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リベンジとびしま!!!
とびしまウルトラマラニック完走リベンジの独白です。
5000字越えているので、ご興味のある方だけ
ご笑納ください!
サプライズムービー届く
広島駅に着き、
お好み焼きを食べようと思った時
息子からLINEが入りました。
スマートウォッチの画面に流れるテキストには
『何か力になれないかと思って、ムービーを作りました。』
とありました。
驚きました。
そんなに応援されているとは
思ってもいなかった。
そして反省しました。
ひょっとして、
自分が1番自分を応援していないんじゃなかろうか…
息子からのテキスト読んだだけで
グッときてしまって、
すぐには動画を見られず、
しばらく
お好み焼きも飲み込めませんでした。
動画に込められた力強いメッセージ。
わたしよりわたしを信じて、
わたしより完走を願ってくれてる。
そんな気がして
感情を揺さぶられました。
こんなにも
わたしの挑戦を応援して祈ってくれる家族に
応えられないでどうする!!!
わたしがわたしを信じてやらないでどうする!
息子の思いに応えたい!!!
強く強く感じました。
そして、この感情は、レース中
ずっとわたしを支えてくれることになります。
と同時に、
想いを寄せてくれてるたくさんの人たちを
思い浮かべました。
自分のことみくびってるのはいつも自分。
まざまざと思い知らされた気がしました。
完走しなきゃ!
走らなきゃ!
みんなの応援に応えなきゃ!!!
絶対に歩かない!
今年こそ完走するんだ!!!
もちろん、当然
完走するつもりで来たのですが、
在来線に揺られながら動画を見て
泣きながら改めて誓いました。
そして、
自分が1番自分を信頼しよう。
と、自分に言い聞かせました。
わたしは完走するのだ。と。
挑戦の経緯
ウルトラ走ってみよう!
という、無謀な挑戦を思いついたのは
2022年の夏だったでしょうか。
当初の目標レースは
2023年10月の
四万十川ウルトラマラソンでしたが、
最終的には、
2023年12月、制限時間16時間の
とびしまウルトラマラニックに照準を定めました。
練習として、
2022年11月の100キロウォークから始まり、
月一度のLSDを重ねました。
シーズン当初は
2023年の9月の稚内マラソン、
10月の四万十川60キロマラソンを経験し、
自身最長距離を伸ばし、
準備は順調に進んでいるかに見えました。
そして、2023年12月、
満を持して挑んだ
とびしまウルトラマラニックは、
77キロでDNF(DO NOT FINISH)でした。
100キロは長かった。
内臓由来の不調が顕著に出たのは事実。
序盤から食べ物が喉を通らず、
お腹の調子も最悪でした。
でも、心のどこかで、
また諦めた、
また逃げた、
ような気がしてたのも事実でした。
そんなことは、
恥ずかしくて言えなかったけれども…
ひとりでももう一度出る!
そして考えました。
ひとりでもここに来られるだろうか?
いや、来られるかどうかじゃない。
くればいい。
100キロ走れる人になりたいんでしょ?
完走したいんでしょ?
