歯磨きの習慣についての考察
習慣というのは恐ろしいものです。
このことを考えるきっかけになったある出来事について、僕はそれを行なっている人を今までに三人も目撃した事があるのだけど、どうしてもそれが一般的な行動だとは思えなくて、こんなことまで考える羽目になったのだ。
それは以前僕が車で通勤しているときによく見かけた人のこと。
そのおじさんとは、朝の通勤時間帯にお互いに車で時々すれ違う間柄だった。
片側一車線でよく混むその道で、そのおじさんはなんと車を運転しながら歯磨きをしているのだ!
車を運転しながら、だよ。
初めて見たときは僕は驚きというより狼狽えてしまった。
どこにペッてするの?
まさか飲み込むの?
っていうか、危なくない?
これって普通のことなのか?
もはや混乱だ。
そしてなんと、それがきっかけになったのかどうかはわからないが、僕はそれから他に二人もの人がこの行為に耽るのを目撃するのである。
今まで36年生きてきて、運転中に歯磨きをする人なんて一人も知らないし、聞いたこともなかった。
だが僕はこの歳にして、その行為を日常的に行なっているであろう人を、わずか一年の間に三人も知ることになったのだ。
彼らにとって、これは習慣なのだ。だけど、こんなにも多くの人が行なっているこの行為がとても一般的なものだとも思えない。
そのことをきっかけに習慣について考えてみると、その要素は2つあった。
「意識/無意識」と「パブリック/パーソナル」である。
まずはじめに「意識」だけど、習慣にも自分で意識して行なっていることと、意識していないことがある。
意識して行なっていることは、概ね「良い」ことに分類されるだろう。意図的に悪いことを繰り返し行なうことなんて、そうそうないはずから。
例えば僕が毎朝5時に起きてペン習字の練習をしていることは、意識して行う良い習慣である。
意識していない習慣はつまり、クセということになると思う。それは良いこともあれば悪いこともある。
例えば僕がパソコンで仕事をしていたはずなのに知らず知らずのうちにヨーロッパサッカーのダイジェスト動画に耽溺してしまっているのは、一種の悪いクセである。
それこそ習慣など例をあげ始めたらきりがない。日常の行動の95%以上は習慣で成り立っているという研究結果もあるくらいだ。全く初めてやることなど、そうそうあるものでもない。そして一旦作られた習慣は、それを繰り返すうちにどんどん強化され、いつしかそれを意識せずにも行なっているオートパイロットモードに突入するのだろう。
習慣を考えるもう一つの要素は「パブリック/パーソナル」だ。これは、人間の行動は意識の有無にかかわらず、それが発現する場所と状況により、他人の目に触れる【パブリック】なものと、触れないもの【パーソナル】なものがあるということだ。
パーソナルな習慣とは、せっかく作ってもらった料理に、隙を見て内密に味の素やマヨネーズを投入する哀れな行為であったり、外出の予定のない休日は風呂に入らないというような背徳的な行為をいう。
それに対して、一歩家を出た瞬間に、自分以外の人の前で繰り出す行動は全てパブリックなものになるだろう。
パブリックな行為というのは、マナーやルールに代表されるように、個々人が他人と折り合いをつけるための自己統制である。
そして悲劇というのは、本来パーソナルであるべき行為がパブリックな場所で披露された時に起こるのだ。
例えば人前で鼻毛を抜くなどという行為はこれに分類されるだろう。
それは「そんなことは家でやりなさい」とお叱りを受けるようなことである。
つまるところ、それは他人の目には不快に映る事なのだろう。
車での歯磨きも、本来パーソナルであるべきものをパブリックに持ち出してしまっている好例だろう。
車というところはパーソナルな空間でもあるけど、外からほぼ丸見えなわけだからその実、パブリックでもあるという特殊な場所なのだ。
いくら暑いからって夏場に素っ裸で車を運転していいわけがないのはその証拠だ。
そもそも歯磨きというのは、本来とてもパーソナルなことだと僕は思うのだ。
みんな毎日歯磨きぐらいはするだろうけど、それは家でやるか人の目につかない場所でやることなのだ。
習慣は習慣でも、それは1日に水を3リットル飲むようにしているとか、目的の駅の一つ前で降りて歩くようにしているとか、そういうものとは全く違うことなのだよ。
そして歯磨きについていうなら、職場の昼休みに給湯室で歯磨きをする人間を僕は許すことができない。
それは歯磨きがパブリックかパーソナルかというような倫理的観点などではなく、ひとえに個人的な好き嫌いであり、その原因は匂いにある。
さて、職場で昼休みにわざわざ歯磨きをするような几帳面な人間の使う歯磨き粉ときたら、だいたいにおいて爽やかでツーンと涙の出るくらいミントが効いたものと決まっているのだ。
そしてその匂いは、当の本人が歯磨きを終えてさっぱりした気持ちで給湯室を去った後も、しつこくその空間に居残るのである。
悪いことに僕はそのミントのようなスーッとする香りが好きではない。いや、歯磨き粉のミントの香りは断固として嫌いである。
しかもそこは給湯室なのだ。つまり簡単な炊事が行われる場所だ。
これからスープを作るための湯を注ぎに行ったその炊事場で、歯磨き粉のスーッとする匂いを嗅がされる身になってくれたまえ、食前に。
完全に興冷めだよ。食欲が一気に引いていくというものではないか。
こういう輩は男女共用のトイレで、使用後の便座を上げたまま去っていく人種と同類である(男に限った例えである)。
そういうものに、自分はなりたくないものだ。