それ自体の健康性ではなく、健康食品(と呼ばれるもの)を食べるという行動に意味なんてあるの?ということを問うていることになる。

そこで、例えば自分の食べるものについて全く受動的ないしは無意識的に過ごしてみるとしよう。
何も考えずに、ただ便利だからとか、ただ美味しいから、ただ近くに売っていたからという基準で食を選んだとしたら、間違いなく健康を害するような食生活になるでしょう。
おそらく内臓には脂肪がこびりつき、肝臓には多大な負担がかかり、代謝は乱れ疲れが取れない。
100年前ならそんなことはなかったはず。同じ基準で過ごしていても、食べるものが原因で体に不調をきたすようなことはなかったのではないだろうか。
もちろん100年前の食生活にも課題は山積みだったはず。そもそも食料が安定的にあったかどうかも怪しいし、栄養失調の人もいただろう。
現代と違うのは、過去の栄養問題はほとんどが「不足」に起因する物であったのに対し、現代ではそれが「過剰」によりもたらされているという点だ。
よく、「現代の食品なんて栄養が溢れてるんだからそれを食べてたら健康に決まってるだろ」ということを言う人がいるが、それは全く逆なのです。
現代では、特定の栄養の取り過ぎ(偏り)こそが多くの問題を引き起こしているのです。
つまり、今の世の中で健康を目指そうとするのであれば、「何を摂るか」ではなく、「何を取り除くか」というアプローチが必要になるのだ。

例えばわかりやすい例として特定保健用食品、いわゆるトクホのことを考えてみよう。
今やそこら中にあふれているが、食や健康に一定以上のリテラシーを持たない人に限って、このトクホの食品を「これさえ摂っておけば全て帳消し、オールOK的な魔法のアイテム」のような扱いをすることが多いが、実際はそんなわけがないでしょう。
暴飲暴食をした帰り道に「脂肪の吸収を抑える」とデカデカと書かれたお茶を飲んで、さっきの行為が帳消しになってハイ健康!なんてなるわけがない。
そんなの、好き勝手浮気して相手のことを傷つけた後に「ごめん、俺が悪かったわ。一筆書くから許してくれよな」って言うのと同じだよ。
結果的に、トクホ商品を摂取することが、支離滅裂な食生活への罪滅ぼしくらいの気持ちで使っているだけ、つまり破綻した食生活の精神的な逃げ道としてしか機能していないでしょう。
健康には徳政令カードは使えないのである。
本当に健康になりたいのなら、トクホのマークのある食品を摂ることではなく、トクホを摂らなくても良い生活をすることが必要でしょう。
この観点から捉えると、健康食品に大して意味はないし、それを摂取することで健康に寄与するとも思えない。

そもそも健康食品って、よく考えてみると恐ろしいカテゴライズだと思いませんか。だって、じゃあ健康食品というカテゴリに属さない食品は健康的ではないという区別なわけですよ。
でもそもそも健康って誰が決めるの?ある人にとっては健康的でも、他の人にとっては健康的でないというものもあるんじゃないの?
だとすれば一つの食品が健康的かどうかを判断する最終的な砦は自分自身しかいないし、それを判断するための基準や知性を各個人が持つことが、目の前の物が健康食品かどうかを決める前提になるわけです。
そう考えると、健康とは、ある特定の物事を論理的かつ倫理的に自分自身で考えられることと言えるのではないでしょうか。
ゆえに、健康食品とは、各個人の頭の中に個別的にしか存在できないものだと、僕は思うのです。
ただし、この場合その物が真に健康的であるかどうかはまったく別の問題です。

そんなわけで、健康食品は本当に人を健康にするのか?
この設問に一発で回答できる明快な解はありません。
しかしこのことについて自分の頭を働かせ、目の前の食べ物についてしっかりと吟味することは大変健康的な行為なのではないでしょうか。

Newspicks動画:

健康食品は人を幸せにするのか? #NewsPicks #TheUPDATE https://newspicks.com/movie-series/10?movieId=301

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