自分に問いました。
だったら、もう一年、
ちゃんと頑張ろう。
わたしは腹を括りました。
「来年もう一度出る。ひとりでもここに来る」
そう宣言したわたしに、
仲間がふたりも賛同してくれました。
どんなに心強かったことか。
ふたりには、
完走して恩返しをしなくっちゃです。
レース序盤
4:30すぎ。
外に出ると思ったほど寒くなく、
天気予報に反して気温は高めに感じました。
スタートをすると、
身体の調子の良さを感じました。
直前の調整がうまくいったと思えて、
嬉しくて、
とても気持ちよく走り出しました。
日の出前。
暗闇にランナーのヘッドライトが連なります。
波の音は聞こえても、海は見えません。
最初のエイド(6キロ)で上着を脱ぎました。
身体がしっかりあったまっています。
13キロのエイドではトイレを済ませました。
予定よりは少し時間を食っていますが、
気にせず淡々と進みます。
18キロ。お味噌汁。暖かくて美味しい。
ありがたいエイド食。
おにぎりはTO GO。持って走ります。
今はまだ、朝ごはんの分で足りてます。
26キロのエイドではじめて座って休憩。
干し肉おでんのお出汁と大根をいただき、
さっきのおにぎりを食べます。
おいしい。それに、ちゃんと食べられる。
走りながら食べる練習をした成果です。
給食はうまくいくような気がして
自信を持ちました。
そして立ち上がると、
右股関節に痛みが走りました。
やばい。
座らなきゃ良かったのか⁈
レース中盤
痛む足を庇いながら、
苦手意識のある安芸灘大橋に向かいます。
「股関節に痛みが出てるから、先に行ってね」
仲間とはここで別れました。
痛む脚は不安でしたが、進みます。
大きな橋、長い上り。
このレース、トレイルじゃないのに
獲得標高ありすぎなんです。
しかも、7つある橋のうち、
この橋が1番きつく感じる橋でした。
でも、そういえば、去年の反省から、
「上り坂以外は歩かない」と決めていました。
だから逆に、「上りは歩けば良い」のです。
大股で歩きながら、痛む足に話しかけます。
「右ちゃん(右足のこと)、がんばろう!一緒に行こう!!。左さん(左足のこと)、いつも支えてくれてありがとう!今日も頼りにしてるよ!!
わたしの身体も、いつも頑張ってくれてありがとうね。みんなで一緒にフィニッシュしよう!!!」
もう、神頼みならぬ、からだのみ。
自分に話しかけながら前へ前へ。
あれから1年
あの日の不調を克服できる身体づくりに
いろんな手立てを講じて1年。
まず手をつけたのは胃腸のリセットでした。
毎日飲んでいたビールを、
週末だけに限定。
酒量は1/3になりました。
胃カメラも大腸カメラも受け、
異常がないことを確認。
食生活も、よりバランス良い献立で、
胃腸に優しい生活になっていきました。
ビール酵母も飲んだりしてね、
胃腸の調整に気を配りました。
夏になり、
走ると右股関節の痛みが顕著になったので、
意を決して受診。
股関節唇損傷の診断を受けました。
主治医(同年代トライアスリート)の勧めもあり、
身体の老化に伴って
徐々に悪化してしまうから、
走るにしても、加齢のためにも、
トレーニングで強化することを決意。
パーソナルトレーニングに投資を開始しました。
自分の力の無さに愕然としながらも、
トレーナーさん達と目標をシェアして
コツコツと身体づくりに励みました。
3ヶ月目に入ると、
明らかな変化を実感するようになり、
11月のフルマラソンでは確信に変わりました。
使えてなかった筋肉の回路が開いてる。
いい兆候だと思いました。
レース後半へ
53キロのエイドは第一関門です。
13:30の制限時刻に、到着したのは13:00。
ドロップバックから必要なものを取り出し、
楽しみにしていた鯛のあら汁を
立ち食いでいただいて、早々に出発。
だんだん、時間的なリミットが迫ってきます。
脚は時々痛むけど、大丈夫。
わたしの脚は100キロにきっと耐えてくれる。
痛みのことを考えるのは無駄だから、
制限時間のことだけ考えよう。
苦手な算数も、
気を紛らわせる上では都合よく、
次のエイドまでの距離と時間を
計算し続けました。
62キロのエイドを過ぎると急勾配に突入です。
疲労が蓄積している足への追い打ち。
焦らず歩きます。
急な下りでは足に力が入らなくなりましたが、
「気のせい気のせい!いけるいける!」
足に話しかけながら、騙し騙し進みます。
そう!「脳に騙されちゃダメ😉」
そして、道が平坦になったら、
迷わず走り始めます。
走り続ければフィニッシュできるはず!!
