見出し画像

はじめの法隆寺③

外壁

回廊

と続き
いよいよ五重塔と金堂です。

日本最古の五重塔

五重塔には
東西南北 各1箇所階段があって

登って中を覗くと
何やらすごいことになっている。

中は鍾乳洞のような雰囲気。
粘土で造られた舞台が広がっている。

経典を立体化させ
お釈迦さまにまつわるエピソードを
反時計回りで
物語で見ることができる

お寺は経典を立体化させる場所。
大般涅槃経だいはつねはんきょうに
描かれた世界を

ここで見ることができる。

残念だけど撮影禁止だから
写真はない

後ろに人が並んでなかったら
何時間も見ていられた。

北側は特に
お釈迦さまが亡くなった瞬間が描かれていて

眠るお釈迦さまの
向こうに仏様
手前に
脈診をする医師と
泣き叫ぶお弟子さんたち

仏教では
魂は輪廻転生する。

どの世界で生きていても
辛いことがある = 一切皆空

魂は
輪廻の中でぐるぐるまわっていて
この苦悩から抜け出すことができない

でも悟りを開き
この輪廻から解脱することが出来れば
あらゆる苦悩から解放されることになる

輪廻から解脱すると
仏様の世界に行き

身も心も
この世に戻ることはなくなる

お釈迦さまが悟りを開かれたから
もう会うことができなくなった

だからみんな
とても泣いている。

でも奥は仏様たちだから
少し微笑んでいる

ひとりひとりの描写が
素晴らしすぎて

粘土でこんなの作れるの??
完成したのが711年

この時代でも
ヒトはどこにいても苦悩があるって
そんな言葉に
なるほどなぁ…って思ってたのね。

語り継ぐ
伝承する

まさに
聖徳太子が
仏教で日本をまとめ
創り上げようとした

それを受け入れて来た
日本人の姿を見ることもできる

さて。右側がメイン。金堂。

金堂

金堂は本堂みたいなもの。
本堂は中に拝む場所があるけれど

金堂は中には入れない。
外から拝む。だから手前に拝む場所がある。

そこが手前に見える石だったのかな?

昔の方はここから拝んだ

金堂の中にはいくつもの仏像があります
こちらも撮影は禁止。

入って最初に見られるのが
聖徳太子が作らせた お父さまのための薬師如来像

次に真ん中にいるのが
聖徳太子ご本人。

聖徳太子没後完成した 釈迦三尊像

そして最後にいらっしゃるのが
聖徳太子のお母さま

こちらは歴史の途中で盗難にあい
鎌倉時代に作り直されたもの。

お父さまと聖徳太子さんは
飛鳥の時代の物で国宝

お母さまは作り直されているから
重要文化財 国宝ではない

その時代時代で
仏像をつくる特徴があって

飛鳥の時代の仏像は
聖徳太子さん像のような
アーモンド型の目 アーモンドアイをしているそう。

そしてこの金堂の壁画に
絶妙にかすれた
歴史を感じる!

スッゴ。
教科書で見たことある絵が描かれていて

すごいねー!って娘に話しをしたんだけど

なんとこれは昭和の頃に修復されたもの。

電気ストーブの火災で燃えてしまって
修復するときに
飛鳥の宮大工道具を作るところから始めて

何年経っても
飛鳥から変わらないものとして見えるように

腕の良い宮大工さんが
飛鳥の時代の鉄を求め
正倉院の資料を調べ上げ

元に戻した姿
スッゴ。

そしてこの金堂の廊下から
大和橘が見える。

法隆寺の歴史を記した
法隆寺伽藍縁起并流記資財帳にも残る

ある行事には橘を使うこと

人々が
聖徳太子を尊敬し
仏教を信じ
大切に守ろうとして来た姿

1400年続くこの場所は
今も昔も変わらない

植物の知識もある

大和橘と田道間守さんのお話は
別の回に書いたけど

先日、所属している
ジャパンハーブソサエティー
東京支部で講演する機会を頂き
お話しさせていただいた時のこと。

戦後教育で私たちが忘れてしまった歌を
歌える先生がいらっしゃって

田道間守って、あの田道間守のうたの人かしら?って

YouTubeで検索すると出てくるのだけど
歌ってくださった先生に感動して

ほんとに日本では歌う教育をしてたんだ!と
感じることがありました。

西洋ハーブを学んだ先に
日本のハーブについて調べ始めて

法隆寺に来て

日本のハーブが絶えないように
守っている
全国のみなさんの顔が浮かび

法隆寺が守られて来たように

たくさんの地域で大切に守ろうとしている人たちがいる

ひとつのものを大切に使う
日本人って温かいなぁ…。

戦後、欧米化してきたんだなー。
実感した。

でも私は、クリスマスもお正月も楽しみ♡笑

楽しいことを自分たちらしく
アレンジしながら取り入れるのも
良いところだよね!

良いものを取り入れて
自分たちに使いやすくアレンジする

西洋ハーブも好きだし
日本の植物もおもしろい!

法隆寺は自分が日本人であることを
思い出させてくれる

そんな場所となりました。

そうそう。法隆寺のど真ん中に

よく見てね。

こんなのが建っている

よく見ると徳川家の紋が入っている

京都の八百屋の娘さんだったおたまちゃんが
春日局にみそめられて
大奥に入り
徳川綱吉のお母さんになった

法隆寺が財政難になって
修復が必要なときに
徳川家がお金を出した

だから記念にここに記念碑たてちゃった

そして
金堂もなんか寂しいわねぇ…って

龍や獅子がいる

龍や獅子を付け加えちゃって

五重塔は

徳川家を探せっ!

徳川家の家紋入りとなった。笑

そんなおたまちゃんが法隆寺に来る!
八百屋の娘さんだった子が

徳川家の行列で
すんごい御輿に乗って帰って来た!

ってことで
これを
玉の輿というようになったそうです。

法隆寺
おもしろいでしょ!

いいなと思ったら応援しよう!