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はじめの法隆寺①
最初にお話ししておくと、今回は植物は見られていないので、植物の記事ではないですよ。
なぜなら、娘の自由研究で行ったから
娘の視点で動き、娘が疲れたらおしまいって感じで
私が見たかったものや行きたかったものまで
行けませんでした〜
でも、また行く場所。
なぜならこちらにも大和橘があるからね。
じゃあなぜ記事に…というと
私が日本の植物について現地で見る景色の
はじまりが
法隆寺にはあった気がしたから。
日本人のモノを大切にするココロ
伝統を守ろうとする技術
こんなにも長い間
大切に守られて来た
日本人の温かく
ちょっとクスリと笑っちゃうような
可愛らしい面とか
はるか飛鳥の時代から
日本人ってこうよね!って
なんだかほっこりして
植物について語る前に
記しておこうと思いました。
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平成5年 日本で最初に認定された世界遺産の1つ。
法隆寺は、みなさんご存知の通り
聖徳太子の時代
飛鳥時代の木造建築物
この木造というのがポイント。
腐りやすい木造の建築物なのに
1400年も続いた奇跡が
世界遺産として認められた
でもね
法隆寺は全部飛鳥の時代の物だけじゃない。
そこに日本人を見ることが出来る。
まず、法隆寺の場所。
少し坂を上がった場所にある。
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聖徳太子は、飛鳥の時代に
この場所なら水害に遭わず
長く居られると目をつけた。
法隆寺は元々は別の場所にあったのです
(日本書紀に記載あり、最初の法隆寺は消失)
聖徳太子のお父さまである用明天皇が
病気を患い
病気が治りますようにと薬師像を作ったけど
完成を前に崩御されて
聖徳太子が完成させ
のち聖徳太子が亡くなった時に
冥福のために作られた救世観音菩薩立像として
一緒に金堂にいらっしゃいます。
この場所なら大丈夫と
奈良を流れる大和川の水害からも
被害に遭いにくいだろうと
この高台を選んだ賢さ…
さすがですね!
参道を抜けると
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南大門の足元に
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151219691/picture_pc_bc7596651d35f157941d87b245bceee0.jpg?width=1200)
昔水害があって
その時にタイが打ち上げられて…
みたいな話しもあるようですが
昔の僧侶の方たちは、基本裸足。
その足の汚れを落とすマット的な役割だったのかな?
脚を身を綺麗にしてから
本堂に向かう
そんな場所。
ここから本堂へ入って行くのだけど
それは次回にしましょう。
…なんと!!笑
さてまずは
塀沿いに外から歩いてみましょう。
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ぽろぽろ壊れやすい土壁の塀
長い年月の中
その時代、その時代の職人さんが
大切に塗り直して
今も美しく存在しているのですが
ある場所は
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ここは、あえて残してある
飛鳥の瓦などを見ることができる場所
瓦の色が違い
砂利とか少し大きめの石があったり
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飛鳥の時代の瓦ではないかという姿を
今もそこに見ることができます。
![](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151301275/picture_pc_8c633851938d386a3d52814e1b6c0686.jpg?width=1200)
つつつーと歩いた先に西門がある。
実は西門は江戸時代初期のもので
文化財にはなっていない。
このお隣は西里のまち。
代々法隆寺の修復をされて来た大工さんや
法隆寺を支えてきた方たちが住むまち。
そのまちの有名人
宮大工 中井正清さん。
様々なお城や文化財を建て
最初は豊臣側で大坂城にも精通していたけど
徳川家にヘッドハンティングされて
豊臣側のお城の弱点をつき
徳川家の勝利に貢献した。
その恨みで
中井家のある西里のまちを焼かれて
その延長で
この西門が燃えてしまい
西門は
江戸の時代に再建されました。
西里のまちは
今も江戸の町並みや
なんと。ご自宅のお庭に古墳があるお宅もある。
個人のお宅なので写真はないけど
西門から藤ノ木古墳に向けて歩く小道は
江戸の時代の道のまま。
そこに立つ大きな木の下には
古墳があるそうです。
そんな町並みを抜けてたどり着くのが
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藤ノ木古墳といえば
装飾品が有名。
…近くに資料館があるんだけど
娘の疲れピークで行けず…!!!
また行かねばの場所。
藤ノ木古墳のスゴイところは
盗掘されやすい横穴式なのに
昭和の時代までそのまんま残されていた!
だってこんなんよ。
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古墳の1箇所から中に簡単に入れちゃう!
ここからのぞくと…
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石室が見えるよ。
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中に葬られているのが誰なのかは
はっきりしない様ですが
6世紀後半頃の貴重な品々が
昭和60年に発掘され
それまでの教科書もガラッと変えるような出来事。
今も様々な説が唱えられているようです。
私はそういうのめちゃくちゃ好きだから
法隆寺と何か関係があったのかしらと
気になっちゃうトコロですね!
斑鳩町
いかるがちょうと読むこのまちには
法隆寺だけじゃない
気になるコトがたくさんあって
また行かなければならないエリア。
さて、長くなってしまったから
法隆寺についてはまた次の記事でね!