70キロ。
去年歩き始めてしまったエイドに到着。
そろそろ暮れかけてきたので上着を着装。
食べ物(お好み焼き)はいただかず、
先を急ぎます。
77キロのエイドに17:00までには着きたい。
ここから先が勝負です。
去年トボトボと歩いたコースを
今年はひたすらに走っています。
去年とは陽の高さが違う。
仲間とも明るいうちにすれ違い
「ゴールで待つ!」
と力強く言ってもらって。
完走するんだ。
もう一度自分に言い聞かせました。
レース終盤
77キロのエイドに着く直前に
17:00のチャイム。
急がなきゃ。
こんな坂道あったかな…
つくづくいやらしい(笑)コースです。
エイドに着くと
『中で食べて行ってくださいねー(^^)』
と言ってくださるスタッフさんに、
「関門まで何キロで何時何分までですか?」
と聞く。
あと7キロ、18:30まで。
つまり、
1キロに10分以上かけると、
そのあとがキツくなります。
「食べなくて行ってもいいですか?」
『それはいいですけど、美味しいですよ(^^)』
「ごめんなさい、食べてたら間に合わない!」
『あ、そっか、じゃあ、ライト点灯チェックだけはお願いします』
もう日は暮れかけてます。
ここから先は未知の世界。
暗闇をひとり、走ることになります。
77キロを出たのが17:10頃だったでしょうか。
家族にLINEを送ります。
「77キロコンプ、84キロに向かいます」
去年の自分は越せました。
暗いコースをロストしないように注意して、
到着した84キロの関門、
制限時刻18:30に対して18:15。
上出来。
お茶漬けもちょっぴりいただいて
出発したのは18:23。
いそげ!
次のエイドは4キロ先。
距離が短くてありがたい。
真っ暗な中に突然明るいエイドが見えます。
88キロ、食事は湯豆腐。
スタッフさんみんな優しくてありがたい。
白湯ももらって、お腹を温める。
そろそろ、
胃腸も揺らされすぎて限界がきています。
食べ物を受け付けなくなりそうでしたが、
お豆腐の優しいタンパク質を
身体に入れたいと思いました。
量は半分、熱々で、
ポン酢をかけていただきました。
「今何時ですか?」
『19:03です。ここから先は街灯もほとんどなくて真っ暗なので気をつけてくださいね』
エイドのストーブを囲みながら
まったり休む選手を見ながら、
わたしは先に進みます。
フィニッシュまでは残り12キロ。
制限時間は約2時間残っています。
距離も時間も現実的になってきました。
でも、油断は禁物です。
今までより一層の暗闇の中、
まずは6キロ先の最終関門を目指して。
20:00前に到着したい。
94キロの制限時刻は20:20
だけど、
それじゃあフィニッシュに間に合わない。
88キロから94キロまでは
橋もないから急勾配もない。
海沿いの道をひたすら走る。
時間稼げるチャンス到来!!
ヘッドライトの届く範囲しか見えない道は
上りか下りかがもはやわからない。
それが幸いしたように思います。
とにかく何も気にせず、
ただ走ればいい。
不思議と不安も恐怖もない暗闇のランニング、
ひとりの世界に没入する時間は、
いっそ清々しい。
フィニッシュへの道
暗闇の先に眩しいライトが見えてきました。
94キロの関門。
エイドのテント。
何時だろう?
時計の盤面など見えない状況で、
思い浮かぶのはフィニッシュゲートだけ。
ここまできたんだ、
時間内に完走しなきゃ。
ふと思い浮かぶよからぬ妄想は、
関門は越えられたけど、
時間内にフィニッシュできないケース。
そんなの嫌だ。
1秒でもいいから、
時間内に帰る。
もう一度心に誓って。
「あの関門を越えたら、長い上りが待ってる」
そう心算をして到着した最終関門。
この6キロはしっかり走れたから
きっと貯金できたはず!
