看護師としての母の生き様
一つ前の記事で母の事を色々思い出したので少し書いておこうと思います。
私の母は看護師でしたが、決して楽な人生ではなかったと思います。
母は准看護師の資格を取り、昼間は働きながら夜学校に通い、正看護師になりました。
自分の力で頑張って資格を取り、働いてきた母ですが、
准看護師の時に、正看護師じゃないからとか、正看護師になってからも、専門学校卒業で大学を出ていないからと、嫌な思いをしたことがあったのかも知れません。
私が看護師になりたいと言った時には、
「あなたは大学か短大に行きなさい。」と言いました。
そして学校もいくつも受験させてくれました。
第一志望は公立の短大だったけど、推薦と一般の両方で落ちてしまい😅
私立の大学と私立の短大に受かった私に、母は大学を勧めました。
当時新設校だった私の大学は、看護師と保健師を両方取るのを前提にカリキュラムが組まれていました。
さらに資格が取りたい人は、それに加えて助産師か養護教諭を取る事ができました。
母は「取れる資格は全部取りなさい。必ず役に立つから。」と言い、私は看護師、保健師、養護教諭の資格を取る事ができました。
学生時代は他の人より実習や講義も多くて大変だなと思いましたが、今となっては良かったなと思います。
母は苦労して看護師になり、
自分の娘には苦労させないよう一生懸命働いて看護師にさせてくれ、
その後も多くの患者さんのために働き
やっと自分のために生きようと思って早期退職した矢先に病気になり、
その闘病生活の中でまた沢山の大切な事を身をもって教えてくれ、
58歳で天国へ帰って行きました。
お葬式では
「早すぎるよね」
「可哀想にね」
という言葉が沢山聞かれました。
確かに一般的に考えたら58歳で亡くなるのは早すぎると思うかも知れません。
でも、人生は長ければ幸せかと言われたらそうではないと思うのです。
母のお通夜やお葬式には家に入りきらない程の沢山の人が訪れ、お葬式に来れなかった人がその後も何人も来られました。
その方達から聞く母の話はみんな温かいものでした。
病院で看護師としてどんな風に母が働いていたのかは分かりません。
少し気の強いところもある母でした。
でも、きっと愛されていたんだろうなと思います。
母はよく「私は長生きしないから、何かあったら大事な印鑑は○○にあるし、困ったらおばさん(母の姉)を本当のお母さんだと思って相談するんだよ。」
と言っていました。
おばさんにも同じ事を言っていたようです。
母の生まれる前の人生設計は元々こうなっていて、これで良かったんだと思います。
だから、早すぎたわけでも可哀想でもない。
母は最高の人生を全うしたのだと思います。
若い頃から亡くなるまで。
看護を学び
看護師として働き
最後は自分が患者となり、現代の看護の在り方を問いながら天国へ帰った母。
入院中は、クレーマーか?と思うような言動も沢山聞かれ、看護師で裏事情も分かっているのに何でそんな事ばかり言うんだろう。とその時は思いました。
母の所に毎日通ってサポートする私に「あなたよくそれで看護師やってるね!!」と怒られた事もありました。
当時は看護師としてやってきた事を全否定されたような気持ちになりショックでした。
脳腫瘍だったので、病気のせいだ。と思ってその時は母の言う事を受け流し、なだめていました。
でも今振り返ると、
母は病気のせいなんかではなく、看護をもっと良くしたくて意見を言っていたんだ。
と気付いたんです。
「私は嫌われ者になってもいい。言うべき事は言わないと。」
と言っていた事を思い出したから。
意見を言われるのはあまり気持ちのいいものではありませんが、ただのクレームや患者さんのわがままではなく、より良い看護をしていくためのヒントが詰まっているかも知れないのだと気付いた瞬間でした。
母は最後まで素敵な看護師でした。
看護に生きた人でした。
私は親のお金で大学まで出してもらい、それなりに苦労はして働きましたが、母とは比べ物になりません。
なぜそんな母の元に生まれ、自分も看護師を志し、今こうしてブログを書いているのか。
私には母とは違う役割があるのかも知れません。
母には母にしかできない看護があった。
私には私にしかできない看護がある。
看護を学んだ人全てが、それぞれに果たす役割がある。
きっとそうなのだと思います。
私は母のようにはなれないけど。
学ばせてもらった事を大切にしながら、私らしく看護をやっていけたらいいなと思います。
最後までお読みいただきありがとうございました😌
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?