「今何時ですか?」
『19:54です、(よしっ!!!よくやった!あたし!!)お味噌汁いかがですか?』
「いえ、いきます。アクエリアスだけいただいて、先に進みます」
『頑張ってくださいね!間に合いますよ!!』
制限時刻21:00まで1時間以上ある。
距離は6キロ。
1キロに10分かかっても大丈夫だ。
フィニッシュできる。
希望が確信に変わる瞬間でした。
家族ラインと仲間ラインに連絡する
「94キロコンプ、フィニッシュします」
上りは大股のガニ股でどすどす歩いた。
格好なんてどうでもいい。
誰に笑われてもフィニッシュするんだ。
下りに差し掛かっても
もうスピードは出せなかったけど、
でも、歩かず、ひたすらに、前へ前へ。
出し切れ!あたし!!!
足がところどころ痛い。
肩も痛い、腰もお腹も太ももも全部痛い。
でも、
止まっても歩いてもどうせ痛いんだ、
なら、走ればいい。
トンネルの白い壁が眩しい。
あと3キロ…
油断するなー!
あと2キロ。
無心で走ります。
歩いてるランナーをどんどん抜かして、
「ナイスラン!頑張れ!!」と
声かけてもらいながら
振り向くな!
前へ!!
そして、
あと1キロ。
フィニッシュ会場の明かりが見えました。
あそこに行くんだ。
あそこで終わる。
「わたし戦い抜いたよ、右ちゃん左さんありがとう、わたしをここまで連れてきてくれて、本当にありがとうね、お腹さん、持ってくれてありがとう、ちゃんとメンテナンスするからね、ありがとうね」
この日、何度カラダとお話ししただろう。
痛いところをさすりながら、
朝スタートしたコースを戻っていく。
波の音が聞こえる、
足元が芝生になる、
ゲートが見える。
昨日練習した通り、
両手を上げて
フィニッシュゲートを潜りました。
15時間47分30秒
リベンジ成功。
100キロの長い道のり。
待ってくれていた友の手は冷え切ってて
わたしより泣いていた気がしました。
あんなに頑張って走ってくれた脚は
「時間なので😏」と言わんばかりに
階段をなかなか昇ってくれませんでした(笑)
荷物の受け取りを友に頼み、
わたしは夫に電話をかけました。
満面の声(笑)の夫は、
「よくがんばったねー!よかったよかった!」
と喜んでくれました。
ほどなく帰宅した息子も電話をくれて
開口一番「100キロおめでとう!!!いやぁーすげぇ!!!自慢の母だよー」
と嬉しい一声。
涙声のように聞こえたのは気のせいかな?
「あなたの動画がどんなに力をくれたことか!」と伝えると、
「力になれて嬉しいよ!いやぁーほんとによかった!おめでとう!明日一緒に祝杯あげましょう!」
飲み会の予定、あるんじゃなかったっけ?
ま、いっか。
心の底から嬉しかった。
走った自分にも、
見守り応援してくれた家族にも。
愛してくれてありがとう。
そう伝えたい。
部屋に戻り、お風呂に入り、
3人で祝杯をあげました。
用意されていたお弁当は
あまり喉を通らなかったけど、
乾杯のビールの美味しかったこと。
2:30起床
5:00出走
15:47:30
163865歩
よくがんばりました。
振り返れば、
26キロのエイド以降、
一度も座らず走ってきました。
70キロの間、10時間以上
チラリとも腰掛けずに走り続けました。
そんなこと、
できるようになったんだなぁ。
あたし。
電気を消すと、あっという間に
眠りに落ちてゆきました。
走れることにありがとう
こうして、
わたしのリベンジとびしまは終わりました。
55歳を目の前にして、
こんな無謀な挑戦ができることに、
許して応援してくれる家族に、
共に走ってくれる仲間に、
平和な環境に、
大会のスタッフさんたちにも、
走れることにありがとう。
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